8 体育祭のようです。 後編
そんなわけで、雨天以外は毎朝練習をこなしていたら、あっという間にやって来ました体育祭当日。
お日柄も良く、絶好の運動日和だ。初っ端にあった応援合戦のお蔭で生徒達の士気も充分に高まっている。皆の者合戦じゃー。
「《次は二人三脚です。出場する生徒は入場門まで集まって下さい。繰り返します、次は──》」
お、遂に出番が来た。アナウンスを聞いた私は入場門へと向かう。
「あ、椿野さん!」
人混みの中、私を見つけた梅澤君が手を振って呼んでくれた。
「今日まで練習してきた成果、バッチリ見せてやろうよ!」
「うん、目指すは一位だもんね。頑張ろう!」
二人で笑い合って軽く拳をぶつけ合う。梅澤君とは随分仲良くなった。……でも、悠太のライバルなんだよなぁ。いつか争わなきゃいけないと思うと複雑な気分になる。
(……って、駄目だ! 今日はそれよりも二人三脚!)
まだ真奈美ちゃんはいないんだし、そこまで気にしなくても大丈夫だよね。今日は梅澤君と力を合わせて一位を勝ち取るんだ!
気合を入れた私達は入場門を潜り、選手待機の位置に着く。私達の出番は三番目だから、まだ少し時間はある。
「……あのさ、椿野さん」
係りの子から渡された紐で二人の足を結びながら梅澤君がぽつりと言う。
何だろうと首を傾げて先を促せば、梅澤君は私をちらりと見てから、はにかむように笑った。
「その、もしも一位取ったら、お願いがあるんだけど……」
「お願い? 何?」
「一位取ったら言うよ。大したことじゃないし、さ」
そう言われると凄い気になるなぁ、でも梅澤君の事だから無理難題は言ってこないだろうし。
「分かった、じゃあ一位取ったら教えてね。私に出来る事なら聞くよ」
「本当!? やった!」
私の返事を聞いた梅澤君はパッと目を輝かせてガッツポーズをした。そんなに喜んでもらえると、まだお願いを叶えてもいないのに達成感を感じてしまう。
と、そんな会話をしている間に私達の番が回って来た。スタートラインに着いた私達を観客の視線と歓声が迎える。
(緊張するなぁ……)
心臓の鼓動が速くなっているのを感じる。
あれだけ練習したんだから大丈夫だと思うけど、やっぱり緊張しないっていうのは難しいみたいだ。
そんな事を考えながら何気なく周囲を見たら、近くの観客席に見慣れた顔があった。
(……は? 悠太!?)
アイツ、クラス別観客席にいないと思ったら、そんな所で何してんの!?
予想外の事に私が驚いていると、悠太は何やら口を動かした。何を言っているのかと目を凝らす。えーと、なになに……?
──がんばれ、ちさ。
「……!!」
分かった途端、顔が少し熱くなった。私の読み間違いかもしれないけど、うん、多分合ってる。
くそう、緊張とは別に胸がドキドキしてしまったじゃないか、悠太め。いつの間にそんな技を身に付けたんだ。
(でも、嬉しいな)
お蔭で緊張も解れた。
それと同時に「位置に着いて」の声が掛かる。
「頑張ろうね、椿野さん」
「うん」
ようい、──ドン!
パンッと銃声が響いたと同時、私と梅澤君は「せーのっ」と声を合わせて足を踏み出す。一歩目が綺麗に合えば、あとはもう掛け声に合わせてひたすら走っていくのみ。いっちにいっちに。
他の走者がどのくらいのペースか見る余裕までは流石に無いけど、多分私達が今のところ一位だ。よし、このまま行けば勝てる、勝てるぞ。
(あっ!?)
ゴールまであと少し、というところで私は気付いてしまった。
(紐が緩んでる!?)
どうしよう、走っている最中に紐が取れたら結び直さなきゃいけない。でも、そんな事をしていたら確実に抜かされる。だけど、ゴール時に解けていたら失格だし……!
──がんばれ、ちさ。
(……っ、ああもう! 女は度胸っ!)
こうなったら一か八か。
私は梅澤君の肩をしっかりと掴むと、
「ごめん、梅澤君! 受け身の用意して!」
「えっ?」
「おりゃあぁぁっ!!」
梅澤君を道連れにして、全力でゴールへと飛び込んだ。紐が解けそうなら、解ける前にゴールしちゃうしかない!
そうして勢い良く転がり込むようにゴールテープを切った私達は砂埃を上げる。転ぶ瞬間、梅澤君はバッチリと受け身を取ったのが見えた。良かった、運動神経が高いから信じていたよ。
「っ、いたた……」
まあ、私は思いっ切りすっ転んだけどね。特に膝が重傷だ。これは退場したら保健委員さんにお世話にならないと。でも、足の紐は解けなかったから良かった。
「椿野さん、大丈夫!?」
「うん、それよりもごめんね、巻き込んじゃって……」
「いや、紐をしっかり結ばなかった俺が悪いから! とにかく早く手当てしないと!」
「擦り剥いただけだから平気だよ。全員が走り終わったらちゃんと診てもらうから」
梅澤君が一位の旗を貰ったのを確認して、私は心の底から安堵する。よしよし、これで役目は果たした。
そうして二人三脚が終わり、私達は退場する。梅澤君に肩を借りて歩く私はかなり格好悪いし目立っていただろう。
と、退場門を抜けた先に悠太がいた。──何故か大魔王のオーラを放ちながら。
「ゆ、悠太?」
「……救護テント行くぞ」
「あ、うん」
ほら、と悠太が手を差し伸べてきた。
その手を取ろうとしたら、私の肩を抱いていた梅澤君の手に力が入った。
「俺が連れて行くよ」
「……何で?」
「だって俺が原因みたいなものだ。それに、椿野さんは俺のパートナーだから」
それを聞いた悠太の眉間が物凄い事になった。あんな深い皺は初めて見た。
そして、この会話を傍で聞いている私はとんでもない居心地の悪さを感じている。これで私が乙女ゲームの主人公なら、神がかった天然さでスルーするんだろうけど、生憎私は普通のモブなので分かってしまった。
(これ、何か変なフラグ立ってる!)
確かに梅澤君に真奈美ちゃんを渡したくないとは思っている。けど、だからって私に気を向けさせるつもりは更々無い。
これはマズい、と察した私は罪悪感を抱きつつも梅澤君の手から離れ、悠太の方に行った。
「う、梅澤君は次の部活対抗リレーにも出るんでしょ? 私に付き添ってたら遅れちゃうから、ね?」
「あ……、……うん、分かった。じゃあ菊川君に任せるよ」
うわあああ! 明らかに落ち込んでる! ごめん、ごめんね梅澤君! でも私なんかにフラグ立てちゃ駄目だから!
とぼとぼと去っていく梅澤君の背中を見送る私の心は罪悪感で潰れそうだ。うう、膝の傷よりも胸が痛い。
「ほら、行くぞ」
「……うん」
悠太に連れられて救護テントへと向かう。
保険医さんは私の派手なゴールを見ていたらしく、苦笑しながら「女の子があんな無茶したら駄目よ」と注意された。
その横で悠太も呆れ顔で頷く。
「ほんと、何であんな事したんだよ? そんなに一位になりたかったのか?」
「うん、だって悠太が応援してくれたから」
「……は?」
「『頑張れ、千紗』って、スタート前に言っててくれたでしょ? だから一位になりたかったの」
傷口に掛かる消毒液が滲みる。その痛みに顔を顰めながら答えれば、悠太からの反応は無かった。
何か変な事を言ったかと顔を上げたと同時、悠太は立ち上がって救護テントを出て行ってしまった。……え、怒った?
「椿野さん、もう出る競技無いなら此処にいなさい。向こう行ったら動いちゃうでしょ」
「《部活対抗リレーの次は徒競走です。出場する生徒は入場門に集まって下さい。繰り返します、次の競技は──》」
保険医さんの言葉と重なるように聞こえたアナウンスに、私はああと納得する。悠太は出場する競技が近かったから出て行ったんだな、きっと。
安心した私は救護テントから応援することにした。今気付いたけど、此処はスタート地点に近い特等席だ。何だか得した気分。
リレーが終わって、徒競走の選手が入場してくる。悠太は……あ、いたいた。どうやら最後の組らしい。やる気があるんだか無いんだか分からない表情をしている。
(でも、何だかんだで毎日走ってたからなぁ)
私と梅澤君の朝練に、悠太は一日も欠かさず付き合っては一人で走っていた。
心配で何度か「無理しなくて良いんだよ?」と言ったけど、返ってくる答えはいつも「無理してない」の一つだけだった。
(あの悠太があんなに頑張ったんだから、結果は出てほしいけど……)
こればかりは私は願うしか出来ない。
期待と不安が綯い交ぜになっている私の前で、次々と走っていく徒競走の選手たち。
そして、遂に悠太の番が来た。
緊張しているのか、はたまた何も考えていないのか、ただ前を見ている。その姿を見ていたらどうにも落ち着かず、私は立ち上がると大きく息を吸い込んだ。
「頑張れっ、悠太ーっ!!」
体育祭は常に騒がしい。
だから、私が大声を出したって悠太にまで届く筈はない。
そう思っていたのに。
「……えっ?」
黒い瞳が此方を向く。
まさか、と私が驚いている間にスタートの合図が鳴った。
一斉に走り出す選手、悠太も勿論その中にいる。あっという間に半分地点。悠太の順位は──四位。
それに気付いた私の口は勝手に動いていた。
「……っ、ゆーたっ! 負けるなぁぁっ! 頑張ってーっ!!」
その声援が届いたのかは分からない。
だけど、速度を上げた悠太はゴール前で一人抜かして、三位でゴールする事が出来た。あの半引き籠もりだった悠太が、だ。
私は思わず救護テントを飛び出して退場門へと駆けていく。膝の痛みなんか知らない。
「悠太っ!」
「千紗!? お前、足の怪我は……」
「そんな事より! やったね、三位だよ! 凄いじゃん、頑張ったね!」
驚く悠太を余所に、私は一人はしゃいで悠太の肩をべしべしと叩く。
そうやって子供みたいに騒ぐ私を見ていた悠太だったけど、小さく息をつくと眼鏡を外して、汗で張り付いていた前髪を掻き上げた。
「千紗が応援してくれたから、な」
久々に見た悠太の素顔は、笑っていた。
その笑顔を見た私の胸が高鳴る。
(……格好良くなったね、悠太)
私が真奈美ちゃんだったら、此処で恋に落ちる事も出来ただろう。
だけど、私はヒロインじゃない。悠太の幼馴染みだ。悠太が幸せになる為にサポートすると決めた、ただの幼馴染みだから。
私は悠太と一緒に笑い合う。
こうして、私達の体育祭は終わった。