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青葉闇奇談  作者: 黒崎リク
秋の章
21/29

其の十八 竹の花が咲く頃に

 客の名は『竹内(たけうち)』といった。


「名前の通り、竹林の中に家がありまして」


 竹内は中年の男で、白髪の多く混じった髪を後ろに撫でつけていた。

 ほっそりとした、しなやかに伸びた背や、静かで落ち着いた物腰が、まさに天へと伸びる竹を思わせる。渋い煤竹色の上品な着物がよく似合っていた。


 折りしも、本日の茶菓子は笹に入った葛饅頭。

 夏の暑さが戻ったような秋の日で、先生の要望により買ってきたのだが、何だか笹尽くしになってしまった。


 そんなことを考えながら、スミは二人分のほうじ茶と葛饅頭をテーブルに置く。どちらも井戸水で冷やしておいた。

 今日の先生は、ちゃんと起きて、しゃんとしている。一昨日の締め切りを乗り越え、昨日は一日中書斎でごろ寝して回復したようだ。


「ありがとう、スミちゃん」


 先生はさっそく葛饅頭の皿を手にして、つるんとした半透明の葛饅頭を一口で頬張る。

 ――客に勧める前に、自分で食べるとは。

 満面の笑みで葛饅頭を堪能する先生に、スミはついつい咎める視線を向けてしまう。そんな様子に、竹内は優し気な笑みを浮かべた。


「あ……失礼いたしましたっ」


 慌てて下がろうとするスミに、竹内はいえいえと首を横に振る。

 その際に空咳が出て眉根を寄せる。竹内は藍色の手巾を口に当てて小さく咳をした後、ほうじ茶を一口飲んだ。


「こちらこそ、失礼をいたしました。……お嬢さんを見ていると、妻を思い出しまして」

「え?」

「実は私の妻は、かつて使用人でした。私の世話係の一人で、若い頃は彼女に散々注意されたものですよ」


 懐かしそうに、竹内は目を細めた。




***




 竹内の一族は地主であり、東京の郊外に広大な田畑と山を幾つか、そして家の周囲に大きく立派な竹林を有していた。

 家は『竹屋敷』と呼ばれる広大な屋敷で、使用人も多く、その一人が佐枝――のちに竹内の妻となる者であった。


 佐枝は、素性の知れぬ娘だった。


 ある日、竹林で倒れているところを、使用人の一人が見つけたのだ。

 話を聞けば、奉公に出された先でひどい苛めを受け、身一つで逃げ出してきたそうだ。家にも帰れず、奉公先にも戻れない。行く当てのない彼女を、竹内の父は使用人として雇うことにした。

 竹内よりも三つ年上の佐枝は、当時まだ七歳であった竹内のちょうどよい遊び相手になったものだ。

 最初はやせ細って、傷だらけだった佐枝。気の毒に思い、皆親切にしたおかげか、がりがりだった身体にも肉が付き、傷も治り、数年経った頃には、皆が一目置く美しい少女へと成長した。


 また、佐枝は賢く朗らかで、気が利いて働き者で、竹を割ったようなまっすぐな気質であった。

 佐枝は、両親や他の使用人達に気に入られ、いつの間にか屋敷にすっかり受け入れられていた。

 そして竹内も同じように、佐枝を憎からず思っていた。いや、むしろ幼い頃から、彼女に恋慕の情を抱いていた。

 嫡男である竹内は幼い頃はたいそうわがままで、使用人は皆遠慮がちに遠巻きにしていたが、佐枝は違った。悪いことをしたら、きちんと注意する。良いことをすれば、屈託なく褒めてくれる。


 公平で優しい彼女に、竹内はすっかり心を奪われていた。

 佐枝は、最初こそ竹内を子供扱いしていたし、使用人と主人の身分も弁えていた。

 年が長じて高校生になった竹内の告白は、幾度も断られてしまったものだ。だが、諦めない竹内に絆されたのか、とうとう想いを受け入れてくれた時には天にも昇る心地がした。

 高校卒業後、佐枝との婚姻を両親に頼むと、さすがに少し渋い顔をされたものの了承を得ることができた。


 そうして、佐枝はめでたく竹内の妻となった。

 順風満帆で穏やかな日々。しかし、一つだけ悩みがあった。


 それは、二人の間になかなか子供ができないことである。


 結婚して三年が経っても懐妊の気配が無く、竹内の両親は跡継ぎの心配をしだした。

 離縁しろとまでは言わないが、妾を作ってはどうか――。

 竹内はその提案を却下した。竹内家の男児は己一人で、確かに跡継ぎが必要ではあるが、いざとなれば嫁に行った妹の子を養子にするつもりであった。

 己の妻は佐枝一人だけだと、竹内は決して譲らなかった。


 そんな竹内に、佐枝がどこか暗い表情で申し訳なさそうにするのが気に掛かった。

 跡継ぎなら心配はいらないと宥めても、彼女の顔から陰は完全に消えることは無かった。

 夫婦で暮らす母屋の裏庭、縁側で並んで竹林を眺める時、佐枝はよく謝ってきたものだ。


『ごめんなさい、あなた』


 何を言うんだ、子は授かりものだ、私にも責任があるのだから――と、竹内がいくら宥めても駄目だった。

 気鬱になる佐枝は、徐々に元気を無くしていく。あれほど明るく元気だった彼女は、床に就くことが多くなった。

 寝床から竹林を眺める佐枝の顔色は白く、やつれていく。

 ざああああ、と風に揺れる竹林の大きな音が、佐枝の命を少しずつ削っていくようであった。


 そんなある日、竹屋敷の竹林に一斉に花が咲いた。


 最初は皆、それが何か分からなかった。なぜならば、誰も『竹の花』を見たことが無かったからだ。

 庭先にある竹の緑色の笹の間から、白い稲穂のようなものが垂れ下がっているのに気づいた使用人が、竹内に報告した。

 さていったい何だと皆で話している中、離れで寝たきりの祖母がそれを見て目を見開いた。そして、ようやく『竹の花』であると分かった次第である。




 ***




「――竹の花、ですか」

「ええ。最初は珍しいものだと驚いただけでしたが、すぐに祖母が『不吉』だと言いまして」


 竹の花は、滅多にみられるものではない。種類にもよるが、六十年から百二十年もの周期で花が咲くと言われている。

 さらに、竹の花が『不吉』と言われる由縁は、花が咲いて結実すると一斉に枯れてしまうからだ。


「祖母の言う通り、その数日後には竹林は枯れてしまいました」


 緑の笹が一斉に萎びて枯れ果てて、あれだけ豊かだった竹林は茶色となって朽ちていく。

 風情ある竹屋敷は一変した。


 そして、竹林がすべて枯れた時。


 佐枝が、息を引き取った。


「最初は、この事が『不吉』ということなのかと思いました。まるで、竹が佐枝を連れて行ってしまったように思えてならなかった」


 そもそも、どこの出自かも分からなかった佐枝。

 竹林の中で倒れていた佐枝は、実は竹の化身であったのではないか。

 竹が枯れて散ると同時に、彼女の命も散ってしまったのではないか――。


「そんな馬鹿げたことを考えてしまいました」


 竹内は苦笑する。

 実のところは、子ができず気鬱になったせいで、佐枝が死んだと思いたくなかったせいだ。

 自分が頑なに妾をとらずにいたことで、佐枝に重圧をかけてしまったのかもしれないと思うのが怖かったからだ。


「……佐枝の死を、竹の花のせいにしたかったのかもしれません」


 そうして佐枝が亡くなり、竹屋敷の竹林も消えた頃から、竹内家の家運は傾き始めた。

 植物の病気や天災による畑作物の被害や、相次ぐ両親の死、一族内の跡継ぎ争い……。

 竹林が枯れていくように、竹内家は一気に衰退していった。

 あれだけ多くいた使用人も解雇し、ついには土地を売ることになった。


「妹夫婦の子も流行病で亡くなり、その後は子供ができず……竹内の直系の者で残っているのは私と妹だけでしたが、先日、その妹が亡くなりました」

「それは……お悔やみ申し上げます」


 先生の言葉に、竹内は「すみません、人が亡くなった話ばかりしていますね」と謝る。拍子にまた咳を幾度か零した竹内は、ほうじ茶を飲んで一息ついた。

 長い息を吐く彼の顔は、悲壮に暮れているというわけではない。どこかさっぱりとした表情であった。


「私で、竹内の家は途絶えることになるでしょう。その前に、この話を誰かにしておきたかったのです。私がこの世を去る前に」


 まるで遺言のようで、スミは思わず竹内を見つめてしまう。そんなスミに、竹内は微笑んだ。


「ありがとう、お嬢さん。おいしいお茶でした」


 そうして葛饅頭には手を付けることなく、竹内は帰って行ったのだった。




***




 空になった湯飲みと、残された葛饅頭の皿。

 片付けようとすれば、先生が皿の方を手に取った。


「残すのも勿体ないし、食べようか」


 一つを自分の皿に取った先生が、もう一つをスミへと差し出す。


「スミちゃんもどうぞ」

「……はい」


 スミは頷くも、なかなか手に取れない。

 そんな中、先生は綺麗に笹を取り外して、葛饅頭を半分に切る。


「竹はまっすぐで、青々として、日本では昔から清浄な植物とされてきた。

 家を建てる材料に使われたり、籠とか笊とか、箒や生活で使われる生活道具も竹で作られたりと、その使い方は幅広い。ほら、笹の葉っぱだって、葛饅頭やおにぎりを包むのに使われているしね。

 とても便利で、生活に身近なものだ」


 葛饅頭を食べ終えた先生は、残った笹の葉を弄りながら言葉を続ける。


「その一方で、『家の周囲を竹で囲むとその家は絶える』とか『竹を植えると家が滅ぶ』なんて言い伝えもある。

 もっとも、これは竹を家の敷地内に植えると、竹の根が縦横無尽に伸びて、床下から生え出た竹が畳を破ることが珍しくなかったからだ。家が壊れることを避けるために、こんな言い伝えになったんだろう。

 ……でも、そんな勢いある竹の成長に、人間の方が負けて運を取られてしまう、とも考えられている」


 先生の手元で、笹の葉は形を変える。笹船、だろうか。


「そして『竹の花』の現象。百年に一度なんて、人間でも一生に一度見られるか分からない。一斉に枯れる様を見た者がいたら、それこそ『不吉』だと思っただろうね」

「……先生、佐枝さんが亡くなられたのは……」

「彼女が本当に竹の化身だったのか、それとも単に偶然が重なっただけなのか、本当のところは分からないね。けれど、彼女の存在が、竹内家の血が途絶える一因となったことは確かだろう」


 もしも、佐枝が竹林で倒れていなかったら。

 もしも、佐枝が竹内の告白を受け入れていなかったら。

もしも、竹内が妾をとることを拒んでいなかったら。

もしも、佐枝亡き後、竹内が後添いをとっていたのなら。


 家運は傾いたとしても、竹内の血を引く者は残ったことだろう。家が滅ぶことは無かったに違いない。


 佐枝は、もしかして竹内の一族を終わらせるために現れたのか――。


 スミの脳裏に浮かんだのは、竹内のほっそりとした後ろ姿だ。そして、咳を抑える手巾の藍色。

 藍の濃色は、何か染みがついても目立たないためか。何か重い病気を患っているのか。

 ……いや、考えすぎだ。彼が語らなかったことまで勝手に決めつけてどうする。


 竹内が佐枝のことを話すときの表情はとても優しかった。佐枝と過ごした日々は、竹内にとって幸せで、大切なものだったのだと分かる。

 佐枝の真実も、竹の花の言い伝えも、一族の終わりも、今となっては竹内にとって明らかにすることではないのだろう。

 彼は穏やかな顔で帰っていたのだから、スミが気に病むことではないのだ。


 スミは小さく首を横に振って、手を付けていなかった葛饅頭に手を伸ばした。

 皿に触れた拍子に、緑の笹に浮かんだ結露が流れる。それはまるで、誰かの涙のように見えた。


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