公爵夫人の胸の内(クレア)②
そんなわけだから、メリーがルパートに一目惚れしたらしいと知っても、あの騒動で発揮されたマクニール家のあまりの人の良さは少々不安だったものの、他には特に反対する理由もなかった。
もちろん正直に言えば、父親譲りの天使顔のメリーが、平凡なルパートのどこに魅かれたのかは不思議だった。
だが、まだ幼かったメリーが「私はお祖父様みたいな人と結婚する」と言ってお義父様を歓喜させていたのを思い出した。メリーが伴侶に求めるのは美しさではなく男らしさで、そういう好みはお義母様に似たのだろう。
社交界デビューの時のルパートは背ばかり高くてヒョロリとしていた。
しかし、ウォルフォード家で数年振りに会った彼は体つきががっしりして逞しくなり、顔も以前よりは精悍に見え、なるほどこれならと思ったりもした。3年間の領地暮らしを無為には過ごさなかったということも窺えた。
私が気になったことを敢えてもう1つ挙げるなら、ジェニー嬢が何らかの理由でメリーやルパートに危害を及ぼさないかということだ。
これは伯爵に直接確認させてもらった。
伯爵家で嫡男の変更が呆気なく済んだのは、元々長男に問題があって、いつでも次男と交代できるよう準備をしていたためだった。
ところが長男はそんな自覚がまったくなく、ジェニー嬢と駆け落ちしてもほとぼりが冷めた頃に戻ればそのまま自分が家を継げ、ジェニー嬢との結婚も認められると思っていたらしい。
1年ほどたってからフラリと都の伯爵家に現れた長男とジェニー嬢は、そのまま身柄を拘束され領地に送られた。ジェニー嬢がウィリス家に戻されなかったのは、彼女が身籠っていたからだ。
今、ふたりと生まれた子どもは伯爵家の監視下、庶民として暮らしているそうなので、とりあえず心配する必要はないだろう。
ただ、ジェニー嬢のそんな現状を知るにつれ、もしや彼女は嵌められたのではという考えが私の頭を過ぎらなくもなかった。
子爵家での境遇だけなら憐れみの対象だったが、元庶民の子爵令嬢が次期侯爵の婚約者になったのだから、かなり妬まれていた可能性はある。
マクニール家から多くを与えられながら不満を口にするジェニー嬢に、友人の顔をして近づき、見目は悪くないが愚かな男をそれとなくあてがい、社交界から追い出す。
あるいはルパートに関する噂も、ジェニー嬢を貶める目的だったものが、途中で形が変わってしまったのかもしれない。例えば始まりは「わざと怪我をして強引に婚約者になったくせに婚約破棄されるような真似をして社交界にいられなくなった」だったとか。
もちろん、あくまで私の想像だし、最終的に愚かな男の手を取ったのはジェニー嬢に他ならない。
ルパートはマクニール家の人間らしく、爵位を継いでからも真面目にその務めを果たすだろうし、彼が噂とは違って女性を粗略に扱うことなどできないのはレイラが保証してくれた。
結婚後にメリーが求められるのは女主人としての役割だけで、私のような苦労をすることはないだろう。
私だって、セディと結婚した当初に求められていたのはそれだけだったはずだ。お義父様の考えが変わったことに気づいたのは、メリーが生まれて少したった頃だろうか。
お義父様の執務室にたびたび呼ばれ、これに目を通せ、それを読んでおけ、あれをどう思う、大事な客が来るからセディと一緒に同席しろ、などと次々に言われるようになった。
そうやって私が徐々に知るようになったコーウェン家の情報の中には、明らかに他家から嫁いだ人間が知るべき範囲を超えているものも多く、もしかしたらお義父様は私を次期公爵夫人ではなくもうひとりの次期公爵として教育しているのではないかと少し怖くなった。
しかし、お義父様に求められてしまった以上、私にはそこから逃げるという選択肢はなかった。
疑いようなく私だけを見てくれる夫、その夫そっくりの可愛い娘、優しい義母、親切で働き者の使用人たち。コーウェン家は私にとってあまりに居心地の良い場所だった。
それに、コーウェン公爵の立場とそれに付随する力はセディひとりで背負うには大きすぎるものであることも理解できた。お義父様が私を、コーウェン公爵家をセディとともに背負うに相応しい人間と信頼してくださったことは誇らしかった。
もちろんお義父様は抜かりない方で、私が決意を固めた頃にはすっかり根回しを終えていた。
新婚旅行の名目で初めてセディと一緒に領地に行った私は、お義父様に命じられていたとおり、セディが次期領主として誰と会おうがすべて同席し、どこへ出向こうが必ず同行した。それでも、疑問や苦情はいっさい出なかった。
もっとも、コーウェン家のもとで長く繁栄してきたコーウェン領の領民たちは立派な領主であるお義父様を尊敬していて、そのひとり息子に対してはかなり甘かった。
セディがパーティでの挨拶で固くなるあまり私の手を千切らんばかりに握っていても、笑って見守ってくれていた。
数年後には視察先で手を繋いでいないと、「早く仲直りしてください」なんて心配されてしまうまでになった。
一方、都の社交界ではそうはいかない。私に聞こえる場所で「伯爵家の女狐が自分こそ公爵みたいな顔をして」なんて平気で言う。
お義父様に言わせれば、「そんなことを口にするのは私が根回しの必要なしと判断した小者だから気にするな」とのこと。納得だ。
中には私を揶揄するために陰で「女公爵」と呼ぶ方々もいるらしい。確かに私は公爵位を継げるくらいのものをお義父様から学んできた。
だが、誰が何と言おうが当代のコーウェン公爵はセディだ。私は相談されれば意見を口にするけれど、最終的な決定権を持つのも、サインをするのもセディ。それは私も、もちろんセディもきちんと弁えている。
でも、実はお義父様がセディを置いて私だけに伝えたものもある。それがコーウェン家の手足あるいは耳目となって動いてくれる人たち、言わばコーウェン家の影の存在だった。
彼らのおかげで私はお屋敷にいながら他家の情報をかなり詳しく手に入れられるのだ。
その中には、私が自分自身の婚約破棄の時に見た顔もあったりして、きっとお義父様はひとり息子が結婚を望んだ相手のこともかなり詳しく調べさせたのだろうと複雑な気持ちになったりもした。
セディは彼らのことはまったく知らない。だけど、私はこの力をあくまでセディの代わりにお義父様から預かったのであって、セディとコーウェン家のためにのみ使い、できるだけ早く正統な継承者であるノアに渡したいと思っている。ノアはきっと上手に使えるようになるはずだ。
結婚前には思ってもみなかった責任を担うことになったものの、それでも私はセディとの結婚を後悔したことはない。
結婚して18年。5人の子の父親になっても、公爵位を継いでも、セディは相変わらず私の天使のままだ。
本人は尊敬するお義父様のように威厳ある人間になりたかったみたいだけど、お義父様だって孫の前では威厳も何もない。対外的に前公爵らしい顔を作るのがお上手なだけだ。
セディは、何と言うか、どこに行ってもセディ。公爵になっても人見知りで、社交の場が苦手。
ただ、さすがに知らない人に会っても私の背中に隠れようとすることはずいぶん前からなくなった。
今は、子どもの時に私が教えたとおり、背筋を伸ばして、相手の目を見て、堂々と名乗っている。緊張のあまり表情がなくなって、睨んでいるようにも見えてしまうけれど、俯いてオドオドするよりずっといい。
そんなセディの隣で私は「今日も私の夫は一生懸命で可愛いわ。帰ったら頭を撫でて褒めてあげなきゃ」なんて考えているわけだが、皆様には「公爵より偉そうな顔をして」と思われるようだ。
気が強そうとか視線がきついみたいなことはただの伯爵家の娘だった頃から言われていたのだから、もう仕方ない。
メリーが婚約したと言っても、まだこれからノアを次期公爵として育てあげ、ロッティとアリスとメイを私たちのもとから巣立たせなければならない。
それがすべて済んだなら、セディとふたり領地でのんびり暮らすのも良いなあと想像してみたりするのだが、セディは子どもたちのいる都から離れたがらないだろうか。
結局、セディが隣にいるなら私はどちらでも構わないのだけど。
これで完結になります。最後までお読みいただきありがとうございます。
お父さんなセディを書きたいというのが執筆動機で、あまり先まで考えずにとりあえず書いてみたのが1話目だったので、筆者も最初は「ルパートって誰?」という感じでした。
メリーは外見はセディ、中身はクレアのつもりが、気づけば中身もセディ寄り。
当初の想定とはちょっと異なる物語になりましたが、やはりお父さんなセディを書くのは楽しかったです。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。