【33】契闊
いつから居たかだって?
決まっている、最初からいたんだ。
アーニアルが戻るずっと前から俺はここに入り込み、そして身を隠して、アーニアルの元を訪れる人間が途切れるのをひたすら待った。
そうして今こうして奴と俺は二人きり、ここで対峙している。
彼の時代を終わらせるために現れた影の住人、きっと他人が見ればそんなところだろう。
俺の目を見る奴の瞳は、何一つ曇りのない光に満ちている。
そこには後ろめたさも感じさせない、むしろ慈しみすら感じてしまう垂れた目。
(こういう奴は強いな)
人の上に立つ人間として悩まぬものほど適性のある人間はいない。
悪徳を行うことに怯えて広く視野を持てぬ人間に、人を支配することできないし、された方も不幸である。
「あの女は俺の切り札だ。 お前をいつでも殺すことが出来る」
俺を殺そうとも何をしようとも、女王が自発的にアーニアルの元へ戻ることはない。
彼女がこの世界のどこかで生きているということは、簒奪者であるこいつにとって唯一とも言っていい弱みなのだ。
「そんな面倒なことをしなくてもお前が指先一つ動かせば私は死ぬぞ」
にやりと笑いながら指先を俺の前で振るアーニアルの挑発。殺せないとわかっているからこそのものだが、胆力のある奴だと思う。
「お前のような男は殺したところで死なない奴だ」
「そうか? 死んだことがないからわからない」
人を騙したというのに、そうして無邪気さすら感じるような笑顔を浮かべるアーニアル。
それは悪辣だとか、悪徳の発露だとか言われるものに違いない。他者を害してそれでいて何一つ悪びれないのは邪悪なのであるから。
「死んだらお前の弱みもなくなる、だから殺さない」
「なるほど、その見方はなかったな。 私に有利な交渉材料を握っているから私を生かしておく、なるほど筋が通っている」
邪悪こそが人の上に立つものであるなら、こいつはまさしく“真実の王”だろう。
「何が望みだ、イヅ」
俺たち“使われるモノ”を“使うモノ”。“真実の王”たちはいつも俺たちに涼しい顔をしてナイフを突きつける。
だから別にアーニアルに対して怒りを覚えているというわけではない、“今更”だからだ。
俺たちの命の価値など、書類一枚そろってさえいれば右から左へ移される、そんな粗末なもの。だったら何でアーニアルに憎しみなど沸くものか。
今更だ。
「一つだけ」
深く息を吸い込み、彼の深い緑の瞳を見つめる。
「俺たちは対等だ、違うか」
俺たちと王の間にあってはならないもの。
それは虚偽だ。
「だったら二度と嘘をつくな、情報が信用出来なくなれば動けなくなる」
結果的に情報が間違っていて仲間が死んだこともある。だがそれは結果的にそうなってしまっただけで、例え表面上そうであるだけだとしても俺たちは信じるモノのために戦ったんだと言える。
「俺とお前の間にあるのはただ一つ、真実だけだ」
最初から捨て石にされるなどごめんだ、例えどれだけ無価値な存在であろうとも、それだけは引けない。
俺たちの戦いの意味まで失われてしまうから。
「……わかった、約束しよう」
アーニアルの瞳に移る蝋燭の炎が揺れていた。その表情からは相変わらず何を思い浮かべているのかわからず、ただ無が存在するばかり。
「女王はいつ戻る」
ゆっくり息を吐いて扉から体を離した俺は、そう呟く彼に振り返りもせず扉を開く。
「信用が生まれたらだ」




