【8】泥沼
「聖戦士伊津直久、これより貴下の指揮に入る。 よろしく頼むダグレイス辺境伯」
「こちらこそ、あー、あっ、よろしくお願いします」
まだ目をぱちくりと瞬かせて俺を見る彼の手を握って、俺は挨拶を終わらせた。
「敬語は苦手か?」
「はは、田舎者ですから、どうにも」
「俺もだ」
どうにも目上の人間に接するのが苦手といった風な男……といっても俺も殿上人らしく振舞うことなどなかったから、その身なりなど身についていないのだけれど。
「聖戦士などと思わずただの兵士だと思って使ってくれ、俺はそのつもりだ」
「う~む……そうですか」
これで面通しは終わり俺は彼の部隊として、このリレーアの防衛を担うことになったわけだが……。
(どうにも、はっきりしないな)
確かに俺はアーニアルから聖戦士として独立した権限を与えられている、それは彼、辺境伯と比べても特別なものだろう。
王に最も近い臣下としてその権威は非常に高いものだというのは間違いない。
だが、ここにおいてはそれが少々問題になる。精強なる軍において、権威と役職というものは別でなくてはならないからだ。
「ダグレイス伯、現在の状況をわかる範囲で教えてくれ」
「わかりました……オイ!タニング、地図だ!」
こうして部下に指示を出す姿と、俺に接する姿がまるで違う、それではいけない。
俺は確かに彼と比べて、彼より少し上の立場の人間だろう。だがこのリレーアにおいてはまるで右も左もわからない新人だ。
古参のダグレイスを追い越して俺が指揮を執るような事体に陥れば、どうなるかは想像に難くない。
「……」
どうしたものか、そういう概念をどう教えたものか。
「これです、見てください」
「あぁ」
軽くそういう風にたしなめたつもりだったが、ダグレイスの態度は変わらず、やはり俺に遠慮している様子がうかがえる。
このリレーアの防衛の責任を負っているのは彼であって、俺はあくまで増援に過ぎない、その認識がされていなければ俺という戦力を正しく使うことが出来ない。
「我がリレーアの一次防壁にて未だバイバレスの侵攻を押しとどめられておりますが……やはり寡兵はどうにもなぁ……おっと、破られるのも時間の問題ってとこですな」
「壁はまだあるようだが、兵を引かせて立て直すわけにはいかないのか?」
「夜中に引くことも考えましたが、あいつらはそうはせんでしょう。 ここは自分たちの故郷です、故郷を奴らに蹂躙されるくらいならば、壁に噛みついてでも死にまさぁ」
「……士気は十分というわけか」
これがダグレイス個人のものであるならばまだマシだが、現場にまで波及して俺とダグレイス二つの指揮系統が出来上がってしまったらまずい。
みだりに現場が混乱してし、本来ならば空かぬ穴が開かれることになる、そうなれば防衛もまた難しくなってくる。
そのことにダグレイスが気づいてくれればいいのだが……そういう気配はなさそうであるし。
「そうだ」
「どうした?」
そんな俺の今一つまとまらない考えの上から、彼の良く通る声が降ってくる。
「聖戦士様に一人紹介したいのがいましてね」
「紹介にあずかろうか、誰だ?」
そこまで言って苦笑い、ダグレイスはまたハゲ頭をなでながら、机から離れると、その方向へ目をやった。
「いや何、このむさくるしい男所帯に一輪の花徒でもいいましょうや……女がいましてね」
「俺はそういうのは」
「ちげぇんでさ」
断ろうとしたところにダグレイスが言葉を重ねてくる。その視線は相変わらずこの部屋の天井……恐らく二階を見ていた。
「そいつ、魔術のこと学んでましてね。 聖戦士殿のお役にもたつと思うんですよ」
「ほぉ」
山の民以外に使える人間がいるとなればそれは心強い、何せ俺は未だにそれに対しての知識がまるでないのだから。
「いやなに」
ダグレイスがもう一度大きな手を自分の頭にたたきつけ、部屋の中には大きな破裂音。
「俺の娘なんですがね?」
背中に感じる視線に振り返れば、まるで笑っていないパラダの笑顔が俺を見ていた。




