表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/10

10.最適化された確率の先にある、ただ一つの絶対的な愛


 ガルディナ帝国、皇城――新皇妃の控室。

 冬晴れの朝の光が、磨き抜かれた大鏡の上で、きらきらと跳ねていた。

 メイドたちが、息を詰めて、最後の仕上げを進めている。

 幾重にも重ねられた、雪のように純白のシルクサテン。

 帝国一の魔導裁縫師たちが、半年の歳月をかけて織り上げた、世界で唯一の特注ウェディングドレス。

 その裾には、数え切れぬ細やかな魔導刺繍が、星座のように散りばめられている。

 長い銀髪は、繊細な金細工と真珠で結い上げられ、純白のヴェールが、肩から床まで、なめらかに流れ落ちていた。


「エララ様……っ」


 最年長のメイド長が、ぐっと唇を噛んだ。


「な、なんと、お美しい……」


 その瞳から、堪えきれぬ涙が、ぽろりと一粒、零れ落ちる。


「私どもは、初めてこの控室を整えた、三年前のあの日から、ずっと、ずっと、この日を……」

「メイド長」


 エララは、鏡越しに、ふんわりと微笑んだ。


「ありがとうございます。あなたたちが、この日まで、迎えてくださいましたわ」


 控室の若いメイドたちも、揃って、目頭を押さえる。

 誰もが、この瞬間に立ち会えた幸運を、噛み締めていた。

 エララは、メイド長に深く礼を伝え、ひとり、鏡の前へと進み出た。

 そこに、立っていたのは。

 神々しいほど美しい、一人の皇妃だった。


(……これが、私)


 澄み切ったアメジストの瞳に、もう、卑屈な影はない。

 長年染みついていた、「私など」という諦めの色も、消えていた。

 代わりにそこに在ったのは、自身の幸福を信じる、確かな光だった。


(無能と罵られ、追放されたあの夜から……)


 半年も、経っていない。

 吹雪の街道で、凍えながら微笑んだ自分。

 暖かな馬車で、震える指で紅茶を受け取った自分。

 膝の上で、書類を覗き込んだ自分。

 温室で、彼の指先に頬を許した自分。

 すべてが、この一日のために、繋がっていた。


(ありがとう、ございます)


 彼女は、鏡の中の自分に、深く頭を下げた。

 諦めずに、生き延びてくれた、十八年間の自分自身に。

 その時、控室の扉が、ふっ、と開いた。


「――エララ」


 甘く、低い声。


「陛下! ま、まだ、お待ちくださいませ! 花婿が花嫁を式の前にご覧になるなど、縁起が……」


 メイド長の慌てた声を、ひと言で制して。

 漆黒の正装に身を包んだレオンハルトが、迷いなく彼女に歩み寄った。

 真紅の双眸には、初めて見るような、くしゃりとした笑みが浮かんでいた。


「メイド長、すまない。一目だけでは、待ちきれなかった」


 彼は、周囲の目も気にせず、エララを深く、深く抱きしめた。

 純白のドレスが、漆黒の正装に、しなやかに重なる。


「……エララ。君は、世界のどの宝石よりも、美しい」


 耳元に、囁きが落ちる。


「君に出会うまでの私の人生は」


 彼の腕に、力がこもった。


「……この日のために、確率が、調整されていたのかもしれないな」


 エララの瞳から、ひと筋、温かな涙が伝った。

 それは、悲しみの涙ではない。

 胸の奥が、あまりに幸福で、零れ落ちただけの涙だった。


「レオンハルト様」


 彼女は、震える唇で、確かに告げた。


「私も――ようやく、自分の生まれてきた意味を、見つけました」


 彼の唇が、そっと、彼女の額に落とされる。

 慈しむように、誓うように、永遠を約束するように。





 帝都中心、聖カルディア大聖堂。

 高い円蓋の硝子から、冬の陽光が、虹色の光柱となって祭壇に降り注いでいた。

 長い長い処女道を、エララは、ゆっくりと歩いた。

 両脇を埋め尽くす、数千の貴賓と帝国民。

 誰もが、息をするのも忘れて、彼女を見つめていた。

 祭壇の前で、レオンハルトが、彼女の手を取った。

 長い長い誓詞を、二人は、互いの瞳だけを見つめながら唱える。

 そして――誓いのキスの、瞬間が訪れた。

 彼の唇が、エララの唇に、優しく重なる。


(……ああ)


 エララの胸の奥で、何かが、優しく弾けた。

 幸福が、満ちる。

 もう、抑えきれぬほどに。

 その瞬間。

 彼女の中で稼働していた『因果律の最適化演算』が、最高潮の出力を迎えた。

 帝都の空に、無数の光の粒子が、舞い始める。

 それは、雪ではなかった。

 花弁でもなかった。

 純粋な、祝福そのものの結晶だった。

 大聖堂の硝子越しに。

 帝都の街並みに。

 遠くの農村と、海辺の漁港にまで。

 帝国全土に、温かな光の雨が、ふわりふわりと、降り注いでいく。


「お、おお……っ」

「な、なんという、奇跡だ……」


 民衆が、両手を空にかざし、涙を浮かべながら、その光を受け止める。

 誰もが、本能的に理解していた。

 これは、新たな皇妃が、帝国に贈った最初の祝福であると。

 唇が離れ、エララは、薄く目を開けた。


(私の能力は、確率を計算する、冷たいもの)


 彼女の瞳に、レオンハルトの微笑みが映る。


(けれど――彼が、私を愛してくれる、この奇跡だけは)


 彼の指が、優しく、彼女の頬の涙を拭った。


(何の計算も、必要のない、絶対的な真実なのです)


 大聖堂の鐘が、高らかに、鳴り響く。

 光の雨に祝福された帝都に、万雷の歓声が、轟いた。

 二人の影が、虹色の光柱に包まれ、ひとつに重なっている。

 それは、最適化された無数の確率の、その先に辿り着いた。

 たった、ひとつの。

 絶対的な、愛の物語だった。


 ――そして、二人の幸福は、永遠に続いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ