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築との遭遇



 どうしてこうなった。

 私は、油断するとうっそりと寄ってしまいそうになる眉間の皺をなんとか意志の力で堪えて、平静を装おうと試みる。それでも若干引き攣っている自覚は少々。

 朝食を終えて、着替えて準備を済ませた私は、早速目的の住所に向かっていた。

 こじんまりとした、小さく可愛らしい印象のある家の玄関チャイムを鳴らしたところまでは良かったのだ。問題はその後だ。

 

 四海堂からの頼まれごとだし、確かに厄介ごとだろうな、とは思っていたものの――…、まさかここまで歓迎されないとは思っていなかった。

 

 ちら、と視線を持ち上げる。


「…………」


 目の前では、ものすごく不機嫌そうな男が顰め面で雛姫の届けた書状に目を通している。睨んでる、といった方が正解かもしれない。視線の圧力に物理的な効果があったのなら、手紙はとっくに粉々になってる。

 どう見ても、不機嫌だ。

 不機嫌以外の何物でもない。

 相手からひしひしと伝わる殺気すれすれの不機嫌オーラのせいで、なんとなくお腹が痛いような気すらしてきた。しくしくと痛み始めたような気がする胃から、意識をそらそうとしたら余計に表情が強張ってしまいそうになる。


 ……これ、絶対何か問題起きてるよなあ。

 っていうか、問題が起きてないとしてもいろいろマズい。


 こっそりと、私は目の前の人物にばれないように気をつけつつ視線を流す。

 座っていてもわかる長身と、がっしりとした体格。

 年の頃は三十に差し掛かった頃、といったところだろうか。

 見目は十分に整っているのだが、その身に纏う雰囲気がどうにも一般人からはかけ離れている。どう見ても「その道」の人だ。

 眉間に深い皺を寄せている様など、声をかけるのも憚られる。

 野生の肉食動物めいた警戒と威圧が、その眼光にはありありと浮かんでいる。

 

 この男。

 名を、きずき有志郎ゆうしろうという。

 

 その名前はいろんな意味で有名で、私にとっても知らない名前ではなかった。

 今ならわかる。

 だからこそ、四海堂は手紙に宛先を書いてはいなかったのだ。宛先が築有志郎だとわかっていたなら、私はこんな仕事引き受けたりはしなかった。

 というか、四海堂は正気なんだろうか。

 よりにもよって築有志郎へと手紙を宛るなんて。


「……なんの冗談なんだ、これは」

「……!」


 唸るような低い声音に、びくりと背が撥ねた。

 泳ぎそうになる視線を、なんとか相手へと向ける。

 目があっただけで逃げたくなった。

 見目も、声も、決して悪くないのに、その良さが悪い方向に振り切って発揮されてしまっているのがなんとも勿体ない。

 耳元で囁かれたらゾクゾクきそうな低い声も、今はただただ恫喝めいて響くばかりだ。油断していたこともあって、「ひ」と息を飲みそうになった。

 それを誤魔化すように、ことさらゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 

 築有志郎。

 それは、「どんな病気も立ちどころに治す」「死人をも行き返らせる」という眉唾ものの噂が平気で巷を流れてしまうほどに腕の良い薬師の名だ。

 その一方で、「築は悪魔と契約している」だの、「死体の肝からでも薬を調合する」なんていう恐ろしい噂の持ち主でもある。

 

 が、まだそんな噂だけならば私もここまで怯んだりはしない。

 一番の問題は――……、彼、築有志郎が薬師協会に属していないことにある。

 

 花夜国において、薬師というのは花形職業だ。

 他国に対して薬品を輸出したり、さらには技術提供ということで薬師という人材そのものを提供することもある。

 そのどれもが高いレートで取引される中、腕のよろしくない「自称薬師」が蔓延るのは花夜国にとっても嬉しくない事態である。それを防ぐために実験的に設置されたのが薬師協会なのだ。薬師同士の横のつながりを強化し、お互いに支え合う協会という意味合い以上に、花夜国の中で薬師協会の果たす役割は大きい。現在では薬師協会の認可を得た薬師しか、「薬師」という肩書きを名乗れないように法で整備されている。そうすることによって、花夜国は自国内の薬師の腕を一定以上に保つようにしているのだ。協会に対して、技術の隠匿、独占だという非難の声もある。それでも、薬師という職業が人の健康に携わり、また花夜国の外交上の切り札でもある以上、薬師の質は保たれなければいけない。

 

 そして――……、今私の目の前にいるこの築有志郎という男は、表だって協会を非難するわけではないが、協会に属していないハグレ薬師の代表のような男なのである。

 

 ハグレでありながら、腕は超一流。

 

 そもそも、薬師協会の認可を受けていない人間に対する法の拘束力はあくまで、「薬師を名乗れない」という部分だ。本来であれば、人々は「薬師」を名乗れないイコール薬師協会からの認定を受けることができないぐらいの実力しか持たない、と判断する。なので、通常ならば商売にならないはずなのだ。

 が、築有志郎にはすでに実績がある。

 協会に所属する正式な薬師ですら匙を投げた患者を救っただの、そういった話を上げればキリがない。

 それ故に、築有志郎が協会に属していない薬師だとわかった上でも仕事を依頼する人間が絶えないのである。

 一番良い解決法としては、実力も実績もある築が大人しく認可を受けて薬師協会に名を連ねること、なのだが……。

 どうやら本人にそのつもりはなさそうだ。

 

 そんな男の前に、私は今立っている。

 薬師協会の会長、四海堂をパトロンに持つ私が、ハグレ薬師の築有志郎の前に。

 

 これだけで、事態がいかにヤバいかを察していただけるかと思う。

 絶対、ロクなもんじゃないと思う、あの手紙。

 

 今すぐ全力疾走で逃げ出して、四海堂を殴りに行きたい。

 なんでもないような顏で、頼みたい仕事があるんだけどいいかな、なんてしれっと言いやがったあの男をぐーで殴りたい。

 四海堂を殴れないとしても、今すぐこの場から逃げ出したい。

 なんせ、目の前にいる築有志郎は、彼があの悪名高き築有志郎だと知らなくとも普通に逃げたいと感じるに違いないだけの禍々しい空気を放っている。


「…………」


 ちょろ、と視線を持ち上げて目の前の男に改めて視線を滑らせる。

 築有志郎に纏わる醜聞は、決して薬師としてのものだけではない。

 依頼人とすら滅多に顔を合わせようとしないほどの厭人癖を持ち合わせながら、それと同時にどこそこの令嬢をこっぴどく弄んだとか、夜の世界の女を喰い物にしただとかそういった色恋沙汰にも事欠かない。

 こうして初めて本人を目の前にして、その噂は本当なのかもしれないな、と。

 そんなことを思ってしまった。


 築有志郎という男は、そういったことが出来そうなだけの魅力を持ち合わせており――…、また同様にそういった非道をしれりとやってのけそうな冷えた眸をしていた。

 

 他人への興味に、ぬくもりが見えない。

 私を睨みつける視線にすら、温度がない。

 この男の「興味」は、きっと子供が玩具を見るのと変わらない。

 「モノ」に向けるのと、同じものだ。

 そんな、気がした。


「……おい」

「……なんでしょう」


 今度は、先ほどの独り言じみた恫喝とは異なり、完全に私への呼びかけだった。

 さすがに二人きりのこの状況で聞こえなかったふりをするだけの心の強さは持ち合わせておらず、私は内心怯みつつも、背筋を伸ばして築へと応じる。

 私はただ手紙を届けに来ただけの一般市民だし、手紙の内容すら知らないので何かされるということはない……、ない…………よ、ね?

 ないと信じたい。


「……はあ」


 築は深く溜息をつくと、背をゆっくりと高そうな椅子の背へと預けた。

 いかにも疲れたという顏だ。

 そして。






「俺はメイドを募集したはずなのに、どうして貴様のような野郎がのこのこ顔を出したんだ?」






 ぴしり、と。

 なんとか平静を保とうと努力していたはずの私の顔面に、盛大なヒビが入る音が聞こえたような気がした。

 頭の中が真っ白になる。

 

 メイド?メイド?えええええ?

 

 別段小難しいことを言われたわけでもないはずなのに、目の前の男が口にした言葉の意味が理解できない。

 私はただ、手紙を届ければいいって頼まれただけで。後は手紙を渡した相手の指示に従えばいいって。

 

 ……えええ、まさか。

 

 それは、もしかして。

 いや、もしかしなくても。

 築の言うことを聞き、成り行きに任せてメイド、もとい使用人として潜り込めということだったりするのだろうか。

 

 四海堂の思惑を理解するにつれ、顏から血の気が引く。

 そんな呆然とした私の様子に、多少溜飲が下がったのか築は口角を持ち上げ意地悪そうに笑いながら、手元に広げていた手紙を見せる。

 そこには確かに「紹介状」なんて三文字が鮮やかに印刷されていたわけで。



「うわァ」



 思わず声が出た。


「――…ハ、お前も騙されてここに寄越されたってわけか?

たかだかヒトケタのメイドを潰したぐらいで人材派遣会社もふざけたことをしやがるな」


 メイドを潰すって何をした。

 つい脳内でツッコミをいれてしまう。

 いろいろ詳しく問いただしたいが、聞いてしまうのも恐ろしい。

 そっとしておこう。

 まあ、そっとしておいた結果、後でもっと怖いことになってしまいそうな気もひしひしとしているのだけれども。

 とりあえず、今わかっていることを整理しよう。

 

 築有志郎は、人材派遣会社泣かせのメイドクラッシャーで。

 私はそこに派遣されてきた新しい使用人。

 

「…………」


 胃どころか、頭まで痛み出した。

 出来ることならば、今すぐここで倒れたい。

 私は――……見事なまでに四海堂にハメられたのだ。

 私がただの手紙だと思っていたアレは、きっと本当に「紹介状」なのだろう。

 

 胃が、痛い。

 

 四海堂は、薬師教会の長だ。

 そして、築有志郎は薬師教会に属さないアンダーグラウンドの一匹狼。

 対立するこの二人の間で、普通に考えて人材の共有などあり得るはずがない。

 すなわち。

 私は、意図的に四海堂によって築有志郎の元に送り込まれたのだ。

 

 おそらくは――……、スパイとして。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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