発端
パジャマから普段着へと着替えて、鏡の前に立つ。
普段は鏡の表面を覆っている布を後にはねのけて、自分の姿を映しだした。
不思議な光沢を放つ黒髪に、白い肌。
二重のはっきりとした双眸は、色素の薄い淡い翠。
既に24歳と成人しているのに、どこか少女めいた繊細な要素が消えないのは、きっと私の欠落がそこにも表れているのだろうと他人事のように思う。
どこか困ったような表情で鏡の中から私を見つめ返す鏡像は、ボーイッシュな少女か、はたまた女顔を少年か、そのどちらともとれる顔立ちをしている。
体格も男にしては華奢で、女性にしては胸がない、といったますます性別行方不明状態だ。
「……はぁ」
溜息をつく。
鏡を見るのはあまり好きではない。
欠陥品である自分の身体を見るのも好きではないし、もう受け入れて諦めたと思っているのに鏡を見るたびに落ち込んでいるのがわかる自分の表情を見るのが、何よりも嫌だった。今も、どこか眉尻を下げて、途方に暮れたような顔をしている。
そんな鏡に映った己の顔の顔に手を押し当て、また深々と溜息。
いつになったら、私は当たり前のように鏡を覗くことが出来るようになるのだろうか。
「雛-?」
四海堂の声が階下から聞こえる。
私が降りてこないので、二度寝でもしているのではないかと訝しんでいるのだろう。
「今行くー!」
そう大きく声をあげて、私は姿見に布をかけると部屋を後にした。
★☆★
ダイニングに降りると、そこではすでに朝食の準備が整っていた。
縦に長いテーブルの奥について、四海堂が私を待っている。
淡い蜂蜜色の髪に、笑みの形に細い双眸。
人当りの良い、いかにも優男といった風貌の男である。
が、そんなのは見た目だけで、実際は非常に喰えない男だということを私は実体験からよくよく知っている。というか、学んだ。
ぱっと見幼げにも見えるのも、トラップである。
本当のところは確か私よりいくらか年上だったはずだ。
「先に食べてても良かったのに」
「せっかくなら雛と一緒に食べたいからね。ほら、座って」
「ん」
促されるまま、私はずらりと長いテーブルの四海堂と対面の位置に腰掛けた。
すぐに給仕を担当するメイドさんが、飴色の磨きこまれた木製のテーブルの上に私の分の朝食を並べてくれる。白と黒を基調にしたクラシックスタイルのメイドドレスに身を包んだ彼女たちは、時代錯誤的でありながら四海堂の屋敷にはとてもよく似合う。華美すぎず、それでいて艶やかな木製の家具で整えられた屋敷の中を、色合いを抑えたメイドドレスが閃くさまには慣れてはいても目を奪われる。
四海堂という男は、こういったことに拘る男なのである。
私は朝食を給仕してくれたメイドさんへと感謝の目礼を送った後、ぱちりと手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
二人分の挨拶が唱和して、朝食が始まる。
「今日の予定は?」
「僕はいつも通りだよ」
「じゃあ俺もいつも通りでいいのか?」
「…………」
私の使った一人称に、ひくり、と四海堂の片眉が跳ね上がる。
が、それを私は気づかないふりで黙殺。
四海堂は何か言おうとして、結局諦めたように話題を変えた。
「雛にね、ちょっと頼みたい仕事があるんだけど……お願いしてもいいかな?」
「頼みたい仕事?」
「そうなんだ。ちょっと、届けて欲しい手紙がああって」
「手紙?」
私は訝しげに繰り返して視線を持ち上げる。
現在の私の仕事は、四海堂のアシスタントのようなものだ。なので、四海堂が私に仕事を言いつけること自体は特に珍しいことではない。だが、手紙を届ける、というのは今までにないタイプの仕事だ。私が逃げることを警戒しているのか、それとも私に何かあるのを嫌ってか、四海堂はあまり私を傍から放したがらない。過保護なのである。
「俺が、届けに行くの?」
「そう、雛に頼みたいんだ。大事な書類だから、信用できる人間に手渡しで届けて欲しくて」
信用できる人間。
さらりと言われた言葉に、ほんの少し胸が暖かくなった。
「いいよ、そういうことなら預かる」
「良かった、ありがとう雛。届けたら、後は相手の指示に従ってくれた良いから」
「わかった。届け先は?」
「朝食が終わったら手紙と一緒に渡すよ。ああ、そうそう。今日はその仕事が終わったら先に帰っていてくれる?」
「合流しなくてもいいのか?」
「うん。たぶん、そっちも結構時間もかかると思うから、今日はそれだけ」
「了解」
時間がかかる、ということはここから離れたところまで行くことになるのだろうか。私の単独行動を好かない四海堂にしてみたら、本当に珍しい。
もしかしたら、相当厄介な何かがあるのかもしれない。
私は、朝食を口に運びつつ、四海堂に気付かれないように小さく息を吐く。
この四海堂という男は、とことん過保護な一面を持ち合わせつつ、その一方で私に厄介ごとを押し付けることを何よりの趣味にしている。
曰く、「雛は困った顔をしているときが一番可愛い」らしい。
マジ迷惑である。
「…………」
ちらり、と様子をうかがってみる。
「何?今朝も見惚れちゃうほど男前?」
四海堂は朝から絶好調だった。
いや、絶好調というよりも通常運転というべきか。
「…………」
あえての無言で、トーストを頬張って黙殺。
出来ることならば、この「お願い」自体もスルーしてやりたいところだが、それは私の置かれている状況が許さない。
四海堂は私のパトロンなのだ。
後見人、という言い方もできる。
仕事を手伝っている、という態こそあれど、私の生活の全ては四海堂の援助の元に成り立っている。血縁でもない私が、裕福な独身男性である四海堂と一つ屋根の下でくらしているのも、そういった事情からだ。
そんなわけで、基本的に私は四海堂には逆らえない。
「御馳走様。僕はもう行くけど、雛はゆっくりごはんを済ませてから出掛けると良いよ。ああ、これがその手紙ね。住所はこっちの紙に書いてあるから」
上品に口元を拭って立ち上がった四海堂が、私の元までやってきて懐から取り出した一通の封筒を渡す。なんの変哲もない、真っ白な封筒だ。わざわざ住所が別の紙に書いてあるあたりが、なんとなく嫌な感じである。最初から、人に持たせることを前提にして書かれている。いや、もしくは私に持たせることを前提に、と言うべきだろうか。
「それじゃ、頑張ってね」
頑張らないといけないような内容なのか。
そんなことを思いつつも、とりあえずは「いってらっしゃい」とおとなしく私は四海堂を見送る。
「それじゃあまた夜にでも」
そんな挨拶を残して、四海堂はすたすたとダイニングを出て行った。
いろいろと忙しくしているのだろう。
何せ、四海堂はこの花夜国でも三本の指に入る実力を持った優秀な薬師だ。
大陸の東に位置するここ、花夜国では、他国では科学の発展の中廃れていった薬学や錬金術というものが大いに発展している。四海堂の屋敷を見渡してもわかるよう、科学の産物である電化製品は当たり前のように生活の中に溶け込んでいるし、その一方で四海堂は薬師として他国の人間から見れば、オカルトじみた事象を鮮やかに操って見せる。
花夜国では、科学の進歩と古の学問とがほどよく混じりあい、共に発展を遂げているのだ。
その中でも、豊かな自然の恵みを基盤に発展した薬学は他国の追随を許さない。そして、そんな薬草や薬を扱った貿易や、国内における薬師としての職を独占、管理しているのが薬師協会と呼ばれる団体だ。その協会から認定されていない限り、この花夜国では薬師を名乗ることが許されていない。
そして、四海堂はその薬師協会の若き長でもあるのである。
そりゃ忙しいわけだ。
私はのんびりと朝食の残りを片付けつつ、ちらりと四海堂から渡された住所の書かれた紙へと視線をやる。
時間がかかる、ようなこと言っていたわりに、そこに書かれた住所はここからそう遠くはない。
食事が済んだら――……、出掛けてみるとしようか。
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