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レッドオーガ ―不殺の鬼の名を継ぐ、白き鬼―  作者: うみぐま


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第十話 竹田の里

 港を離れて間もなく、無双《むそう》は思わず声を上げた。


「……速すぎだろ!」


 風が顔を叩く。


 バンブーが一歩踏み込むたび、夜道が後ろへ飛んでいった。


 無双と布武《ふぶ》を両肩に担いでいる。


 それなのに、速度が落ちる気配がない。


「なあ! 竹田《たけた》の里って、まだ先なんだろ!?」


「ああ!」


「二人担いでんのに、この速さで走り続けられんのかよ!」


「早く着いた方が休めるだろ!」


「それはそうだけど!」


 言い返しながら、無双は反対側を見る。


「……布武?」


 長い黒髪が、風に流れている。


 本人は――目を閉じていた。


「……おい」


 返事はない。


「寝てる?」


「…………」


「この状態で!?」


 片目が、うっすら開いた。


「……なに?」


「なんで寝られるんだよ!」


 布武は眠そうに瞬きをする。


「休める時に休む訓練をしたから」


「今を『休める時』に入れていいのか?」


「戦場だと、眠れるかどうかで死ぬから」


「…………」


 無双は黙った。


 布武はもう一度目を閉じる。


「着いたら起こして」


「本当に寝るのかよ……」


「朝までしかないもの」


 その一言だけは、妙にはっきりしていた。


 それきり、返事がなくなる。


「……早ぇな」


「お前も寝とけ!」


 前からバンブーの声が飛んできた。


「この速さで寝られるか!」


「根性が足りねぇ!」


「根性の問題かよ!」


 バンブーの笑い声が夜道へ響いた。


 走る。


 森を抜ける。


 坂を上る。


 谷沿いの道へ出ても、その足取りはほとんど変わらない。


 無双は途中から、どれだけ進んだのか考えるのをやめた。


 木々の隙間から見えていた潮継《しおつぎ》の明かりも、いつの間にか消えている。


 聞こえるのは、風と足音。


 そして時折、布武の静かな寝息。


「……ほんとに寝てるし」


 無双は呆れながらも、少しだけ笑った。


     ◇


「着いたぞ」


 バンブーの声に、無双が顔を上げた。


「……もう?」


 さっきまで流れていた景色が止まっている。


 布武も、ゆっくりと目を開けた。


「……着いた?」


「よく寝てたな」


「少しは」


 布武は何事もなかったように答える。


 無双は前を見た。


 そして。


「……でか」


 思わず声が漏れた。


 山の中に、灯りが連なっている。


 石垣。


 幾重にも重なる屋根。


 広い道。


 夜だというのに、まだ人の姿もあった。


 どこかから、煮炊きの匂いが流れてくる。


 鍋を片づける音。


 遠くで誰かが笑う声。


 家へ戻っていく人々。


 無双が想像していたのは、山奥に隠れた小さな集落だった。


 だが。


 目の前にあるのは――どう見ても町だ。


「これ、里って規模じゃねぇだろ……」


 バンブーが鼻を鳴らす。


「名前に騙されたな」


「騙されたっていうか……」


 無双は灯りの向こうまで目を凝らした。


「普通にでけぇ」


 布武も黙って町並みを見ている。


 眠気は、もう消えていた。


 竹田の里。


 無双が思い描いていたものとは、最初からまるで違っていた。


     ◇


 バンブーが再び歩き出す。


 無双と布武を担いだまま、石垣に挟まれた道を進んでいく。


 無双は頭上を見上げた。


 立派な石垣。


 その上に、家々の灯りが続いている。


「なあ」


「なんだ」


「これだけ石垣があるなら、城もあるのか?」


 バンブーは前を向いたまま答えた。


「ねぇよ」


「ないのか?」


「昔の戦でなくなった」


 あまりにもあっさりした返事だった。


 無双はもう一度、石垣を見る。


 城があったと言われれば、確かにそう見える。


 けれど今、その上にあるのは城ではない。


 家。


 店。


 人の暮らしだった。


「建て直さなかったのか?」


「城なんぞに籠もったら、下で何やってるか分かんねぇだろ」


「……里長なのに?」


「だからだよ」


 無双は少しだけ考えてから、前を向いた。


「変わってんな」


「よく言われる」


 石垣の間を抜ける。


 そこで、空気が変わった。


 炊いた米の匂い。


 焼いた肉の脂。


 湯気。


 どこかで鳴る食器の音。


 店先を片づける者。


 桶を抱えて家へ急ぐ者。


 まだ遊び足りないのか、子どもを追いかける大人。


 少し離れた場所では、鉄を打つ乾いた音も残っている。


「……まだこんなに人いるのか」


 無双が辺りを見回す。


 人族だけではない。


 角のある者。


 耳の長い者。


 古傷の残る男。


 片腕が義手の女。


 いろんな姿の者が、同じ道を行き交っている。


 誰も、それを気にしていない。


 そして。


「オヤジ、おかえり!」


 若い男が大きく手を振った。


「早かったじゃん!」


「港どうだった!?」


 別の家先からも声が飛ぶ。


「バンブー、怪我人は?」


「潮継は大丈夫なのかい?」


「ああ。まだ片づいちゃいねぇが、バルスターが残ってる」


 バンブーが歩きながら答える。


 すると今度は、無双たちへ視線が集まった。


「……で、その二人は?」


「また拾ってきたのか、オヤジ」


「拾ってねぇ」


 バンブーが即答する。


「連れてきた」


「大差ねぇじゃん!」


 笑い声が上がった。


「怪我してるの?」


「湯、まだあるぞ」


「飯は?」


「医者呼んだ方がいいんじゃないか?」


 次々と声が飛んでくる。


 無双は目を瞬いた。


「……なんで、みんな勝手に話進めてんだ?」


「いつものことだ」


 バンブーは平然としている。


「いつもなのかよ」


 反対側で、布武が小さく息を吐いた。


「……ずいぶん賑やかなところね」


「嫌いか?」


 バンブーが聞く。


「別に」


 布武は周囲を見る。


 ほんのわずかに、表情が緩んだ。


「静かすぎるよりはいいわ」


「だろ?」


 バンブーが笑う。


 道を進むほど、声をかけてくる者が増えた。


「オヤジ、あとでこっちも見てくれ!」


「バンブー! 明日の荷、確認頼むよ!」


「分かった分かった! 一度に言うな!」


 そう答えながらも、バンブーは誰の声も無視しない。


 無双は肩の上から、その様子を眺めていた。


 やがて。


 大きな古民家の前で、バンブーが足を止めた。


「着いたぞ」


「ここ?」


「ああ」


 無双は首を傾げる。


 里長の家と聞いて、もっと立派な建物を想像していた。


 確かに大きい。


 太い柱。


 広い土間。


 長い縁側。


 だが、威張ったところがない。


 何度も直しながら使われてきたことが、木の色だけで分かる。


 しかも。


 戸を開ける前から、中は騒がしかった。


「オヤジ帰った!?」


「港どうだった!?」


「飯残ってるぞ!」


 戸が開く。


 大人も子どもも、一斉に顔を出した。


 無双はしばらく、その光景を見ていた。


「……ここ、あんたの家だよな?」


「そうだ」


「なんでこんなに人いるんだよ」


「勝手に集まってくんだよ」


「それでいいのかよ」


「別に困らねぇ」


 バンブーの豪快な笑い声が、家の中へ響いた。


     ◇


「ガッハッハ! 細けぇことはいいんだよ!」


「細かくないだろ……」


 ようやく肩から下ろされ、無双は床へ足をついた。


「……地面っていいな」


 一歩踏み出す。


 膝の奥が、ずしりと重い。


「とりあえず座りな」


 年配の女が、二人の返事も待たず座布団を置く。


「飯、まだ残ってるよ」


「湯も沸いてるぞ」


「その前に傷見せな」


「待って待って」


 無双は両手を上げた。


「俺たち、今来たばっかだぞ?」


「だからだろ?」


「腹減ってないの?」


「その格好で?」


「…………」


 無双は言葉に詰まった。


 名前も。


 どこから来たのかも。


 誰なのかも聞かれない。


 先に出てくるのは、飯と風呂と怪我の話ばかりだ。


「……変なとこだな」


「聞こえてるよ」


「悪い意味じゃなくて!」


 また笑われた。


 そのとき。


「――あっ!」


 奥から、聞き覚えのある声がした。


 無双が振り返る。


「ん?」


 ばたばたと足音を響かせ、一人の少女が顔を出す。


「やっぱり、あんたたちだ!」


「……朱里《しゅり》?」


「正解!」


 朱里が嬉しそうに駆け寄ってきた。


「なんでここにいるんだ?」


「なんでって、ここ私の帰るとこだもん」


「そうなのか?」


「そうなの!」


 朱里は胸を張る。


 そこで、ふと首を傾げた。


「……あれ?」


「何だよ」


「そういえば私、二人の名前ちゃんと聞いてない!」


「今さら!?」


「だって港じゃそれどころじゃなかったし!」


「まあ、それはそうだけど」


 無双は自分を指さした。


「俺は無双。天下《あました》無双《むそう》」


「無双!」


 朱里がすぐに繰り返す。


 布武も短く続けた。


「私は天下《あました》布武《ふぶ》よ」


「布武!」


 朱里は二人を交互に見る。


「無双と布武ね。覚えた!」


「早いな」


「名前くらい覚えられるよ!」


「そういう意味じゃねぇよ」


 朱里はもう気にしていない。


「二人とも、すっごい汚れてるけど」


「あれから、いろいろあったんだ」


「怪我は?」


「大したことない」


「布武は?」


「私も平気よ」


「平気って言う人ほど平気じゃないって、オヤジがよく言ってる!」


「余計なこと教えてるわね……」


 布武が小さく息を吐く。


     ◇


「食え」


 無双の前へ、大きな椀が置かれた。


「……でかくない?」


「足りなきゃ言え」


「これ以上あるのかよ」


 湯気と一緒に、肉と野菜の匂いが上がってくる。


 腹が鳴った。


「…………」


 朱里がにやりとする。


「お腹減ってるじゃん」


「何も食べてなかったからな」


 箸を取る。


 一口。


「……うまっ」


「でしょ!」


「なんで朱里が得意げなんだよ」


「竹田の里のご飯だから!」


「作ったのお前じゃねぇだろ」


 向かいでは布武も静かに食べ始めていた。


「……おいしいわ」


「布武は分かってる!」


「何を?」


 無双の肩から、少しずつ力が抜けていく。


 温かい飯。


 湯気。


 笑い声。


 港の煙と炎が、ようやく少し遠くなった気がした。


 ふと、無双は周囲を見回す。


 さっき道で見た者たちと同じように、この家にもいろんな者がいた。


「なあ、朱里」


「ん?」


「さっき港でも思ったけど、バルスターたちって何なんだ?」


「何って?」


「運び屋だけじゃないだろ。港でもいろいろやってたし」


「ああ!」


 朱里は箸を置いた。


「《荒城《こうじょう》の月》のこと?」


「荒城の月?」


 初めて聞く名前だった。


「私たちのギルド! 潮継にも仲間がいるの」


「運び屋だけじゃないんだな」


「必要ならな」


 いつの間にか、バンブーが近くに座っていた。


「運びもする。用心棒もする。火が出りゃ消す。揉めりゃ間に入る」


「それ、ギルドの仕事なのか?」


「仕事が先に決まってるわけじゃねぇ」


 バンブーは湯呑みに口をつける。


「困ってるなら、できる奴がやる。それだけだ」


「……へぇ」


 無双はもう一度、家の中を見る。


 港で走り回っていたバルスター。


 人を運んだ朱里。


 さっき声をかけてきた里の者たち。


 少しだけ、つながった気がした。


「だから潮継も、あんたたちが守ってるのか?」


「守るっつーほど大層なもんじゃねぇよ」


 バンブーは肩をすくめる。


「放っとけねぇだけだ」


 無双は一瞬黙る。


 それから、小さく笑った。


「……なんか、分かる気がする」


「だろ?」


「そこまで似てるとは言ってねぇ」


「ガッハッハ!」


 また大きな笑い声が響いた。


 布武は食事を続けながら、そのやり取りを静かに聞いていた。


 やがて椀を置く。


「ごちそうさま」


「もういいの?」


「ええ。十分よ」


 立ち上がろうとした布武へ、年配の女が指を向ける。


「次はお風呂!」


「え?」


「二人とも煤だらけ。話はそのあと!」


 有無を言わせない。


 無双が布武を見る。


「……この里、みんなこんな感じなのか?」


 布武は小さく息を吐いた。


「たぶんね」


 その口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。


     ◇


 湯から上がる頃には、家の中の騒がしさも少しだけ落ち着いていた。


 さっきまで聞こえていた食器の音も減っている。


 外では店じまいをする音がして、道を行き交う人の声もまばらになっていた。


 無双は用意された着替えに袖を通し、大きく息を吐く。


「……生き返った」


 身体が温まったせいか、逆に疲れがはっきり分かる。


 肩が重い。


 脚もだるい。


 無双は何気なく、右手を握って開いた。


 まだ、わずかに痺れる。


「バンブーの言ってたこと、間違ってなかったな……」


 廊下の向こうから足音がした。


 振り返ると、バンブーが立っていた。


「分かったか」


「聞いてたのかよ」


「聞こえたんだよ」


「……まあ、いいけど」


 バンブーが笑う。


 その目が、無双の右手へ落ちる。


「痛むか?」


「少しだけ」


「なら寝ろ」


「そればっかだな」


「休ませるために連れてきたんだから当然だろ」


 確かにそうだった。


「布武は?」


「もう部屋にいる」


「寝てる?」


「さあな」


 無双はなんとなく想像できた。


「……起きてそうだな」


 バンブーは何も言わなかった。


 代わりに無双の肩を軽く叩く。


「朝になったら起こす」


「いろいろありがとう」


「いいってことよ」


 それだけ言って、バンブーは廊下の奥へ消えていった。


     ◇


 通された客間には、すでに布団が二つ敷かれていた。


 布武は窓際に座り、外を見ている。


 洗った長い黒髪が、背中へ流れていた。


「やっぱ起きてた」


 無双が入ると、布武が振り返る。


「湯はどうだった?」


「最高」


「そう」


「布武は?」


「悪くなかったわ」


 無双は布団の上へ座った。


 窓の外。


 竹田の里の灯りは、来た時より少なくなっている。


 それでも、完全には消えていなかった。


 遠くで戸を閉める音。


 見回りらしい足音。


 どこかの家から、小さな笑い声。


 夜が深くなっても、誰かの暮らしが残っている。


「……変な感じだな」


「何が?」


「分かんない」


 無双は窓の外を見る。


「初めて来たのに、あんまりよそに来た感じしねぇっていうか」


 布武も外へ目を向けた。


「みんな距離が近いからじゃない?」


「近すぎるくらいだけどな」


「それはそうね」


 二人とも少し笑った。


 短い沈黙。


 無双は布武を見る。


「まだ、行きたい?」


「ええ」


 即答だった。


「……だよな」


「でも」


 布武は自分の手を見た。


「朝までは休むって約束したから」


「珍しく素直だな」


「約束は守るわよ」


「そこは真面目なんだな」


「そこ“も”よ」


「自分で言うのかよ」


 布武の口元が少し緩んだ。


 無双はそれを見て、布団へ倒れ込む。


「朝になったら行こう」


「ええ」


 無双は目を閉じる。


 外から聞こえる音も、少しずつ減っていく。


 風が屋根を撫でる。


 遠くで一度だけ、見回りの声。


 それから、静かになった。


「無双」


「ん……?」


「おやすみ」


 無双は目を閉じたまま、少し笑う。


「……おう」


 今度は、眠りを邪魔するものはなかった。


(第十話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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