雛姫
「お前、何も知らないでここにきたのか」
「……っ」
築の声に、息を呑む。
まずい。
さあ、どうしよう。
衝撃的な展開につい呆然としてしまっていたが……今は四海堂のことを考えている場合ではない。それよりも、この状況をどう切り抜けるか、だ。
私はしっかりと顔をあげて目の前にいる築を見据えつつ、頭を働かせる。
届けてしまったものが「紹介状」であったことに関する驚きは、素直に顏に出してしまった。今更知っていましたし、なんて言い張っても、目の前で私を胡散臭そうに見ている男は騙されてはくれないだろう。
なので……、私は素直に頷くことにした。
「……はい」
路線としては、手紙を運ぶだけだと言われて、まさかそれが職を紹介するための紹介状だとは知らなかった人材派遣会社の会員、だ。
……大体あってるけども。
違うのは、私の所属先だけだ。
「なら帰れ。俺が寄越すように頼んだのはメイドだ。……それとも、お前実は女だったりするのか」
「男です」
きっぱりと、断言するように――…嘘をつく。
体に合うようにこしらえたスーツを着ている今の私は、女顔の男として十分通用するだけの外見をしている。
装えば、どちらにも見える。
それが私の強みでもあり、欠落でもある。
「なら帰れ。苦情は俺からねじ込んでおく」
しっし、と足元にまとわりつく野良犬を追い払うような仕草までついてきた。
ここでおとなしく帰ることが出来たのなら、私にとっても彼にとっても良かったのだろうけれども、そうはいかない。
私をここに送り込んできたのは、とりあえず人材を派遣してその場をしのごうと思った人材派遣会社の人間、というわけではないのだから。
「あの」
「なんだ、まだ何かあるのか」
「確かに俺、メイドの仕事だと聞いて来たわけじゃないんですけど……、ここしばらく仕事の紹介も全然なくて……、一生懸命働きますから、ここで雇ってくれませんか!?」
「…………」
驚いたように築が眸を瞠った。
まさか私がここで粘るとは思っていなかったのだろう。
世は就職難、騙されて派遣されたとはいえ、それに喰いつく無職の就職戦士がいたっておかしくはないだろう。設定的には、「悪評が流れた結果誰もが避けるようになってしまったブラックな築宅に騙されて派遣されてしまった青年」といったところだ。
「……ふぅん?」
にやり、と築の口角が笑みの形に持ち上がった。
あ。ヤバい。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
きっと彼は、私がすぐに逃げ帰ると思っていたのだろう。
だから、私が食い下がったことに驚いた。
そして、今その顔に浮かんでいるのはいかにも愉しそうな笑みだ。
四海堂が、私が絶対に断れないことをわかっていて無茶を押し付けるときと同じ笑み。
すなわち、獲物を追い詰める狩人の笑み、というか。
築が、椅子に座ったまま軽くこちらへと身を乗り出した。
面白がるような視線が、まっすぐに私を射抜く。
「お前、名前は?」
「雛姫です」
「苗字は? それともその『ひなき』っていうのが苗字か」
「えーっと……」
少しばかり、言葉に詰まる。
花夜国では、一般的に苗字と名前が揃っているのが常だ。
苗字を持たないのは異民族かもしくは外国人ということになる。
私は――…前者だ。
花夜国に住まう、少数派の異民族。否、異種、と言った方が良いのだろうか。
――ユーゲロイド。
それが私の種族名だ。
美しい容姿と、特殊な生態、そしてそれに纏わる悲話の多さ故に有名な亜人種、と図鑑や辞書などには書かれている。
争いごとを好まず、山間でひっそりと暮らす私たちは――…、人間の乱獲により数を減らした。基本的には人間種によって構成される花夜国では、少数派である亜人種の人権問題への対処が遅れていたのだ。法が整備された後も、それが民間レベルにまで落とし込まれるまでには時間がかかる。
私自身も……密猟者に追われ、途方にくれているところを四海堂に保護されたのだ。
お互いいろいろといっぱいいっぱいだった。
密猟者によって、村を焼け出された私と、薬師協会の長に就任したばかりで亜人種の村の被害を調査に狩りだされてやってきた四海堂。
私はその場で、四海堂の立場を知るや否や一つの取引を持ちかけた。
『俺の身体を買ってくれないか?』
『――え?』
それが、私と四海堂の出会いだった。
私はユーゲロイドとしての肉体を、希少価値の高い研究資材として四海堂へと差し出した。そしてその代償として――…、一族の安全を四海堂から買ったのだ。
その額、三千万キル。
よって、私に自由はない。
私は四海堂に逆らえない。
私は――…、四海堂の「モノ」なのだから。
と、いっても四海堂の私への扱いは決して酷いものではない。
……いろいろと、予想外ではあったけれど。
私が覚悟していたのは、実験動物としての扱いだった。
それこそ、様々な実験の後解剖されて標本にされるぐらいは覚悟していた。
私は自分の身体を、命を、犠牲にしてでも一族を守ると決めていたから。
が。
そんな私を待っていたのは、四海堂の、
『僕が出したお金は、君の借金って形でつけておくから』
『……え?』
『これで君は僕のものだ。
借金が返せないなら――…カラダで返してね』
なんていう、セクハラめいた発言で。
身体とカラダの違い、というか……、求められている意味合いの違い、をお分かりいただけるだろうか。
私はぶるりと背を震わせる。
身体の自由を、所有権を明け渡すということの意味においては、四海堂の求めた方法だって、本来私は覚悟しておくべきことだった。けれど、私の頭の中にはそういった価値が自分の身体にあるこという認識は欠片もなく。それ故に、四海堂の発言に度胆を抜かれることになってしまったのだ。
だって私は――……。
「おい、どうした?」
「……あ」
築の不審そうな声音に我に返った。
「俺に苗字はありません。この雛姫、というのもこちらで出来た知人がつけてくれたもので。あえて本名というなら、政府に登録された番号になっちゃうんですけど」
「外国人か。
――…なるほどな」
築は、私がなかなか仕事に就けない理由もそのあたりだと見当をつけてくれたものらしい。
「似合いの名前だな」
「……へ?」
「そのナリでゴンザブロウとか名乗られたら萎える」
「えーと……、その。ありがとうございます……?」
「フン」
……褒められた?
ちょっと驚いてしまって、私はぱちくりと瞬いた。
私に、『雛姫』という名前をくれたのは四海堂だ。
私は、四海堂に出会い、その身を売り渡したことをきっかけにそれまでの名前を捨てた。そちらの名はもう名乗る気もないし、名乗ることも出来ない。最初はなかなか反応することの出来なかったこの名前にも、ようやく慣れてきた。自分の新しい名前だと、思うことが出来るようになった。
今までの自分を捨てて、新しくやり直すための名前だと思えば『雛姫』という名前を気に入ってもいる。
……もっと、男らしい名前でも良かったかな、とは思うけど。
「歳は」
「24です」
答えられる質問には即答で。
答えにくい質問には、少し考える時間を挟みつつも真面目に答えを返す。
「――……」
一通り質問をすると、築は顎に手をかけ何やら考えているようだった。
やれるだけのことはやった。
帰れと言われたのを、食い下がって面接までは流れ込んだのだ。
これで駄目だと言われたならば、四海堂にも言い訳が出来るというものだろう。
「――…そうだな」
築が口を開く。
私はぎゅっと手を握りしめ、覚悟を決めつつ築の次の言葉を待った。
築は、そんな私を見て――……、にやりと口角を持ち上げて笑った。
やっぱりどう見ても悪役の笑みだ。
「腹が減った。何か作れ。30分以内で」
――…どうやら、私の試練はまだ終わらないらしい。
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