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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
秋の章
22/29

其の十九 逆さの路地


 それは、郵便局からの帰りのことであった。


 お給金が出た日は、田舎へ仕送りをするために郵便局に行くのがスミの習慣だ。

 そして、仕送りの残りで私物を買うのが、ひと月に一度の楽しみでもある。

 とはいえ、今月は使わないと決めていた。小物屋で見かけた櫛を気に入ったのだが、ひと月分のお金では少し足りなかったためだ。

 来月にお給金が出てから買おう。それに、貯めておけばいざという時に役立つ。例えば先生の原稿が仕上がらなかった時とか……いや、そこはちゃんと先生に書いてもらわねば。


 とはいえ、貯める分とは別に、おやつを買うくらいのお小遣いは分けてある。

 いつもは先生に頼まれておやつを買うので、自分で選んで買うのは少し悩む。


 ――何がいいかしら、たまには洋菓子がいいかしら。


 少しわくわくしながら商店街を散策し、夕飯の買い物も済ませて、最後に洋菓子店で珍しい焼き菓子を買った頃には、日が暮れ始めていた。


 いけない、早く帰って夕飯の支度をしなくては。


 スミは買い物かごを抱えて道を急いだ。秋になって日が落ちるのがずいぶん早くなった。一歩進むごとに暗さが増しているような気さえする。

 ふと、いつもの路の途中にある路地が目に留まった。家の間にある細い小道で、日も翳って薄暗いせいか、奥は見えない。


 思い出すのは、近所の子供の話だ。


『あすこの路地、あたしんちの隣に繋がっているのよ』


 まっすぐに突っ切っていけるのだと、子供たちが話しているのを聞いた気がする。


 ――あの路地、使ってみようかしら。


 急に気になってきて、スミはふらふらと路地に足を向ける。

 だが、入ろうとした時に足が止まってしまった。


 ……なんだろう。何かおかしい。


 竹の垣根と、石造りの塀の間の細い道。地面は綺麗に均されていて、塀には商店街のポスターが何枚も張られている。思っていたよりも歩きやすそうな道なのに。


 ……やっぱり止めよう。急がば回れと言うし、何より、この路地に入るのは何か嫌であった。


 スミが踵を返そうとした時――


「ちょっとあなた」

「ひゃっ」


 背後から急に声を掛けられて、スミは思わず飛び上がってしまった。

 慌てて振り向くと、そこにいたのは紺色の制服を着た美しい少女だ。セーラー服と呼ばれる大きな衿の付いた上着に膝下のスカートを着ている。長い黒髪をお下げにした彼女の背は高く、目線は同じくらいであったが、白く滑らかな頬はまだあどけなく、スミより三つか四つばかり年下だろう。

 凛とした、どこか涼やかな空気を纏った少女は大きな目を瞬かせて、「驚かせてごめんなさい」と謝った。


「でも、そこの路地は使わない方がいいわよ」

「え……」

「よく見てごらんなさい」


 少女が指さす路地を、スミは改めて見つめる。


 そして、気づいた。


 塀のポスターが、すべて逆さまに貼られていることに。


 逆さなのは向きだけではない。ポスターに書かれた文字も絵も、すべて鏡に映したように反転している。妙な違和感の正体はこれだったのだ。

 さらに、路地のずっと奥では、天地が逆さになっていて、夕日は空へ昇り、地面は夜の色へと染まっていく。境界が混ざり合い、あべこべになった世界に目が回りそうだ。


「……」


 よろけるスミの腕を少女は支え、路地から離れるように促した。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 少女は淡々と答えた後、手を離して立ち去ろうとする。スミは慌てて呼び止めた。


「あの、あなたのお名前、聞いてもいいかしら? お礼を……」

「そんな大したことはしていないわ」

「でも……あっ、ちょっと待って」


 スミは買い物かごから紙袋を取り出す。ふわりと、バターの甘い香りが漂った。


「これ、『しょーとぶれっど』と言うの。西洋のお菓子なのですって。お店で味見させてもらったのだけれど、とてもおいしかったの。よかったら……」


 スミの言葉の途中で、ぐぅぅ、と小さな音がする。お腹の鳴る音だ。音の主である少女は、白い頰を染めて目線を落とした。


「きょ、今日は体操の時間があったから、お弁当だけじゃ足りなくて、その……」


 もごもごと言う少女に、スミは笑みを零し、「それなら尚更ちょうどよかったわ」と紙袋を少女に渡した。少女は少し迷った後、「……いただくわ」と素直に受け取る。


「……何か困ったことがあったら、うちの神社に来るといいわ。あなたのような人なら、まあ、滅多に悪いことは起きないと思うけれど」

「え?」

「うちは○○町の鬼頭神社よ。それじゃあね」


 少女は紙袋を抱いて、身軽に身を翻す。聞き覚えのある名にスミが驚いている間に、少女の後姿は見えなくなっていた。

 結局名前を聞きそびれてしまったが、『鬼頭』に『神社』とくれば、さすがに気づく。

 彼女は間違いなく、実家が神社だと言う鬼頭さんの親戚だろう。


「鬼頭さんに聞いたら分かるかしら……」


 次に来た時に尋ねてみようと、スミは路地を背に歩き出した。









 路地の奥で、誰かが舌打ちするような音が響いた。



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