シオンとの再会
というわけで、早速庭仕事に手をつけようとしたのだけれども。
実際に庭に出てみたところ、庭を手入れするための道具がほとんどないことに気付いてしまった。
これはまず、買い物に行く必要がある。
おそらく普段は業者を呼んで、草刈りだけやらせているのだろう。
本格的な庭いじりは後から少しずつ道具を揃えてからにするとしても、まずスコップと鎌と軍手ぐらいは欲しい。
ぱぱっと買い物にいってきてしまおう。
庭いじりをしようと捲っていた袖を降ろし、身だしなみを整えると私は築宅を後にした。
★☆★
築宅のある辺りは周囲に住宅もまばらで静かだが、このあたりまで来るまでわりと賑やかだ。私は商店街に満ちる賑やかな喧噪を聞きつつ、ぐるりとあたりを見渡した。少し歩けばこうして商店街に出ることが出来るあたり、旦那様は人嫌いで有名だが、利便性をまるきり無視して家を作ったというわけでもないらしい。
いろいろ欲しいものは多いが、今日のところは園芸品だけにしておこう。
必要なものを頭の中で書き出しながら、商店街のあちこちを覗いていく。それなりに栄えているのか、必要なものはこの通りの店だけで揃いそうだ。
そんなことを思いつつ歩いているところで――……。
「エンジュ!」
「……っ!」
少し離れたところから聞こえた声に、びくりと肩が震えた。
……私じゃ、ない
意識して、振り返らない。
「エンジュだろ? おい、エンジュってば!」
……人違いでありますように。
心の中でそんな風思うものの、その名前も、呼んだ声も、両方とも私にとっては馴染みの深いものだった。
このまま誤魔化すわけにいかなさそうな予感に、私はひっそりと心の中で溜息をつく。
きっと、彼は諦めない。
私が振り返らなければ、こちらにやってきて直接肩をたたくだけだろう。
無視して走り去る?
いや、そこまでではない。
嫌いなわけではないのだ。
会いたくないわけでも……、ない。
ただ、彼の顔を見る覚悟が出来ていないだけ。
ただ、ちょっとだけ気まずいだけ。
村を出た日、最後まで私が村を出ることに反対していた彼は、見送りにも来てくれなかった。彼に会ったのは、それが最後だ。だから、今ここで再会しても……、どんな顔をしたらいいのかがわからない。私のことを、古い名で呼ぶ彼と顔をあわせてどうしたらいいのかがわからない。
振り返らない私に焦れたよう、足音が近づいてくる。
足音は、もうすぐ後ろまで。
振り返らずとも、それぐらいはすぐわかる。
覚悟を決めよう。
「エンジュ!」
私はのろのろと振り返る。
「やっぱりエンジュだ! さっきから呼んでたのに、お前全然気づいてくれないんだもんな」
「……あはは」
わざと振り返らなかった、などとはさすがに言えず、私は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化す。
「久しぶり、シオン」
「ん、久しぶり!」
あー……、本当にシオンだ。
白銀の髪に、淡い翠の瞳。まだ少し少年っぽさを残すが、その体格は随分と男らしくなった。シオンの変性は私よりも随分と早かった。無性だったころは双子みたいによく似ていたのに、今では良いところ年の離れた兄弟といったところだろう。
振り返るまでは時間かかったはずなのに、実際にその顔を見ると、じんわりと懐かしさと再会の喜びが胸に広がっていった。シオンも再会を心底喜んでいるのか、にこにこと嬉しげな笑みを浮かべている。屈託のない笑みだ。まるで、私が村を出る直前の言い争いなんて忘れているかのように見える。
「髪、染めてたから一瞬わからなかった」
「あー……、こっちで目立ちたくなくて」
「そっか」
シオンは変わらぬ色の薄い銀髪をしていた。きらきらと光をはじくその色がなんだか無性に眩しくて、まっすぐに見られない。
「元気にしてたか? お前、全然村にも戻ってこないから、オレの母さんとかも心配してたぜ」
「あー……、ごめん。俺はこっちで元気にやってるよ。おばさんにはシオンから謝っておいて」
「やなこった。お前、自分で謝りに来いよ」
「けち」
「だって絶対お前への説教から伝染して、オレまで説教されるに決まってるもん」
「あはは、確かに」
普段は穏やかで快活なシオンの母親だが、女性らしい特性というか一度お小言が始まると長いのである。昔一緒に暮らしていた頃は、私が叱られていたはずが、気づいたら隣でシオンが正座させられている、なんてことも珍しくはなかった。
昔みたいだ。
私が村を出るずっと前。
まだ、私とシオンが、無邪気な幼馴染でいられた頃のような会話。
少し――…、離れていたからからだろうか。
もしもあのままずっと同じ村に住んでいても、こんな風に気軽に話せるようになっていただろうか。
「おじさんとおばさんは元気?」
「元気だよ。母さんは超元気だし、父さんは相変わらず母さんの尻にひかれてる」
「ふふ、おじさんとおばさんらしいな。シオンは? なんでこんなところに?」
シオンは私以上に「人間」が嫌いだ。
そんなシオンが自分から好き好んでこんな街中に出てくるとは思えない。
「オレも元気にやってるよ。今日は……、ちょっとこっちの方に用事があってさ。
つか、村の状況報告も兼ねて」
「……あ」
その言葉に、つい先日四海堂の屋敷の近くでシオンらしき人影を見かけたことがあったのを思い出した。あの時はまさかシオンが村を出てこんなところにまで出てきているとは思わず、見間違いで終わらせてしまっていた。
「もしかして……、ちょっと前に四海堂の屋敷の方にも来てた?」
「うん、行った行った。あのヤロウはいなかったんで、後日外で会いなおしたけどな」
「あのヤロウって……」
相変わらず、とてもじゃないが村を保護するスポンサーに対する態度ではない。
四海堂の話になると、不機嫌そうに口がへの字になる。
「あんなヤツはあのヤロウぐらいでいいんだよ」
「……はは」
シオンの四海堂嫌いのもっともな原因になっている自覚のある私としては、苦笑するしかない。シオンからしてみれば、四海堂は大事な幼馴染を金で良いようにしているいけ好かない人間、でしかないのだ。
「四海堂も……、まあ、シオンが思ってるほど悪い人じゃあないよ」
「……どうだか」
ふん、と拗ねたようにシオンが視線をそらす。
「でも……、珍しいな。今までは手紙で報告してただろ?」
確か村の方から、月に一度報告をかねたお礼が四海堂の元には届くと言っていたはずだ。いつか四海堂が「彼らはとても律儀で……、良い人たちだね。僕はきちんと充分な見返りを得ているっていうのに」なんてぼやいていたのを覚えている。半ば呆れた調子ながら、己に向けられる純粋な謝意に、少し困ったよう、はにかむように四海堂は笑っていた。私にも、村から手紙が届くと必ず見せてくれていた。
ということは、何か手紙では報告が済まないようなことがあったのだろうか。
こんな風に、シオンが直接訪ねてくるなんていうのは初めてのことだ。
「あー……、違う違う。別に何かあったってわけじゃないぞ」
私の表情から不安を読み取ったのか、シオンは手を揺らして否定した。
「ただ、あのヤロウに世話になり始めてからしばらく経つだろ。
そろそろ直接顔を見て報告、ついでに礼も言っておかなきゃなるめえ、って村の寄り合いで決まってさ」
「はは、なるほど。それでシオンが派遣されてきたってわけか」
「そういうこと。寄り合いの連中は人使いが荒いんだよな、まったく」
「まあ、気軽に使える丁度いい人材がシオンぐらいしかいないんだろ」
ユーゲロイドの村は、小さい。
四海堂の保護下に入ったとはいえ、基本的には自給自足の昔ながらの生活スタイルを変えてはい。そうなると、身軽に動けるのは私やシオンのようなある程度大人で、なおかつまだ家庭を持たぬ者ということになるのだ。そんな中で自由に動ける若い男、ともなればいかにシオンが便利に使われているかは、想像に難くない。
と。
「……お前がいてくれたら、いいんだけどな」
「……シオン」
ぽつり、と呟かれたシオンの言葉に、私たちを包む空気が変わった。
……そう、だ。
幼馴染に会えて嬉しい、ってだけで終わるわけにはいかない。
だからこそ、シオンと顔をあわせるのに覚悟がいったのだ。
「なあ、エンジュ」
「シオン。俺はもうエンジュじゃないよ」
シオンが続けようとした言葉を遮るように、私は首を横にふる。
エンジュ。
それは私が村を出る際に捨てた名前だ。
「エンジュ」
「違う」
「エンジュ。お前はエンジュだ」
「今はもう違う。俺は雛姫だ」
「…………」
「…………」
私たちの間に沈黙が降りる。
私が名前を捨てた理由を、シオンは知っているのに、どうして。
どうして私にまだその名前を名乗らせようとするのだろう。
私は変性することが出来なかった。
私はユーゲロイドの女としての役割を果たすことが出来なかった。
だから――…、新しい名前を名乗ることにしたのだ。
「……お前が、いくら否定したって、お前はエンジュだ」
「……頑固モノ」
「どっちが」
昔と同じようなケンカ。
それでも変わったのは、お互いに譲れない部分に関しては適当なところで折れることを覚えたあたりだろうか。
お互いに視線を交わして、苦笑を浮かべあう。
「お前、村に戻る気はないのか?」
「そのうち、顔を出そうかなとは思ってるよ」
「……そっか」
……そのうち。
そのなんて言葉がどれほどに当てにならないのかは私が一番よくわかっている。
「お前はさ」
「うん」
「……あんまり、自分を責めすぎんなよ」
「…………」
私は何もいえなかった。
胸が痛い。
シオン。
お前は私を責めても良い。
変性出来なかった私を詰る資格がある人間がいるとしたら、それは間違いなくシオンだ。シオンは――…、私の幼馴染であると同時に、許婚でもあったのだから。
私が変性できなかったことに対して、相手がシオンだっかからなんじゃないのかという声も少なからずあった。子供の頃からあまりに近く、兄弟同然に育ってしまったが故に、私がシオンを異性として意識できなかったからじゃ、と。
私は、変性できなかった。
シオンは、変性させられなかった。
それは間違いなく、お互いの中に傷として残っている。
「そういや、お前、あのヤロウに何か嫌なこととかされてないか?」
重くなりかけた空気を切り替えるように、シオンは何気なく話題を変えた。
「あのヤロウって、四海堂?」
「アイツしかいないだろ」
「うーん」
……嫌なこと。
軽い調子ながら、心底心配しているといったシオンの問いに、思わず心の中で復唱してしまった。イヤなことは日々数多くされているが、シオンの思うような『嫌なこと』とはワケが違う。
「四海堂はああいうヤツだしな。
一緒にいて殴り倒してやりたくなることは多いけど……」
「殴ってやれ」
「シオンが心配してるようなことはないよ。ちゃんと面倒見てもらってる」
……基本的には。
現在雛姫はその四海堂の保護下から放り出され、築有志郎という男の下にいたりするのだが……、それについては何も言わないでおこう。
この幼馴染の青年は、非常に心配性なのだ。
それに、「頼まれた仕事」をしていると精神的に楽になる部分もある。
何もしないで、金だけを出してもらっているというのは、それなりにやはりプレッシャーになる。たとえ出してくれている金額に見合っていないとしても、働いた労働力の見返りとして金を出して貰っている、と思えたほうがよほど健全だ。
「お前が、そう言うなら良いんだけどさ。……なんか、お前疲れて見える」
「そう? 最近四海堂に頼まれて、新しい仕事を始めたんだよ。それで気疲れしてるのはあるかも」
嘘はついていない。
「顔色があんまり良くない」
「もうちょっと仕事に慣れたら、そんなこともなくなるんじゃないかな」
「ちゃんと飯食ってるか?」
「食べてるよ」
「…………」
「…………」
まるで私の言葉に嘘がないかを確認するように、シオンが見つめてくる。
ここでうっかり目をそらしてみたくなるけれど、それやったら間違いなく大騒ぎになる。私が嘘をついている、と少しでも思ったならば、シオンは私の置かれている状況を改善すべく動いてしまうだろう。
その気持ちだけで十分だ。
今は旦那様こと築との生活に、ゆっくり時間をかけて馴染んでいかなければいけない時期だ。騒ぎは起こしたくない。
「……お前のこと、信じるよ。でも、無理はすんなよ」
「うん。ありがとう、シオン」
「おう。そんじゃ、お前もそろそろ仕事に戻らないといけないんじゃないか?」
「……うん」
買い物の続きに戻らなければ。
そう思うのに、なかなか足が言うことを聞いてはくれない。
視線を、シオンから離すことが出来なかった。
振り返るのにも覚悟がいったけれど、別れるのにも覚悟がいるなんて知らなかった。きっと私は、自分で思っている以上にシオンを懐かしく思っているのだ。だから、こんなにも離れがたく思ってしまう。
「シオンは、もう村に戻るのか?」
「へ?」
「四海堂に報告しにきて、もうそれも終わったんだろ?」
「あ、お、おう」
「……?」
「報告は終わったんだけど……、せっかくだからもうちょっとこっちの生活を見ていこうかなーなんて」
……珍しい。
「人間なんて好きじゃない、んじゃなかったっけ?」
「……うう。でもほら、今はお前がこっちで暮らしてるわけだし。
オレもいつまでも好き嫌い言ってらんねぇ、っていうか」
「へえ」
いかにも嘘くさい言い回しだ。
でも……少しだけ納得した。
村に、私やシオンと同じ年頃の子供はいない。
だからこそ、ごくごく自然な流で幼馴染として育った私とシオンが許婚なんて関係になっていた。その私が変性できなかった今、シオンが「人間」に興味を持ち始めたとしてもおかしくはない。
村の中には、シオンの妻となれる「女」がいないのだから。
……そっか。
なんだか、ほんの少しだけ寂しさを感じてしまった。
幼馴染が、私を置いて一人だけ大人になろうとしているような、そんな身勝手な感傷。
「おい、エンジュ、お前何か勘違いして……」
「や、別に何も。さてと、俺もそろそろ仕事に戻らないと」
「……むぐぐ」
何か言いたいけれど言葉にならない、というような顔で唸るシオンに、私は今度こそにっこり笑って背を向ける。
どうしてか、先ほどまでの離れがたさは感じなかった。
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