その11「水の底②小児科医櫻宮薫子」
俺は水の底で彼女を見ていた。
職場までの道もずいぶんと幼女の増えたものだと思う。幼女が増えたのか人が減ったのか、わからないが両方だろう。おもちゃの車が車道をまかり通る。ふとみたアベック皆幼女。幼女幼女幼女。
幼女には独特の『感じ』がある。人間の少女とはまた違う。まず一切の邪気が感じられない。純粋さのかたまり、ひまわりからその明るさだけを抽出したかのようなまざりっけのない太陽の色。私が小さかった時分を思い返しても、さてあのように純粋だったか。もちろん違う。
親にバレないようにゲームをするという不正。
食欲や睡眠欲への恭順。
祖父母を自分に都合のいいように動かそうという邪な意図。
大人になった今とはそれぞれの内容こそ違うし、そもそも知恵も未熟だから簡単にバレてしまうあたり可愛げはあるのだけれど、しかし子供というのは単に小さな人間なのだ。未熟ではあっても純粋純朴ではない。
そうこう考えているうちに病院に着く。私は医者である。小児科を担当しているが、この仕事は向こう何年かで消滅してしまうものと思われる。新しい子供は生まれてこないし、幼女たちは病気になることがない。
最近、病院の中の空気はいつも重い。あれほど生き急いで働いていた同僚が、今度は死に急いでいるのだ。先月も同僚の小柴が、病院内で実にセンセーショナルな自殺をしてしまったが、これが一つの呼び水となり後を追ってしまうもの、何も言わず病院に来なくなるもの、自らも安楽死を望む患者、などが増えた。
空気が実に重い。
「どうも最近、患者が来ませんね」
私が言った。ちら、と看護師が私を見る。
「そりゃそうでしょう。誰もこんな時に、子供を連れ出そうとは思いませんよ」
「そうは言っても、病気にはなると思うんですけど」
「櫻宮先生はニュースを見ていらっしゃらないんですか? あちこちでテロリストが幼女をねらっているんです。銃で撃たれても幼女は死にませんけれど、人の子供はそうではないんですよ。先生はご存知ありませんでした?」
看護師は苛だたしそうに話を切った。ヨーロッパなどで、そういう過激派が悲惨な事件を起こしているのは私も知っている。しかし日本ではまだそういう話は聞いていない。平和ボケをしているのが私だけであるとは思えないのだが……。
この過度な自粛ムードは、医者としても個人としても非常に厄介だ。
子供が診れないのは困る。
特に足りないのは小さな男の子の診察である。
子供は未熟なだけで純粋ではない、とは先ほども言った。小さな男の子も同様、本人が理解していないだけで私のような女性に診察をされた時にはある種の『感じ』をまとっているもの……。理解していない感情が沸き立っているであろうあのこそばゆそうな表情! 実にたまらない。幼い少女も同様。こんなに純粋そうなのに人間なんだよね……という部分にこそ愉悦がある。
そういう意味では、『幼女』という存在はまだ私には受け付けられない。純粋すぎて美しくない。美しさとは醜さを内包していなければならない。
ふと、大学のころに親友に言われた言葉が頭をよぎった。
「あなたは医者か、もしくは犯罪者が向いている」
そうなのかもしれない、と改めて思う。暴きたい。暴いて見たい。幼女の中にも、果たして醜さはあるのだろうか。それがわかれば、私もまだこの世界を好きでいられる気がするのだ。幸いまだ、『幼女』に基本的人権の存在は認められていない。思い立ったが吉日である。
私は立ち上がった。




