33・4魔法指導とやんちゃ姫②
可愛らしい声に名前を呼ばれて見れば、カルラが全力で走ってくる。その後ろには息を切らせた乳母と侍女たち。
「もう知られたか」と黒騎士が呟く。
声に出さなかったけれど、私も同じ気持ちだった。カールハインツからの直接指導だなんて、カルラは絶対に羨ましがる。だから今日の遊び時間にきちんと説明するつもりだったのだ。乳母たちとも、そのように打ち合わせていた。
私の元までやって来たやんちゃ姫はお怒りのようだ。眉がつり上がっている。
「ずるいわ、マリー! わたしもシュヴァに魔法を習う!」
膝をつき、目線を合わせると頭を下げた。
「お伝えせずに申し訳ありません」
「知ってるわ。今日話す予定だったのでしょう」
カルラの後ろで激しく上下する胸を押さえている乳母が、
「部屋を抜け出した際に、どこかから指導のことを聞いてしまわれて」と教えてくれる。
「私も一緒に習う。そうしたら許してあげるわ。カルラは危ないのなんて、へっちゃらよ」とカルラ。
ということは乳母は私が万が一事故を起こしたら危ないからダメだと、説明してくれたのだろう。
「そのような問題ではないのです」カールハインツがかしこまって反論する。
「大丈夫よ。危ないときはさっと逃げるわ」ドヤ顔カルラ。
可愛いけれど、ここはどうしても引いてもらわなければならないのだ。
「カルラ様。マリエットもカルラ様と共にシュヴァルツ隊長から習いたい気持ちがございます」
カルラの顔がぱあぁっと明るくなる。
「ですが私はまだ未熟です。もしかしたら魔力の暴発を起こすかもしれません。カルラ様が大好きだからこそ、そんな危険に晒すわけにはならないのです」
やんちゃ姫の顔がしかめっ面になる。
「それにマリエットは事情があって、一刻も早く防御魔法を身に付けなければなりません。申し訳ありませんが、他の方と進度をあわせて習う余裕はないのです」
カルラの頬がふくらみ、みるみるうちに真っ赤になる。
「ヤダヤダヤダッ」
叫び声を上げ、やんちゃ姫が地団駄を踏む。
「カルラはマリーと一緒にシュヴァに習うのっ!」
カルラは泣きながら大声で怒りまくる。
「マリーなら『いいですよ』って言ってくれると思ったのにっ」
私や乳母たちがなだめすかしても、まるで聞いてくれない。
さすがにお手上げかもと思い始めたその時。
「カルラ姫!」
と、カールハインツがはるか彼方まで届きそうな声量で姫の名前を呼んだ。さすがのカルラも驚いたようで、ぴたりと静かになった。
「いい加減、我が儘はお止め下さい」
やや小さくなったものの、まだ大きい声。近衛隊長の本気の怒声の威力はすさまじく、鼓膜がびりびりと震えている。怯えたカルラの目に再び涙がたまっていく。
「姫はマリエットがお気に入りなのでしょう」カールハインツが姫の目の前に立って、怒り顔で言う。「万が一彼女が事故を起こしあなたが怪我を負ったなら、彼女は良くてクビ、悪ければ死刑です。それでも良いのですか」
カルラはぷるぷると震えている。
「それに彼女は事情があると話したでしょう。この魔法指導は彼女の身の安全のために必要なことで、習得が遅れればそれだけ安全が遠のく。あなたは彼女が危険にさらされている状態でも構わないのですか」
「……マリー、危ないの?」とカルラ。
「そうですよ」と乳母。「一昨日、階段のそばで騒ぎになっているのをご覧になったではありませんか」
「一刻も早く習得しなければならないのに、今日はあいにくの天気で時間の余裕がありません。だというのに姫が我が儘をおっしゃってその時間を更に短くしています。あなたはマリエットを困らせているのです」
目にいっぱい涙をためて震えているカルラが私を見た。
「……マリー。どうして危ないの?」
大好きなシュヴァに強い口調で叱られて、怖くて震えているのにカルラは心配そうに私を見ている。あんまりいじらしくて、抱き締めたくなる。だけどその前になんて答えればいいのか。考えあぐねていると、
「彼女を良く思わず妬む者が多いのです」とカールハインツがどストレートに答えた。「その愚か者たちによって今まで何度も理不尽な目にあったため、パウリーネ妃殿下が私に魔法指導をするようお命じになったのです」
「……分かった」
カルラはまだぷるぷると震えていたけれどしっかりした声でそう言って、私を見た。
「カルラ、マリーと一緒に習いたいけど、ガマンする」
「ありがとうございます」
「姫様ならば理解してくれると思っていました」カールハインツが言う。
その顔は見たことがないほど柔らかい笑みをたたえていた。カルラは
「ん!」と両手をシュヴァに向かって伸ばした。「抱っこ!」
優しい顔をした黒騎士が、失礼しますと抱き上げる。
さすがカルラ。常に堅苦しい顔をしたカールハインツすらも笑顔にしてしまうなんて。おかげで私も眼福だ。
「カルラはガマンできる良い子だから、ご褒美をあげたほうがいいわ」
と、大好きな黒騎士に言うカルラ。侍女たちがくすりと笑う。
「毎晩、おやすみの挨拶に来てね」
「今だって無理にお願いをして一日一度、来ていただいているではありませんか」と乳母。
そうなんだ。
「毎日は無理ですが、可能なときは伺いましょう」カールハインツが柔らかな声で約束する。
彼に寝る前に会えるなんて羨ましすぎる。彼におやすみと笑顔で言われたら、きっと素敵な夢が見られるにちがいない――と妄想していたら、昨晩の木崎を思い出した。出てくるな、アホ。
「きっとよ」
そう言ってカルラが騎士の腕の中から地面に降りた。
「マリー、またね」
「はい。後ほど伺います」
カルラは名残惜しそうにしていたけれど、乳母に促されておとなしく帰って行った。
彼女たちがいる間静かにしていたツェルナーさんが、
「再開しますか? そろそろ降りだしそうですよ」と天を仰ぐ。
「今日はしまいにす――」
「しません。急ぎます」
カールハインツの言葉を遮り、急いで、だけどミスがないよう落ち着いて魔方陣を書く。
あと少しで完成というところで、ぽつりぽつりと大きな雨粒が落ちてきた。
「これ、にじんでいたらダメですか」
手を止めずに尋ねる。
「大丈夫だけど雨脚が強そうです。残念ですが明日にしましょう」とツェルナーさん。
「どうぞ、おふたりは建物内でお待ち下さい」
「……」
呪文ともちがう見たことのない文字だか記号だかが厄介で、ひとつずつ紙を確認しなければならなくて時間がかかる。それを必死に書きこんで。
「できたっ」
逸る気持ちを押さえ、本降りになってきた雨ににじむそれを最終確認する。間違いはなさそうだ。
「先生、呪文を読み上げていいですか」
結局建物内に向かわなかったふたりに尋ねると、
「先生?」カールハインツがキョロキョロし、
「いいですよ!」とツェルナーさんが代わりに答えてくれる。ポケットにしまっていたその紙を取り出し、魔方陣の中央へ。
と、手にしていた紙が光輝いた。すぐにおさまる。
「防水魔法です」とツェルナーさん。
礼を言って、呪文を一度黙読。焦って読み間違える時間はない。
自信がついたところで、
「では始めます」とふたりに告げて、呪文を唱え始めた。
すぐに未知の感触が体の内外に生まれる。内は自分の魔力、外は魔方陣から立ち上っている何かだ。
――これは成功する。
そう確信して、最後まで読み上げた。
と、魔方陣から光が放たれた。
「やった!」ツェルナーさんが叫ぶ。
「成功してますか」
「している。雨を弾いているでしょう!」
ああ、本当だ。すっかり雨の存在を忘れていた。私には全くかかっていない。
「――すごいな、マリエット」
カールハインツの感嘆が聞こえ、私は年がいもなく跳びはねたいほど嬉しかった。
私がシールドを張れたのは三分ほどで、初心者としては上々の出来なのだそうだ。
カールハインツに礼と、雨の中を付き合わせてしまった詫びを言って撤収しようとしたら、傘をさしたヘルマンがやって来た。私たち三人に傘とタオルを渡す。私は大小の二枚。大きいほうはショールのように肩にかけられた。
「さすがムスタファ殿下」そう言ったツェルナーさんの目が笑っている。「ヘルマンさん。私は中断を提案したと殿下に伝えて下さい」
「私もだ」とカールハインツ。「我々はきちんと彼女に言った。殿下に必ずお伝えを」
「承知しました」と答えるヘルマン。
なんなんだ、この『ムスタファが私のことを心配しすぎているから厄介です』的な雰囲気は。
ムスタファに対する勘違いが加速度的に深まっている気がする。ゲームはそんなにムスタファルートをハピエンにもちこみたいのだろうか。
おまけ小話 ◇花園の秘密◇
(前おまけ小話と同じとき)
気持ち良い昼下がり。美しい庭園を跳びはねて進む幼児がひとり。と、彼女の目は、よく見知ったひとたちの姿を捉えた。
「ムスタファお兄さまとマリー!」
カルラ姫の嬉しそうな声に、乳母とふたりの侍女は彼女が指さしたほうに目をやった。かなり先にだが、確かにそのふたりと王子の従者の三人が歩いている。花の園に向かっているようだ。
「散策かしら」と侍女のひとりが言う。
「三人で?」ともうひとりの侍女。
「カルラもっ」
そう言うが早いか駆け出すカルラ姫。乳母が止めようとして伸ばした手を巧みにかいくぐる。
「姫様っ」
そうして始まるいつもの鬼ごっこ。今日、ツイているのはやんちゃ姫の行き先が花の園だと分かっていること。ツイていないのは、王子は本当に三人での散策だろうかということだ。
乳母と侍女たちは不安といささかの野次馬根性を胸に、姫を追う。
あと少しで目的地というところで、大人三人は王子の従者がひとりで引き返していることに気がついた。
──これは邪魔をしてはならないケースだ。
三人はそう悟り必死で、恐らくはカルラの専属になって一、二を争うレベルの底力を出して、逃げるカルラ姫を捕まえた。
「離して!」
おかんむりのやんちゃ姫。
「ダメです」と乳母。
「どうして!」
「ムスタファ殿下たちはデートだからです」
侍女の言葉にカルラ姫は可愛らしく首をかしげる。
「デートってなあに?」
「ええと」と乳母が五歳児に説明してよいものかと躊躇っているすきに侍女が
「好きあっているふたりが、ラブラブなお出かけをすることです」と答えてしまう。
「『らぶらぶ』?」
やんちゃ姫はまだ分からないようだ。するともうひとりの侍女が
「国王陛下と王妃殿下のような間柄のとです」
と実に的確な答えを言う。
「『らぶらぶ』見てくる」とカルラ。
「邪魔してはダメです」
「こっそりだもの」
そういったカルラは右手の指を口の前で一本立てて『しー』とやると、抜き足差し足で進む。
あまりの可愛さと、やはり野次馬根性の強い誘惑に抗えない大人三人は、姫を止めることを諦めた。自分たちも足音と気配を消してカルラに続いていく。
そうして花の園に入ったものの、ひとの気配はない。乳母たちは、王子たちの目的地はここではなかったかと、半ば安堵、半ば落胆した。だが。ここのメインである噴水前が見えてくると、彼女たちは慌てて背を丸め植物の陰に隠れた。
ベンチでムスタファがマリエットの膝枕で眠っていたのだ。
乳母が身を乗り出して見ているカルラを抱き上げる。
「帰りましょう」
「うん」
やんちゃ姫は素直にうなずいた。
彼女たちは行き以上に気配を消して、花の園を出た。
ここなら大丈夫という離れた場所まできて、大きく息を吐く大人三人。
「お兄さま、幸せそうなお顔だった。らぶらぶ!」とカルラ。
そうですねとうなずく乳母と侍女たちは顔を見合わせた。
確かにムスタファは幸せそうに眠っていた。そしてそれを見つめるマリエットも同じように穏やかな顔をしていた。
「今日のことは秘密にしなくてはなりませんよ」
乳母はカルラ姫の目を見て言う。
「どうして?」
「おふたりの幸せなひとときを邪魔するのは無粋なのです」
「ふうん」
幼い姫には理解しがたかったが、大好きなふたりが幸せそうにしている邪魔をしたくないとは思った。それに秘密という言葉は素敵だ。
「分かったわ」
うなずいた乳母は侍女たちを見た。
「あなたたちもね」
「ええ。あんなふたりを見て言いふらすほど、意地悪くはないです」
ひとりがそう言えば、もうひとりも同意する。
「らぶらぶ」とカルラ。「マリーとムスタファお兄さまはお似合いね。ふたりともカルラとたくさん遊んでくれるもの!」
大人三人は姫君の可愛らしい判定に笑みを浮かべ、足早にその場をあとにしたのだった。




