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『盾の乙女』の本分は  作者: 甲斐 雫


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2 闇の中の出会い

 それは、半年前の事。


 ジャスティンは、苛立っていた。

 分厚い包帯で覆われた目は、光さえ通さず、周囲に対する疑惑しか頭に浮かばない。


「出て行けっ!誰も近寄るなっ!」

 ガシャンッ!

 ガラガラッ!ビシャッ!


 怒鳴り声と食器類が割れる音。

「し、失礼致しましたっ!」

 侍女が叫ぶように告げて、部屋を逃げ出した。



 数日前、舞踏会の席で、見知らぬ女性が声を掛けて来た。

 ジャスティンが振り返った途端、顔に液体が掛けられる。それは女性が手にしていた、ワイングラスの中身だったが、彼がそれを知る前に激痛が襲った。


 眼に入った毒は、彼の視力を奪った。

 皇太子付きの侍医は、このままでは完全に失明すると言い、それを避けることが出来る可能性は、1つしかないと説明した。


「殿下が立太子式を挙げられた時、陛下から下賜された『ガクインジルシノバンノウヤク』なるものを使えば、失明を避けられる可能性がございます」


 侍医が言う薬は、遠い異国の秘薬のようなもので、デュランダル王国では滅多なことでは手に入れることが出来ない。現在の国王がまだ若い頃、東の国からの献上品として小瓶3つを入手したことがあるが、それ以来どこを探しても見つかることが無いという代物だ。


 その小瓶を、現国王は1つ使い、残り2つの内の1つを、皇太子であるジャスティンに贈ったのだ。

『安易に使ってはならない。これしか無いのだから、本当に必要な時にだけ使うように』

 そんな言葉と共に。

 まだ少年だったジャスティンは、自分の侍医に薬を預け、それ以来その存在をすっかり忘れていた。


 承諾を得て薬の使用を許された侍医は、慎重に投薬を始めた。

 はっきり言って、得体が知れない薬物であるから、毎日少量ずつ、様子を見ながら投薬するという方法を取ったのである。


 眼に見えて効果が出たわけでは無いが、それでも痛みは随分と軽減した。

 けれど、先への不安と闇の中での生活は、ジャスティンの精神を疲弊させる。

 何も見えない現在、自分を暗殺することは容易なことだろう、と。


 食事さえ1人では出来ず、次女の介護を受けなければならない。それは自尊心を傷つけられると共に、飲み込む全ての食物にさえ、神経を尖らせなければ行為だ。

 そしてとうとう、苛立ちや怒りが爆発したジャスティンだった。



「・・・ジャスティン。貴方の叔母が、見舞いに来ましたよ」

 その時、扉の方から穏やかな声が聞こえた。彼の叔母、ヴェラ・アズールの声だった。

「・・・・・・・叔母上・・・」

 肩で息をしていたジャスティンは、それだけを呟いて腰を下ろした。

「苛立つのも解りますよ。ツラい現状ですからね」

 咎めることも無く、優しく声を掛けるヴェラは、傍らに控えている侍女に目配せをした。


 床に散らばった残骸を、片付けているらしい気配がする。

 ジャスティンは、落ち着いて来ている自分を自覚しながら、息を整えた。


「今日は貴方に、知らせたい事が2つあって、お見舞いも兼ねて来ましたのよ。目の具合は、どうですか?」

 国王の姉に当たるヴェラ・アズールは、白髪が目立つ寡婦である。

 彼女はジャスティンがまだ幼い頃から、彼の理解者であった。

「ありがとうございます、叔母上。お陰様で、痛みは頬とんど無くなりましたが、これからどうなるかは解りません」

 ジャスティンの返事に、ヴェラは微笑んだ。優しく慈しみに溢れた笑みだが、彼はそれを見ることは出来ない。


「それは良かったわ。完治することを、心から祈っておりますからね。それで、先ずお知らせしておくことは・・・」

 ヴェラは、ジャスティンに毒薬を浴びせた女性について、知る限りのことを話す。

 事件が起きた直後、会場から逃げ出した女性は、その後遺体で見つかったこと。身元さえ解らず、事件の背景さえ解らないで済ませられたこと。

 それに対してジャスティンは、吐き捨てるように言った。

「どうでもいいです。私に対する、悪意のなせる業なのは明白なのですから」


 自分を失脚、或いは亡き者としたい輩は、数えきれないほどいるに違いない。


 深く俯いた彼に、彼の叔母は更に言葉を続けた。

「もう1つは、貴方に新しい侍女を連れて来たということよ。『盾の乙女』の一員ですけど・・・」


 ジャスティンは、口元を思い切り歪めた。

 そう言えば、叔母は王族の女性として『盾の乙女』の組織に顔が利いた。けれど、今は娼婦など必要が無い。それどころでは無い、と思う。

「叔母上、私は娼婦など必要ありません」

 はっきりと告げる彼に、ヴェラは意に介さず言葉を続けた。


「この娘の能力は、私が保証します。毒見役も、怪我人の介護も出来ますから、とりあえず試しにでも置いてみなさいな。・・・セシル、挨拶なさい」


 その時初めて、付いてきた侍女がそれだと知ったジャスティンだ。


「セシル・コートと申します。よろしくお願いいたします」


 耳障りの良い声だった。

 例えるなら、秋の涼風のような。


『盾の乙女』らしくない。

 甘くも無く、蠱惑的な言い回しも無い。

 寧ろ余計な事は言わず、事務的な挨拶の言葉だが、ジャスティンはふと気づいた。


(普通は『お見知りおきください』と言うのだろうが、見えない自分に対して、その言葉を敢えて使わずにいたのだろうか?)


 結局彼は、このセシルという『盾の乙女』を、侍女として傍に置くことを承諾した。



 セシルは、ジャスティンにとって、完璧とも言える行動を取った。

 押し付けがましくなく、余計なことは言わず、それでいて気働きが素晴らしい。


 食事に関しても、毒見をする許可を貰い、怪しいものはそっと除けて、何も言わずに大丈夫なものだけを彼の前に並べる。

「・・・スープは無いのか?」

 ジャスティンの問いかけにも、淡々と答えた。

「今回は、よろしくないと判断させていただきました」


「毒見をして、お前の体調は大丈夫なのか?」

「訓練で耐性をつけておりますので、どうぞお気になさらず」


 実際に彼が食べる時も、料理の皿をそっと食べやすい位置にずらし、彼にスプーンやフォークを持たせて、好きなようにさせた。上手くいかない時は、さり気なくサポートするだけに留め、彼の自尊心を傷つけないように努める。


 ジャスティンの食事中の癇癪は、鳴りを潜めた。


 退屈を紛らわせるために、ジャスティンは本を読み聞かせてもらうことを望んだ。

 元々、どちらと言えば内向的で、人との関わり合いが上手では無い彼である。社交的で、見かけも人好きがする弟リチャードとは、正反対の彼だった。独りで本を読むことが好きで、皇太子としての勉学は問題は無かったが、弟も同じくらい優秀だった。

 それでも長男として立太子式を挙げたが、周囲の多くの人々は、彼よりも弟の方が王の器だとこっそり話しているのを知っている。


 眼が見えない今、読書が出来ない事だけが苦痛だったジャスティンは、とりあえずセシルに読んでもらうことにした。

 けれど、小難しい学術書のようなものさえ、セシルは淀みなく読み進める。言葉は明瞭で、速度も申し分ない。

 ジャスティンは、驚きながらも、彼女の心地よい声と書物の内容を楽しむことが出来た。


 やがて投薬も大分進み、薬が半分ほどになった時点で、侍医が告げる。

「後は、通常の治療だけでよろしいかと存じます。多少時間は掛かりますが、きちんと指示をお守りいただければ、視力は回復すると思われます」

 全てを使い切ってしまうより、その方が良いのではないかと言う侍医に、ジャスティンはホッとしながらそれを受け入れた。


 包帯は決して外さないよう、また落ちた体力を回復するようにという侍医の指示通り、ジャスティンの療養生活が始まった。



 離宮に移り、暮らし始めたジャスティンだが、自分の回復状態に関しては周囲に秘密にしている。

 この機に乗じて暗殺を仕掛けて来る相手を、特定したかったのもあるが、実行犯くらいは排除したいという気持ちもあった。


 それに関して、セシルは幾つも大きな働きをする。


 庭に出たいと言うジャスティンに、セシルはサポートしながら付き添った。

 彼女の二の腕を掴みながら、ゆっくりと歩いては新鮮な空気を吸い込むジャスティンだが、暫くしてふと気づいた。

「・・・良い香りだが・・・花が咲いているのか?」

 鼻腔を擽る香りは、薄っすらと甘いが穏やかで、気持ちが落ち着く。

「いえ、ここには咲いておりません。この匂いでは、ございませんか?」


 ふいに、香りが強くなった。鼻先に近づけてくれたのだろう。

「ラベンダーです。効能が多いハーブで、胸に差しておりました」

 そう言えば、とジャスティンは気づいた。

(セシルは、香水を着けてはいなかったな・・・)

 介護をするうえで、配慮していたのだろう。彼女はいつも、香りを纏ってはいなかった。

「ラベンダーティーというのがあるな?」

「はい、リラックスにも良いお茶です」


 散歩の時は、身体を寄せて歩かねばならない。だから敢えて、香りのよいラベンダーを差してきたのだろう。リラックスして、散歩を楽しめるように、と。


 さり気ない心遣いが嬉しくて、ジャスティンはもう少し先まで歩いてみたくなった。


「おや?・・・バラの香りか?」

 いつの間にか、小さな噴水があるバラの植え込みの辺りまで来ていた。

「はい」

 眼は見えなくとも、香りを楽しむことが出来る。それならば、触って花を楽しむこともできるだろう。

 ジャスティンは、探るように花が咲いていると思われる方に手を伸ばした。


「・・・・ぁ」

 セシルが、小さな声を漏らして彼の手首を掴んだ。

「えっ? 何だ?」

 不満そうな声を上げたジャスティンに、セシルは穏やかに答えた。

「棘が、危のうございます。それにそろそろ、お部屋に戻られた方がよろしいかと」


 ムッとしたジャスティンだったが、一応大人しく彼女言うとおりにする。

 セシルがそっと、彼が触れようとしていたバラの花を、棘に気を付けて折り取ったことに気付かないまま。


 そのバラの植え込みは、棘に毒が塗ってあったと、後になって解った。セシルが、採って来たバラの枝を、調べてくれるように侍医に頼んだからだ。

 バラ以外にも、そう言った毒の類は無いかと、使用人たちに調べて貰ったが、棘を持つ植物の幾つかには、その痕跡があった。

 調査と危険物の除去が大急ぎで行われ、庭師の1人が実行犯として捕まった。


 またある時は、いきなり太い木の枝が落ちてきたりしたし、突然庭に野犬が飛び込んで来た。けれどそれらは全て、セシルが対処し、ジャスティンは完璧に守られていた。

 その度に実行犯は捕まったが、黒幕は全く解らないままだ。調査をする手立てが無かったのである。



 やがてジャスティンは、セシルに対して信頼を置くようになる。

 それと同時に、彼女に対する興味を持つようになった。


『盾の乙女』イコール娼婦という概念はあるが、セシルというこの娘は、何か違うような気がする。


「セシル、ちょっとここに来てくれ」

 ある日、ソファーに座るジャスティンが声を掛けた。

「はい、殿下」

 セシルは、直ぐに近寄り、彼の前に跪く。


「顔に・・・触らせてくれ」


 漆黒の闇の中で、ただ彼女を知りたかった。


 両手の間に、彼女の頭が置かれる。

 彼は、そっと指と掌を滑らせた。


 きっちりと結われた髪は、さらりとしている。艶やかな滑りが、指先から伝わって来た。

 前髪を降ろしている額に触れ、頬に指を滑らせれば、その輪郭と肌の様子が解った。

(色は解らないが・・・触り心地は良いな。ああ、化粧をしていないのか)


 それでも、肌は滑らかで、鼻筋が通っていて、眼は大きめなのだと解る。

 誰に似ているかは全く解らないので、とりあえず頭の中で彼女の顔を想像してみた。

(美人?・・・かどうかは解らんな。そもそも、どういうのが美人なのかも、よく知らんしな。だが、決して醜い顔ではないことは解るか)


 言葉にしたら、かなり酷い言い草だが、俄かめくらの彼にすれば仕方が無いのかもしれない。

 それでも、分厚くない唇や、切れ長であるらしい眼は好みだと思うジャスティンだった。



 そして漸く、長い療養の日々に終わりが見えて来た。

「もう殆ど完治しておりますが、やはり少しずつ慣らしてゆくことが大事だと思われます。外に出られる時は、目元を覆ってくださいませ。室内では、そうですね・・・明日あたりからは覆いも無しでよろしいでしょう」

 包帯を採って貰ったジャスティンは、侍医の言葉に喜んで、早速庭に出た。


 そして起こったのが、今回の悲劇だった。

 ジャスティンにも、セシルにも、油断があったのかもしれない。

 突然、後ろの方から飛んできた短槍。

 彼を庇って、それを受けたセシル。

 ジャスティンは、目を覆うスカーフをかなぐり捨て、彼女抱いて室内へ飛び込んだ。



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