第二話 名前のない手配書
カーヴァンは、匂いと音がいっぺんに押し寄せる町だった。
油の焦げる匂い。香辛料の刺激。鎖の擦れる音。荷車の軋み。人の声まで、急いでいる。
通りは広いのに、流れが速い。
肩がぶつかりそうになるたび、人は謝らず角度だけ変える。止まらないことが、この町の礼儀だ。
「……俺の記憶と違う」
無双は、視界いっぱいに動く荷を追って息を吐いた。
カーヴァンはもっと田舎町だったはずだ――そう言い切れないのが腹立たしい。
“はず”を支える記憶が、薄い。
目覚めてから三年。
研究所から、ここまで離れた町へ出たのは初めてだった。
目的は人探し。
それだけは揺らがない。
腹が鳴った。
「……タイミング最悪」
無双は匂いに逆らわず、屋台の角へ入った。熱と煙が固まっていて、そこだけ昼みたいに明るい。
串肉の油が弾け、鍋が鳴り、鉄板が忙しく音を立てる。
焼きそばの屋台で足が止まる。
店主のおっちゃんが一拍だけ手を止め、無双の首元を見た。理由は分からない。すぐに何でもない顔に戻る。
「一つ」
硬貨を置くと、おっちゃんは無言で麺を返した。ヘラの動きが速い。慣れている。
紙皿を受け取った瞬間、湯気が顔に当たって、少しだけ気が緩む。
無双は樽に腰を下ろした。
一口目。熱い。うまい。
二口目――と行きたいのに。
周りの声が、ひとつだけ低くなった。
「……手配書、増えたな」
「――レッドオーガも、生きてるみたいだぞ」
「やめとけ。あれに手を出した奴は殺されるぞ」
言い終えた男が、笑うふりをして喉を鳴らした。
笑いになりきらない音が、やけに耳に残る。
無双は麺を噛んで飲み込む。
「……俺らは、殺しはしねぇ」
自分に釘を刺すみたいに呟いて、二口目へ――
首筋が冷たくなった。
金属が触れている。刺さってはいない。触れているだけ。
無双は箸を止めず、麺をもう一口運んだ。
「動くな」
背後の声は低い。近い。剣の気配。
無双は首だけ少し傾ける。
「?」(もぐもぐ)
「動くなと言っている」
無双は紙皿を見た。
この距離で脅す理由なんて一つしか思いつかない。
「欲しいのか?」
「ああ……欲しいさ」
無双は紙皿を少し差し出した。
「おい。……なんの真似だ?」
「食うか?」
「……俺を誰だと思ってる」
無双は真顔のまま言った。
「腹減ってる人?」
数拍。
剣先が、ほんの少し震えた。
「……殺す」
刃が走る。
無双は肩をずらした。跳ばない。避けたというより、通す。
剣先が頬の前を冷たく抜けて、紙皿の湯気だけが揺れた。
「っ……!」
二撃目が来る。速い。
無双は噛んで、飲み込む。箸も紙皿も落とさない。
横薙ぎ。
無双は半歩、内へ入った。
距離が潰れる。刃の怖さが消える。
「な――」
男が引こうとした、その前に。
無双の右手が短く動いた。
握り込まない。振りかぶらない。
ただ真っ直ぐに――腹。
ぼふっ。
情けない音がして、男の体が折れた。息が抜け、剣が石畳に跳ねる。
膝から崩れて、樽に肩をぶつけて落ちた。
無双は紙皿を守るように少し引いて、男を見下ろす。
「……すまん。もう少し加減すればよかったか」
男は返事をしない。呼吸だけが浅い。
その瞬間まで――周りは、何も見ていなかった。
「ボウズ、強ぇな」
屋台のおっちゃんが、ヘラを持ったまま言った。驚いているのに騒がない。
無双は紙皿を持ち上げて見せる。
「……だろ?」
おっちゃんが小さく笑う。
「目立ちすぎるなよ」
無双は倒れた男の襟を軽くつまんで、少しだけ持ち上げた。
「……何で襲ってきた」
男のまぶたが震えた。声がかすれる。
「……掲示板……」
「掲示板?」
「……金……」
「金?」
「……ボムスン……」
その名前が落ちた瞬間、咳払いが一つ鳴った。
周りの気配が、さらに遠のく。
男はそこで意識を飛ばした。
無双は男を寝かせ直し、剣を足で遠ざける。余計な血は出したくない。
おっちゃんが小さく息を吐いた。
「……やっぱりな」
「何が」
おっちゃんは声を落とした。
「掲示板に貼られてるぞ」
「何が」
「手配書」
無双は一瞬、意味が分からなかった。
「……俺が?」
「“お前に似た顔”がな」
それだけ言うと、おっちゃんは鉄板に向き直って、麺を返す。
さっきの喧嘩が無かったみたいな手つきだった。
無双は紙皿を丸め、息を吐いた。
中央広場は人が多い。
両替屋の前に列ができ、荷車が左右から入り、役所の窓口へ急ぐ男が駆ける。
その真ん中に掲示板があった。ギルドの依頼と違い、一般人にも目立つように大きな紙が貼られている。似顔絵つきで。
無双が近づくと、周りの人間の視線が一度だけ揃った。
驚きじゃない。値踏みだ。
中心に、新しい紙が一枚。
商会の紋と、大きな文字。
貿易商 ボムスン
名が大きいのに、周囲は小声でしか読まない。
大声にすると面倒が降ってくる――そんな沈黙。
内容。
指名手配 DEAD OR ALIVE
報酬の数字が異常だった。
そして、顔。
黒髪。目。輪郭。
――自分に、似ている。
無双は無意識に頬へ指を当てた。確かめても意味はないのに。
名前の欄は空白。
代わりに特徴が並んでいる。
「黒髪/年少」
「素手で護衛複数名を無力化」
「積荷への襲撃・強奪/業務妨害」
端に、小さな追記。
注:年少(鬼の血族の疑い)。子どもと侮るな。
複数人での捕縛を推奨。
無双は紙を見つめたまま息を吐いた。
「……誰だ、これ」
その吐息に重なるように、研究所を出る直前の声が戻ってくる。
***
ヴァレンはあの時も、いつも通り淡々としていた。
「お前も、簡単には死なない程度には強くなった」
無双は笑って返すつもりだった。
口は動いたのに、声が少しだけ掠れた。
三年の感触が、まだ骨の奥に残っている。
「ああ、おかげさまでな」
ヴァレンは頷きもしない。確認のように目を細めるだけで、次を言った。
「布武と合流するために、カーヴァンに向かえ」
「そこに、布武がいるのか?」
ヴァレンは一拍だけ止まった。
考えているのか、最初から決めているのか分からない間。
「さぁな。だが、いる」
***
無双は掲示板の紙から目を離せなかった。
ヴァレンの予想、当たりすぎだろ。
……あいつ、マジで未来でも見えてんのか。
通りの向こうで、何かが割れる音がした。
次に聞こえたのは、怒鳴り声じゃない。
獣の、唸り声。
人の流れが、いっせいに散った。
無双は顔を上げる。
――今、何が来た?
(第二話・終)




