その43「おしまいの街④生きる理由」
今から4年ほど前、母が亡くなりました。流行りの病でした。
何も死ぬほどの大病ではありませんでした。簡単に死ぬような年齢でもなかった。でもダメでした。
病は気から。それが全てではないにしても、まったく関係ないわけじゃない。
生きる気力を失った人間は、病気への抵抗力さえも失ってしまう。「ああ、本当にこんなことってあるんだ」臨終の場にふさわしくないほどの空虚な納得感。腑に落ちて、力が抜けて……
「渚ちゃん、大丈夫……?」
春日さんが、お茶を入れてくれました。
「ちょっと考え事を。大丈夫ですよ」
微笑んでカップに手を伸ばします。暖かい。ありがたいと思いながら、口をつけます。
「さっきのお願い、聞いてあげても良かったんじゃない? ほら、名前はもう聞いたわけだから……血縁者がいないか探すくらいだったら……」
「……もう調べましたよ」
「え」
もう一口、お茶に口をつけます。
「あてがありましたから。どこのお役所も、今は『曖昧』なものですね。名前だけで調べられるわけですから……」
「どこもねえ」
画面上の登録情報に目を落としました。
「さて、どうしましょうかね……」
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渚がハートウォーミング・ヒートヒートヒートに頼んだのは、俺達に街を案内することだった。
「ココガ メインストリート 繁華街デスヨ」
そう言って彼女が案内しているこの場所は、動線こそ広いが人気がなかった。左右に俺たちが泊まったような宿泊船が並んでいるが、人気はない。
「あ、あー、失礼なことを聞くようなんだが、店屋とかは?」
「ナイデスネ」
「……どうしてるんだ?」
「必要物資ハ 定期的ニ船デキマス。医療物資ハ 管理局デ備蓄シテマスシネ」
「なるほど」
じゃあ、ここの人たちは何をして過ごしているんだ。そう思ってあたりを見回すと、一人の老婆が船の上で作業していた。何やら陽気に、鉢植えの植物を世話していた。俺たちが近づくと、気がついて微笑んだ。
「あらぁ……うれしいわ、若い人なんて」
クオンが駆け寄っていく。
「お花育ててるの?」
「そうよー。わざわざ頼んでおいたの。こんなときぐらい贅沢をしなくちゃね」
「お祝い?」
「そうなのよ! 明日は結婚記念日でね、お花でお祝いしようと思って。こっちに来てから、ずっと触れていなかったから……」
俺たちが近づく。老婆が優しく会釈をした。
「こんにちは。やっぱり、花って貴重なんですか」
「そうねぇ、土がないからねぇ。水だけはたくさんあるんだけど、なかなか頼んでまで植物を取り寄せたいとは思えないわね」
「そう……ですか」
「あなたたちは、若いようだけどアンドロイドさん?」
「いえ、そういうわけでは。コールドスリープ……ええと、何て言い換えればいいか、冷凍睡眠……?」
「明日はよろしくね」
「え? あの」
老婆は船の中へと戻って行った。船の中は、静かだった。紫色の花が風に揺れていた。
「ソレデ、ココガ共同墓地デス。トイッテモ、今ハ ホトンド水葬デ ココニハ名前 彫ッテアルダケデスガ」
洋上に、歩くための板と白い墓石がいくつも浮いていた。小さな文字が、それぞれの墓石に刻まれている。
「……気になっていたんだが」
俺は嫌な予感を抑えるようにアンドロイドに尋ねた。
「さっき、なんであの人は俺たちに『明日はよろしく』と言ったんだ?」
ハートウォーミング・ヒートヒートヒートがいささか肩を落としたように見えた。無骨なシルエットが、殊の外小さく見える。
「ソレハデスネ 皆サマヲ アンドロイド ト勘違イシタカラ デスネ」
「あの人は……あんたに明日、何かを頼んでいるってことか?」
「御察シノ 通リデスヨ」
そうか。やはり、そうなのか……。
「ちょっと待ってください……頼んでるって? さっきから、何の話をしているんですか? 常盤さん……」
櫻宮薫子が明らかに狼狽した。クオンが沈んだ顔で薫子の手を取った。
「……死んじゃうんだね。あのおばあちゃん、明日」
アンドロイドが、無言の間で肯定した。
「アノ花ハ……彼女ト、彼女ノ夫ノ墓ニ 手向ケテホシイ トノコトデシタ」
「結婚記念日の……お祝いなんだね……一緒に……過ごしたいから……」
そう言って、クオンが泣き崩れる。薫子が、珍しく遠慮がちにクオンの肩を抱いた。
「なあ……なあ! ハートウォーミング・ヒートヒートヒート、あんた渚さんに本当は何を頼まれたんだ? 俺たちに見せたかったものって、本当は何だったんだ?」
「現実、というものですよ」
共同墓地に、いつのまにか管理局員の渚がいた。
「先ほどのお婆様は、明日が自殺扶助の申請日です。書類は、私が受理をしたんですよ」
「……書類、書類って! 人が死ぬのって……そんなに簡単なこと⁉︎」
クオンが声を荒げた。
「やめてくれ、クオン。渚さんだって……」
「この街では……この街ではみんなそうなるの⁉︎ 後に誰も残されなければ、心置きなく死ねるって言うの⁉︎ いやだよ……いやだよ、そんなのっ……それじゃ……それじゃ私は……」
クオンの前にしゃがみ、彼女の全身を抱きしめる。クオンが震えているのがよくわかる。
渚に言った。
「……気を悪くさせたらすまない……あんたの複雑な立場はよくわかっているつもりだ。でもこの子は……ここにくる前ずっと、自殺志願者や重症の人間を生かす仕事をしてきたんだ。この街は……彼女には、あまりにも酷すぎる……」
渚がかぶりを振った。
「この街だけではないですよ。この街だけってことはないです。いずれ、この世界全ての集落がこうなります。いや……もうなっているかも……」
「いい加減にしてくれ! あんたは……あんたは俺たちをどうしたいんだ⁉︎」
「覚悟はあるかと聞いているんです。ご両親と再会したところで、あなたに課せられるのはそのご両親を殺すことかもしれない。そうなってもまだ、あなたは生きていられますか。生きる理由がありますか」
渚が、まっすぐと俺を見る。
「もし答えていただけないのであれば……みすみすあなたを死なせるわけにはいきません。あなた方はまだ若い。後何年生きられるかわからない人に、死期を選ぶ自由を与えることとは訳が違いますから」
「生きる……理由」
考える。だが、納得のいく答えなんて浮かんでくるはずもなかった。
俺が想像していたのは、両親が生きているか、死んでいるかという二択だった。生きていて、その命を自分で奪う可能性なんて考えてもみなかった。そうなったら、俺はどうする?
生きる理由なんて、俺ですらわかっていないことを、両親に説けるのか?
迷う俺を、クオンが力を込めて抱き返した。
俺をいつも支えてくれたクオンのことを想う。俺を恩人と言ってくれた薫子のことを想う。生きているか死んでいるかもわからない両親のことを想う……。
「……ある。あるよ……生きるための理由。確かに一度手放そうとしてしまった命だけれど……今は、手放したくないんだ。もう一度、生き直したい。そのために……俺は両親に、謝りに行かなくちゃいけないんだ」
「今持ってる理由がなくなったら? 両親に謝るという望みが叶わなくてもですか?」
「……ああ、そうだよ」
俺は自嘲気味に笑う。
「昔っから……逃げるのだけは得意なんだよ。性分ってやつだ。……今は、死ぬってことから逃げたい。理由なんて、あとからいくらだって見つけてやる」
俺は立ち上がる。渚を見つめ返す。
「俺は生きるからな。だから教えてくれ。試すような真似までしたんだ、両親について、何か調べたんだろ」
渚は俺から少し目線を外した。顔を緩めため息をついた。
「……そうですよ。教える踏ん切りがつかなかったんです、悪いことをしました」
もう一度俺を見る。
「お母様はご存命です。お父様は……残念ながら、もう」
「……そうか。なるほど……」
父親には、謝れず仕舞いになってしまった。流石に落胆は隠せない。
「それで……母は?」
「世界統合都市コロニー。今となっては唯一の『国家』ですが……アンドロイドに管理された巨大福祉施設というほうが妥当でしょう。あなたの母親は、そこにいます」




