その51「こども達の星⑦久遠に」
夏の日差しが照りつける中、幼い少女が誰かに尋ねた。
「クイズです。人間って、何で生きてるんだと思いますか?」
「……わからないよ」
「ふせーかいです」
白衣の幼女が誇らしげに、自分の胸に手を当てた。
「正解はですね、この体が生きろって言ってるからですよ。神経細胞をつたう電気や、ホルモンみたいな科学物質がですね、この体が生きるようにって動かしてるんです!」
「そう考えるのって、つらくないの」
「全然! だって素敵じゃないですか! そんな機能的なものがこんなに複雑で美しく動くんですよ⁈」
白衣の幼女は口を尖らせる。
「むしろそういう理由とか仕組みとかも何にもなしに、ただ美しいだけなんて不気味です! 怖いですよ! でも……理由とか、仕組みとか、最近はそういうのもずいぶん意味不明に感じてきて。何なんでしょうね」
「……薫子は、だから幼女とひとつになったの?」
「私のこと、ちゃんと名前で呼んでたんですね。知りませんでしたよ」
寂しそうに、彼女は笑った。
「思い切ってみたんですよ! こうなってみると、人間も幼女も大差ないですね! どっちも意味不明です。だいたい、ただの機能が『世界』や『自分』がどうのこうのって、ずいぶん不思議な話だったんですよ」
「……幼女と人間の違いなんて、難しくてよくわからない……でも、このまま薫子がどっかに消えてしまうのは、嫌だ」
誰かがうつむいた。幼女は笑った。
「いつもそんな風に素直ならいいのに! あなたははぐらかしてばっかりだから……そんなんだから、自分のことを見失ってしまったんですよ! 私なら大丈夫です。きっと元に戻れます。現にほら、たいして変わってないでしょう?」
白衣の幼女が誰かに笑いかけた。
「また後で会いましょう。約束ですからね」
「ねえ、夢ってもってる? 私にはあるわよ。とびっきり大きな夢が!」
老婆が両手を広げると、翼に変わって空へ飛び立った。
「ああ、この夢は叶ってたんだった!」
眼下に果てしない世界が広がっている。世界はまだまだ知らないことだらけで、私たちにはもうそのどれか一つを解き明かす時間もないのかもしれない。だから私は夢を見る。私たちがいなくなったあとも、世界に誰かが足跡を残し続けることを。この途方もない連続の中で、私たちが流れの一部であったのだと思えるように。連なる何かの小さな一瞬でありますようにと。
「……夢なんてないよ」
誰かが言う。
「そんなもの、不相応だ。あなたの夢が大きいのは、きっとあなたが特別な人だから……」
「否定しないわ。私にはチャンスがあった。そしてそれをものにした」
でもと頭を振る。
「考えても見て。大きいとか小さいとか、そういうものがようやっと意味を失くすのよ。人間がいたから、人間に価値があったの。これから私たちは遅かれ早かれ滅びるだけなんだから、その価値に大きい小さい言っても意味ないわ。あなた自身の本心に従えばいい……」
目の前に、封筒が落ちていた。封筒が開き、言葉が溢れた。それは父の形をしていた。
「万が一お前が来ることがあったら、渡してくれと頼んでおいた。まあ万が一だ。母さんは近頃ずいぶんお前のことばかり話すようになった……お前に何か残しておけと言って聞かない」
はあ、と父はうんざりしたように言う。
「この際だ、本当のことを言おう。お前だって、今更ウワベのことを聞きたいわけじゃあるまい。私は、極力お前のことを思い出さないように生きてきた。私には私の人生があるし、四六時中悲しんでいるわけにはいかない。母さんはそうではなかったが……まあ、結局のところお前に執着するのが母さんの趣味だったのだろう。好きにやらせている。私も私で、やりたいことをできる範囲でやっている」
父の表情が少しだけ寂しげに見えた。
「最後に。お前のことで心残りがあったとすれば……あまり父親らしく振る舞えなかったことだ。とはいえもう遅すぎる。私と言う父がいたことは覚えておいて欲しいが、この先のことは、お前の納得するようにやればいい。結局私は私だったし、母さんは母さんだったし、お前の人生はお前のものだ」
その誰かには、確固たる形がなかった。自分自身の形を持つことから逃げ続けてきた。だから今更自身の本心と言われても、その人生が自分のものだと言われても、その誰かには届かない。
誰かはついに見えなくなってしまった。この言葉が誰のものか、今となってはわからない。
小人の子供が遊びに出たよ
左の道には小人のお墓
いろんな形のいろんなお墓
小人の子供もそのうちお墓
ーー前に歌っていた歌の続き?
ーーそうだよ! にばん!
ーーいいお歌! つづきはないの?
ーーいま かんがえてるから、またあしたね!
私が昼間仕事で働いている間、娘のことはお父さんに任せていた。娘から見れば祖父だ。その日もいつものように、私の帰りを二人で待っていたのだろう。
……ひどい災害だった。電話も何も通じなかった。何事もありませんようにと願いながら、必死の思いで家まで帰ったけれど、帰った時にはもう家はどこにもなかった。二人はいつまでも見つかることはなかった。
私には、空っぽなものだけが残った。私の形をした何かが、淡々と日々を過ごしているみたいだった。自分で終わらせることも、何度も何度も頭をよぎった。でもできなかった。あの子は見つからなかったのだ。せめて死んでいるとはっきりと突きつけられれば、私にも踏ん切りがついたのかもしれない。どこかで諦めきれていなかった。いつか、いつかあの子にまた……1日が終わるたびに、1年がめぐるたびに、その可能性はどこまでも0に近づいてく。でも永遠に0にならない。苦しさだけが増していく。
そんなある時だった。世界は変わってしまった。突然あらわれた『幼女』たちによって、今まであった枠組みが壊れ始めた。私がかろうじて続けていた仕事もなくなってしまった。
潮時かもしれないと思った。これ以上続けられないと、薄々感じ始めていたのだ。
私は、私の最後の場所を昔私の家があった場所に決め……入念に準備をし、実行に移し……そして、幼女たちに阻まれ失敗した。気がつくと、私の姿は幼くなっていた。幼女たちが、死にゆく私に施した何らかの処置のせいだろう。私は娘と同じ姿に変わっていた。
……もう、私は自分で命を絶つことすらできなくなってしまった。
たとえ偽物だとわかっていても、私にあの子の命を奪うことなどできるわけがなかった。
そのときに、私は決めた。私は生まれなおしたのだと。一度死に、幼女たちの力で生まれなおしたのだ。私は、かつてこの姿だった子の分まで生きる。この子の姿だけでも、この世界に残し続ける。たとえもう私が人ではないのだとしても。
私はその時から幼女になった。久遠に輝きますようにと、かつて私が祈りを込めたその名前で。
「……見ちゃったんだね」
クオンが、誰かに言う。
「ここは……幼女さんの作り出した世界なんだね。だから、その中にいる人の記憶がごちゃまぜになってる……私も見ちゃった。トキワくんのこと」
クオンは、その目の前にいる曖昧な誰かに語りかけた。
「……空っぽなのは、トキワくんだけじゃない。私も同じだよ。つくりものの体に、偽物の名前。この子はもうとっくの昔にいないのに……ずっと嘘をつき続けてきた。キミに打ち明けようか、ずっと迷ってたんだ……でも言えなかった。だってこんなこと、言われたってどうしようもないでしょ……?」
自嘲気味にクオンは笑う。
「でも、そうだね……私が空っぽでも今まで何とかやってこれたのは……私のまわりの人のおかげだった。LO-426さんは、私に役割をくれた。私を必要としてくれた。トキワくんや櫻宮先生と出会えて……私には居場所ができた。ここにずっといたいって、素朴に思える人とまた出会えた。そして今……私はやっと自分のことを打ち明けられる人と話してる」
誰かの輪郭が動揺する。その手をクオンが握った。
「だから、思い出して。あなた自身の形を。自分で思い出せなくなっちゃったのなら、私の目を見て。きっとあなたが映ってる」
誰かがかぶりをふった。
「俺には……俺は! クオンみたいに強くない。そんな風に、強い決意なんてもてない……」
「嘘。命の危険も顧みずに、何度も私を守ろうとしてくれた」
「それはただ……君を失いたくなかったんだ」
「じゃあやっぱり、私たちは一緒だよ」
気がつくと、俺は泣きながら立ちすくんでいた。
「ずっと……こんな過去を抱えながら過ごしてたのか」
「過去は、消えないから。いつだったっけ、電車に乗ってる時に話してたよね」
「そういえば、あったな、そんなことが。教えてくれ、俺でも……クオンの心の支えになれるのか?」
「もちろんだよ」
俺はクオンを抱きしめた。
「俺も……クオンのそばにいたい。お父様なんかに、キミを殺させはしない」
「今日は、いつになく素直なんだね、トキワくん」
「薫子にも……さっき同じことを言われたよ。でももう、取り繕いたくない」
彼女から少し身を離し、俺は問いかけた。
「君さえよければ、教えてくれ。クオンの本当の名前を」
「うん、わかった。でも、まだトキワくん以外には伝えられる勇気がないんだ。だから約束。二人だけの」
そう言って、クオンは俺の耳元に口を寄せた。




