7・1ゲームスタート
音楽が聞こえる。覚えのある曲だ。
明るくて上品、だけど何かが始まるワクワク感。
なんだっけ、この曲。
確かに知っているのだけど……。
パチリと目が覚める。部屋はまだ薄暗いけど、良い天気になりそうな気配がある。幸先のいいスタートだ。今日からロッテンブルクさんから離れて仕事をする。
もちろんまだまだ見習いだから全てにおいてではないけれど、大きな一歩であることは確か。
それにこの変化は、ゲームがそろそろ始まるということでもある。狙いはカールハインツただひとりだけれど、気は抜けない。
仕事もゲームも心してかからねば。
気合いを入れてベッドから起き上がる。
ふと、夢の中で音楽を聞いたことを思い出した。知っている曲。だけど何の曲か思い出せなかった。
あの夢はなんだったのだろう。
◇◇
朝食に行く前にひとつ仕事をした。朝一番で洗濯メイドに確認をすることがあったのだ。
それ自体はたいしたことはなくすぐに済み、食堂に向かう。
「あれ。マリエットさん。おはようございます」
背後からかけられた声はテオだった。振り返り、
「おはようございます」
と返す。と。
ぴこん!
と電子音がした。
何、今の音、と思う間もなくテオの頭上にふたつのバーが、顔の横にウィンドウが現れた。
「え……」
蔦模様で縁取られたウィンドウ。そこには
『テオ・ロッテンブルク(14) 侍従見習い
好きな言葉 【努力】』
と書いてあった。
めちゃくちゃ見覚えがある。
頭上のバーもだ。ゲームでの親密度と好感度を表すメーターで、それぞれ10コのハートが並んでいる。
今、見えているものはハートひとつずつが赤くなっていた。
……寝ぼけているのか、目の錯覚か。
何度か瞬きを繰り返しているうちに、ウィンドウとバーは消えた。
「マリエットさん?」
テオが不思議そうに首をかしげている。
「大丈夫ですか? ぼうっとして」
「あ……。ええ」
テオには見えていなかったらしい。
周囲を見る。が、他に人はいない。
「気分でも?」と重ねてテオが尋ねる。
「……いえ。大丈夫。ごめんなさい。ちょっと……大事なことを思い出して。急がないとだわ。失礼しますね」
最後は早口になってしまったが、仕方ない。足早にその場を去った。
脈が早い。ドキドキしている。
思いもよらないことが起こった。私はゲームの世界にただ転生しただけではないらしい。あんなものが見えるなんて。
ふと夢で聞いた音楽を思い出した。あれはこの乙女ゲームのテーマ曲だ。
きっと今朝からゲームが始まったのだ。そして私には攻略対象のステータスを見る力があるらしい。
これはカールハインツを落とすのに、かなり有利なのでは?
予想外の能力に、顔がにやけるのを止められなかった。
◇◇
それからわずか何時間かのち。今度はバルナバスに会った。彼の妹姫たちの元に仕事で行ったら、彼もいたのだ。
私が全員に向けて挨拶をしたことに対して、バルナバスはちらりと視線を寄越してかすかにうなずいただけだったが、ステータスはばっちり出た。
親密度も好感度もゼロ。さもありなん。というかゲーム開始時はそれが当然なのだ。
それから、好きな言葉は【臥薪嘗胆】だった。ちょっとイメージとは違う気がする。ゲームでもこうだったのかは、覚えてはいない。
バルナバスに限らず、テオも、他の攻略対象も。カールハインツ以外は記憶に残っていない。
どのみちバルナバスはゲームエンドまでハートゼロを保ちたいぐらいだから、興味はないかな。
そして、ステータスは私以外には見えていないようだと分かった。
さらに夕方にはフェリクスに会った。廊下でばったりという状況で、彼は令嬢を連れていたけれどにこやかに
「やあ、マリエット」なんて話しかけてきたのだ。
わざと私が令嬢たちの目の敵にされるようにしているとしか、思えない。
だけど彼の好感度はハートが3つ赤かった。
うわぁ……と引いた。好感度が上がるようなことは、なにひとつしていないのだから。
そのせいかどうか、親密度のほうはひとつだったけど。
好きな言葉は【自由】で、うん、そんな感じだよねと納得できた。
そして、晩にはついに新たな攻略対象に出会った。
この分だと三、四日のうちに全員と会いそうだ。ほとんどのキャラに興味がないけど、出会いを終わらせないと次に進めないから、どんどんこなしてしまいたい。
……木崎には出会ったときに、始まったよ、と教えればいいかな。
わざわざ言いに行くほどのことではないよね。
◇◇
ゲーム開始日から三日の間に、カールハインツとムスタファ以外の攻略対象に会った。
未対面のキャラたちは、おおむねゲームと同じように出会い、会話した。好感度も親密度もゼロ・ゼロで、当然なのにほっとする。
残っていた彼らはひとり公爵令息がいる以外は吟遊詩人、泥棒といった変わり種職業のキャラたちで、金属を変質させる術を教えてくれる魔術師が最年長で確か30歳。あとはよく覚えていない。
彼らを攻略する気はないから、無難に対応するつもりだ。多分それで大丈夫。私がしなければならないのは、ルート選択の前にカールハインツのハートを合計で10にすること。それが対象を選択できる条件なのだ。
前半はツンしかないカールハインツの好感度と親密度を上げるのは結構大変で、彼だけを考えて行動するのではなく、侍女としてきっちり仕事をすることと、王族に丁寧な対応をする必要がある。
だけどそんなものは、ロッテンブルクさんを目標として立派な侍女として勤めようと考えている私には、大変なことではない。
約一名の王族への態度は、問題ありかもしれないけれど、知られなければ大丈夫。
気になるのは私へのいじめがライトになっていることが、どう影響するかだけど。いじめを受けたい訳ではないし、ステータスを見られるのだからそこは有利になっているのだ。なんとでもなるだろう。
あとは早くカールハインツと出会うだけ。
好感度と親密度、ちょっとは期待しちゃっているのだ。
だって庭で遭遇した後も、私の身辺を心配する声かけはしてくれたのだ。期待するな、というほうが無理だ。
彼との出会いが最後のほうまで残っているというのがまた、期待をいやがおうでも盛り上げてしまうのだった。
◇おまけ小話◇
◇第一王子は少しだけ心配をする◇
(ムスタファのお話)
「マリエットは侍女頭の元を離れたようですね」
ヨナスがワインの入ったグラスを卓に置き、言った。晩餐前の寛ぎ時間。
「そうか」
と返すが、本当は知っている。先週にその話を本人から聞いた。今日ですでに三日目のはず。
「もしかしてご存知でしたか」とヨナス。自分も向かいに座り、グラス片手に嫌味な笑みを浮かべる。「密会したときにお聞きになりましたか」
「言い方」
「では、なんて言えばいいのですか? 私を通すと言ったのはあなたなのに、知らぬ間に部屋を抜け出して」
「おまえがデートに行くからだ」
「それは失礼を」
ヨナスは澄ましてグラスを口に運ぶ。
「とにかくもフェリクス殿下がお喜びのようですね。マリエットから監視が外れた、と」
「ふうん」
「だけどやけに彼女に近づく男が増えたとか。やはり異色の存在なうえにあの可愛さですからね、みな興味はあるようで」
「そう」
それはもしや、ゲームが始まったのではないだろうか。攻略対象はかなりの数いたはずだ。その中で俺が知っているのは、自分をいれて数人。宮本もカールハインツしか眼中にないからその他はとりあわないと言っていたし、特に知ろうとは思わなかった。
そのうち俺との『出会い』があるのだろうか。それともゲームシナリオとは確実に変質しているはずだから、出会いはなくなっただろうか。
ま、どちらだって構わない。
あいつはカールハインツ攻略に精を出す。
俺は王子としてすべきことをする。
「しかも彼女が新人侍女らしくなく素っ気ないものだから、珍しさで余計に話題に上がっているようですね」
「……それは合っているのか?」
ヒロインの対応として。
「何にですか」とヨナスが不思議そうな顔をする。
「大丈夫か、あの喪女」
なんでもいいが、俺を魔王化させるような展開になるのだけは避けてくれないと困る。
「心配なのですね」
ふふふとヨナスが笑う。
「心配はしているが、お前が考えているのとは違うぞ。カールハインツときちんと結ばれるのか、ということだ」
……いや。別にバッドエンドでも俺的には問題はないか。
「それはいかがなものでしょう」とヨナス。「あのミヤモトが、彼と結ばれたとして幸せになれるとは思えませんよ。早々に性格の不一致で悩みそうです」
だが宮本だってそれは承知の上だろうし、この世界が今の現実だと分かった上で、カールハインツを狙っているはずだ。
男の趣味は悪いとは思うが。
かといってバルナバスを選ばれるわけにはいかないし、女たらしのフェリクスも勧められはしない。
「……他に良い男がいるかな?」
「それはいるでしょう」
少しだけ考えて。
ひと付き合いをしてこなかった俺には、良い男というものが、ヨナス以外にはひとりも浮かばなかった。
「彼女のことよりも、自分のことだ。もっと世間を広げないとならない」
そうですねとうなずいたヨナスは、ほんのりと嬉しそうな顔をしていた。




