6・4夜のピクニック②
「あ。魔王になる俺が太陽神って、おかしいな」
ムスタファは、ははっと笑った。屈託ない声に聞こえて、ほっとする。
「通称『月の王』だしね」
「それだけ俺の美貌が神秘的ってことだな」
見えないけど、今、隣に座る男は絶対にドヤ顔をしている。
「中身が木崎じゃね」
「木崎もモテた」
「ぐっ」
暗闇からくっくっと笑う声がする。ムカつく。
「そう言えば」と少し落ち着いた声。「ゲームで俺のこと、出生とか母親とか、あとは魔族についてとかって言及されているのか?」
ドキリ、とした。
「木崎が知っていることは?」
「母親が魔王の娘。人間に殺された」
ムスタファの声は変わらなかった。
「うん。それだけ。やっぱり気になる?」
「そりゃな。この世界には魔物もいないのに、なんで魔王の娘なんだって思うだろ」
そうだねと答える。
「昔に母親のことを調べたことがあるんだが、『何も分からない』ってことが分かっただけだった。当時仕えていた侍女なんかも退職していてさ」
「うん」
「魔王化は嫌だから深入りはしねえけど」
「うん。私も魔王化は反対」
「ていうか、そもそも『魔王化』ってなんだ?」
ムスタファがこちらを見た。
「えっと、覚醒だよね?」
「いやさ、魔王の娘の息子だろ? 何で生まれた時から魔族じゃねえの? 半分人間だとしても、覚醒するまで魔力ゼロっておかしくねえか?」
考えてみたこともなかったけれど改めて問われると、おかしいのかもしれない。この世界の人間は、多少の差はあってもみんな魔力を持っている。ゼロなんてケースは滅多にないはずだ。
それにバルナバスの強大な魔力は父親譲りという設定のはずだったし、それならムスタファの両親はどちらもかなりの魔力持ちということになる。それでゼロで生まれてくるというのは、理由があると考えたほうが妥当だろう。
ただ。あんまり深い理由のない設定だった、という可能性も否定できないよね。
「それに」と続けるムスタファ。「俺が覚醒したら世界は滅んで闇の世界になるってどういうことだ? 昨日まで人間で魔力ゼロだったのに、突然そんなことができるのか? たったひとりで?」
口調はあくまで冷静だったけれど、その分、随分前から考えていたのだろうなという雰囲気があった。
「ごめん、分からない」
踏み込む、踏み込まないと脳内でまた問答をして、ごくりと唾を呑み込んだ。
「もしかして、不安だったりする?」
こんなことを私に訊かれるのは嫌だろう。不安だったとしても、いいやと答えるに違いない。それでも思いきって尋ねてみた。
「いいや」
と木崎。やっぱり。
「魔王化はお前とハピエンしなければ回避できるんだから、いいんだけどさ。気にはなるよな」そう言ってタンブラーを口にする木崎。「ゲームにはなんか情報があるのかなと思っただけ」
「お母さんのこと、分かることはひとつもないの?」
「ある。名前と俺と瓜二つってこと」
名前なんて当然のことではないの?
「……それだけ?」
うなずく王子。「父親も話したくないらしい」
「なにそれ。父親の責任を果たせ!」
隣から笑い声。
「木崎の記憶が甦ってから分かったけど、あれはダメだ。人の上に立つ器じゃねえ。中身が空っぽ。よく二十年近くも王をやっていられるよ。周りが優秀なんだろうな」
「そうなんだ」
フーラウムの印象は、愛妻家、バカップル、デレデレ、しかない。
「ま、俺も人のことは言えねえ。王子の義務を嫌々こなしてたからな」
「これからは違うんでしょ?」
「民の生活は考えていたのと違ったからな」
「実力を見せてみろ、第一のエース」
「刮目してろ」と言った王子は不自然に口をつぐんだ。
「なに? やっぱり自信がない?」
「……いや。まずは人なんだよと思ってな。引きこもり王子を信頼してくれる人間を集めないといけない」
「そこは八年の営業で培ったトークスキルがあるじゃない」
「人嫌いのムスタファが急に饒舌になるのか?」
「不気味がられるね」
「どう考えても、うさんくせえ」
当初は視察結果として意見を出したそうだ。だけど世間知らずの意見は軽視され、更に予算の壁を理由に取り合ってもらえなかったという。
それでムスタファは、少しずつ人付き合いを増やして協力してくれる実力と知識のある人間を探しているそうだ。ただ、なかなか、これといった人物がいない。近づいてくるのは引きこもりで世間知らずの王子を利用しようという輩ばかりなのだそうだ。
だから時間がかかるという。
しばらく真面目な話をしていてふと目前の城に目をやると、窓にうつる半月が最初のころよりかなり移動していることに気がついた。
そろそろお開きの時間だろうか。今日は随分たくさん話をした。
よし。終わる前にもう一杯飲んでおこう。
んくんくとタンブラーに残っていたワインを飲んでいるとムスタファの木崎は
「そういやお前、カールハインツとは進んでいるのか?」と聞いてきた。
「難しい質問だね」
積極的に話しかけられてはいるけど、城内の風紀のためだ。それを話したら、私がくだらない意地悪をされていることも打ち明けなければならない。
「存在を認識はしてもらえてるよ。それがなんだと言いたいだろうけど、カールハインツに限っては進展ありと言っていいレベル」
うん、我ながらうまいかわし方だ。
「それで進展って、ハピエンは挨拶する程度か?」からかいを含んだ声。
「序盤は展開が緩やかなの!」
「気が遠くなりそうな道のりだな」
「いいの! チャラくないところが良いんだから」
「へえ。チャラ王子フェリクスに乗り換えるんじゃねえの?」
「なんで?」
「人気のない庭で腕を組んで密会していたんだろ?」
「ちがうっ!」
顔から血の気が引くのが分かった。
「今日の午後の話だよ。もう木崎の耳に入ったの?」
噂になっているとは全然思わなかった。あの場を見ている人なんていないと思っていたし、侍女たちも普段通りの態度だ。それなのに噂に疎いキャラのムスタファが知っている。
「綾瀬」と木崎。
「ああ、そっか。綾瀬がいたんだっけ」
「なんだ? あいつの存在を忘れるぐらい、いちゃいちゃしてたのか?」
明らかにからかう声に、そんなはずないでしょと返す。
「綾瀬感が微塵もなかったからだよ。普通にしていたらただのイケメン近衛じゃない」
「ふうん。俺のところには怒り心頭で乗り込んできたぞ」
「なんで?」
「あんな尻軽は絶対にカールハインツに近づかせないって」
「無理やり腕を組ませられたんだよ? いくらなんでも、王子を突き飛ばせないでしょ?」
カールハインツの前でやりかけてしまったけど。あんなんでも他国から来た留学生で王子。当然のこと賓客扱いされている。侍女見習い風情が突き飛ばしたりしたら、一大事だろう。
「カールハインツより攻略しやすいんじゃね?」
「やめてよ。私は彼一筋なの。チャラい男は嫌い」
と、昼間のフェリクスを思い出した。チャラくて強引なヤツだと思っていたけど、第三者に対しては誤解されないよう気を配った発言をしていた。
「だけどゲームでの印象よりは、まともかな」
「ふうん。案外フェリクスにほだされるもアリなのか?」
「ないよ、絶対」
「ヨナスはそれ推し。お前じゃカールハインツは無理でフェリクスの押しに負けるって」
「負けないし無理でもないから」
はいはいと笑い交じりに言った木崎は
「そろそろお開きにするか。三杯目をねだられる前に」と言った。
「気づいていたのか、卑怯者め」
「ほら、チーズの余りならやる」
まだ沢山のチーズが入っていそうな袋を差し出される。
「遠慮するよ。ワインなしで食べても味気ないし」
こんなものが部屋に置いてあるのを見つかったら、盗んだと判じられること間違いなしだ。
「ワインはやらねえぞ」
「いらないよ。ありがと、今夜もご馳走さま」
「おう。出世払いな」
「今夜は祝い酒でしょ?」
「そうだった」
タンブラーを返して木崎が一式をしまうのを確認すると、ランプを手に取り立ち上がった。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
ほろ酔い気分で暗い道をたどり、今夜はもう寝てしまおう、勉強は明日にしようと考える。
……あれ。今夜の木崎の用件は、なんだったのだろう?
本当にヨナスがデートで淋しかったのかな? 木崎らしくはないけれど。
あ、魔王情報か。きっとそれを訊きたかったにちがいない。役に立てずにすまんとひとりごちて、ランプの灯りを頼りに小路を進んだ。




