22・〔幕間〕公爵令息は考える
公爵令息オーギュストのお話です。
初めて訪れた第一王子の私室を出て、やや離れた第二王子の私室に入った。
「あんなムスタファ殿下は初めて見た」
長椅子に腰を掛けて私がそう言うと、向かいに座ったばかりのバルナバスは大きくうなずいた。
「ああ。兄上でも動揺することがあるのだな」第二王子は私を見て笑みを浮かべる。「朝早くから来たおかげで、良い土産話ができたではないか」
今日は、昨日バルナバスに頼まれたエルノー領特産品の熟成ハムを届けに来たのだ。こういう時、彼は直接渡されることを好む。
そして、せっかく午前から城に来たのだから付き合えと言われて、チェス勝負をすることになったのだった。その最中に侍従が、マリエットが王女たちにいつも以上に苛められていると言ってきた。
最初は聞き流していたバルナバスだったが突然立ち上がり、兄上の大切な娘だから様子を見に行くと言い出した。
ムスタファ殿下お気に入りの侍女見習いマリエット。噂ではあれこれ言われている。それを良くなく思っている人間は令嬢にも令息にも多いようで、三人の王子がいないところでは陰口が囁かれていたりする。彼女の出自も気にくわない要素らしい。
くだらないことだ。
口にはしないが、腹の底ではそう思っている。
私の父はリベラルな人だ。恐らく貴族では珍しい人種だろう。階級や財産、流言で相手を量ることはしない。私もその薫陶を受けて育った。
噂話は社交界一番の娯楽と言って過言ではないから、声高に否定したりはしない。周りで始まれば静かに拝聴する。中には案外真実が隠れていたりもする。
だけどマリエットに関しては、ほぼ無価値な与太話だ。
彼女と親しい間柄ではないから離れたところから見た所感だけれど。
――とは言え。
「見習いは兄上に恋愛感情はなさそうだが、兄上はどう見ても彼女を特別に思っているな」
友人の言葉には賛成だ。こればかりは噂も真実らしい。
「見たか? 彼女を背中に隠してかばったぞ。兄上とは思えない、恐ろしい形相だった」
どうしてなのか、バルナバスは楽しそうだ。
「そもそも何故抱き上げて運んだ?」
ああいうのは彼らしくない。とはいえ意味もなくやる彼でもないのだ。
ん?と聞き返す彼はやはり機嫌が良い。
「見習い争奪戦に実際名乗りを上げているのが、フェリクスと近衛兵だ」
バルナバスは侍従が出したワインを手にして口に運ぶ。
「フェリクスはいつも以上に攻めている。全く相手にされていないのに、それすらも嬉しそうだ」
「同感だ」
「近衛兵のことは詳しく知らないが、女子に人気のある爽やかな男で、求婚を断られたのに彼女の元に日参して距離を縮めようとしているらしい。見習いもそれなりに楽しそうだとか」
その近衛兵は知っている。トイファー家の末っ子で、真面目そうな長男とは印象が真逆の青年だ。
「見習いの本命はカールハインツだ。あいつを前にした彼女の舞い上がりようは見ものだぞ。それほど惚れぬいている」
そこで何故かバルナバスの笑みが深くなった。
「ここで我が兄上だ。あれほど彼女を特別に思っているのに、そんなことはないと否定し続けている。羞恥心が強い上に奥手らしい」
「……なるほど」
孤児院出身の侍女見習いマリエット。そんな彼女の能力――特に書類仕事――を褒めると、ムスタファ殿下はかすかに表情を変える。誇らしげになるのだ。それがどんな感情に起因するものかまでは知らなかったし詮索するつもりもなかったが、図らずも本日知ることとなった。
「あの様子では、押し出しの強いふたりと本命を相手に勝てるとは思えない」
「勝つ?」
「そう。私は兄上の恋が成就することを願っている。今まで何にも頓着してこなかった彼が、ようやく夢中になるものを見つけたのだぞ? 親友を応援したい気持ちもあるが、やはり不利な兄を助けるのが弟の務めだろう?」
バルナバスはますます楽しそうだ。
「さて、ここで私も見習い争奪戦に参加したら、どうなる。さすがに弟まで出てきたら兄上も焦る。実際にその反応だった」
「あんな風に抱き抱えて、わざと煽ったということか」
「そうだ。今頃、兄上が行動を起こせていればいいのだがな」
バルナバスは従者に、良い作戦だろう?と声を掛けてご満悦だ。挙げ句に従者も張り切って、ちょっとムスタファ殿下の部屋の前を通ってきますなどと返している。
だけど、なんとなく感じるこの違和感はなんだろう。
再び始まったチェス勝負。盤を見ながら考える。
ムスタファ殿下とバルナバスは仲が良いとは言えない兄弟だ。なにぶん兄のほうが弟(というか全ての人)に興味がなかった。弟のほうは兄を『兄』として敬ってはいるようだが、ごく稀に苛立ちのようなものを垣間見せる。自分では気がついていないようだ。やはり己が第一王子でありたかったのだろうと私は分析している。
そんな彼が兄の恋の応援。
近頃のバルナバスは兄が様々な事に積極的に取り組んでいることを、心配している。きっかけは何か、無理をしていないか、と。
だがその裏には焦燥のようなものを隠している気がするのだ。
人が変わったムスタファ殿下は貪欲に知識と行動の幅を広げ、周囲を瞠目させている。 良識のある層ほど彼の変化に感心し、また期待を寄せている。
さすが第一王子、王太子に相応しい。
そんな称賛の声が増えていて、それに比例してバルナバスの苛立ちのようなものが大きくなっている。
フェリクスも私と同意見らしい。
バルナバスの複雑な胸中は理解できる。彼は優れた王子だけれど、聖人でも善人でもない。半分しか血の繋がらない、しかも自分に関心を向けない兄に、負の感情を抱くなというほうが酷な話だと思う。
ただ。
そんな彼が兄の恋の応援。
本当だろうかと、訝しく思ってしまうのだ。
そうすることで兄との距離を縮めようとしているのか。あまり良い手とは思えないが。
それよりかは――。
後ろ楯は年老いた公爵夫人のみ、財産も地位もない娘を兄にあてがい、そうすることで彼が力を持つような婚姻を阻止する。
そんな策を講じていると考えるほうが、納得できてしまう。
私の穿ち過ぎかもしれないが。
それに、あの魔法。バルナバスが人の動きを封じることができるなど知らなかった。なかなかに恐ろしい術だ。
それを何故マリエットに使ったのだろう。
暴れられて落とすのが心配だった?
そんなはずはない。彼は物体を空中に留めることができる。その魔法で最初に彼女を助けたではないか。
彼女を怯えさせて兄に助けを求めるようにしたかったのだろうか。
バルナバスに尋ねれば、返答があるだろう。
だけど何故かそんな気にはなれなかった。
違和感が続いている。彼が何を言っても信じることができない予感がするのだ。
チェス盤の駒を動かしつつ、そっと部屋に視線を走らせた。
この部屋の調度品はどれも派手だ。家具の装飾は多く、ファブリック類は柄が大きく色のコントラストがはっきりしている。
模様替えをしても、大抵この調子だ。バルナバスのイメージは颯爽として軽やかだけど、実際は派手で主張の強い人間なのかもしれない。
ムスタファ殿下の部屋は違った。装飾は控えめで曲線で優美さを出し、色合いは落ち着いたものだった。以前の彼のイメージ、そのままに。
あちらのほうが好みだ。
「おお、どうだった」
バルナバスの声に目を上げると、先ほど偵察に出た従者が帰ってきていた。
「マリエットは靴を抱えて部屋を出ていきました。いつも通りの様子、何も起きていないようですね」
「つまらん!」
バルナバスが爽やかな笑顔を私に向けた。
「そうだな。なかなか上手くいかないものだ」
私も友人に笑みを返した。




