離宮
デンバーの港からベルテ島に渡り、アッシュが無事魔女に会う事ができた所でエリィの仕事は完了して、報酬を受け取ってロックランの町に戻るはずだった。しかし、なぜか今エリィはシーテリア王国の離宮にいた。
※ ※ ※
ベルテ島の山中にひっそりと立つ魔女の屋敷に行った時、魔女はアッシュに意外な事を言ったのだ。
「あの魔法は、一種の結界だ。
狼の魔力を宿し、邪を払う」
アッシュは自分が異形の者に姿を変える呪いをかけられていたと思っていたが、むしろ逆で、呪いからアッシュを守るためのものだったらしい。
そして、最近王宮で起こっている不穏な動きに何か思い当たることがあったアッシュは王宮に帰る選択をした。
魔女の屋敷を去る時、アッシュはエリィに聞いた。
「王宮には、信用できる者が少ない。
一緒に来て私を守ってくれないか?」
※ ※ ※
(あんな真っ直ぐな瞳で言われたら、断れる訳がない……)
エリィは案内された離宮の部屋で、用意された騎士の服に腕を通した。
部屋を出ると、廊下に宮廷魔術師の服を着たノアが待っていた。
「また、ずいぶんかっこいいな」
エリィを見たノアが笑った。
ノアに案内されて居間に向かうと、アッシュの他に執事と侍女と見受けられる二人がにこやかに立っていた。
アッシュは上質な黒色のこの国の伝統服に身を包んでいる。
(やっぱりアッシュはシーテリアの王子だったんだな)エリィは改めて認識した。
「アッシュ殿下お待たせいたしました」
エリィは騎士の礼をとった。
アッシュは頷くと、執事と侍女にエリィを紹介した。
「これから私の護衛をしてもらうエリィだ」
「執事のジェイコブと申します」
「侍女のアドリアーヌです」
おじいちゃん執事と、ふくよかなおばさまの侍女がにっこりと笑いかけてくれた。
「エリィです。よろしくお願いいたします」
エリィは二人に頭を下げた。
ジェイコブさんとアドリアーヌさんはアッシュが幼い頃からの執事と乳母だったらしく、血飛沫の残る部屋からアッシュが姿を消し、今日この日アッシュが戻るまでアッシュの無事を祈り続けながら待っていたらしい。
離宮に居るのはこの二人とノアだけらしい。おそらく、アッシュの秘密を守るためにごく親しい人だけで固めていたのだろう。
侍女のアドリアーヌさんに着いていくと、十分に広い上質な家具が配置された部屋に案内された。
「こちらの部屋を使ってください。
アッシュ殿下が離宮にこんな素敵な騎士様をお連れするなんて。
エリィさん、アッシュ坊っちゃまをよろしくお願いします」
アドリアーヌはエリィの事を大層歓迎してくれた。今夜はアッシュの無事の帰還のお祝いと、エリィの歓迎を込めてちょっとした晩餐を開いてくれるらしい。
エリィが部屋で多くもない私物を片付けていると、部屋の横のドアからノアとアッシュが入ってきた。
「えー! わざわざ部屋を移動して、エリィを隣に置いたのですか!」
ノアが騒ぎ立てている。どうやら隣はアッシュの部屋らしい。
「私の護衛だからな」
「いや、エリィの事を気に入っているのはよくわかるけど、これはエロくないですか?」
「お前の頭の中はそんな事ばかりだな」
エリィから見ると、ノアの方が常識的に見えた。アッシュ王子は残念ながら世間からズレた所が散見される。
「護衛を考えたら、俺が隣の部屋でもいいじゃないですか」
「それは、なんだか……嫌だな」
差別だー! 親友であり幼馴染である俺をなんだと思っているんだー! と騒ぐノアを放っておき、アッシュがエリィの元に来た。
「隣は私の部屋だ。異変を感じたらすぐに駆けつけてくれ」
「承知しました」
エリィは片腕を前にして頭を下げた。
「私が殿下の寝首をかくかもしれないとは心配されないのですか?」
まだ知り合って日も浅い。もちろん裏切るつもりはないが、ここまで信用してもらって良いのだろうか? と思った。
「信用している」
アッシュはふっと笑った。
(あぁ、この人は上に立つ人間なのだな)
エリィは、この信頼を裏切りたくないと思わせるアッシュの笑顔に完敗した。
アッシュを囲んだ離宮での晩餐は、ジェイコブとアドリアーヌも席を並べたアットホームなものだった。
燭台の灯に照らされてたテーブルには、アドリアーヌさんが作った家庭的な料理が並んでいる。
「一ヶ月以上なんのご連絡もなかったので、どんなに心配したか」
アドリアーヌさんが「本当に無事でよかった」と、また泣きそうな笑顔を浮かべている。
アッシュが少し困ったような獣の目で、心配をかけたと謝っている。
アッシュは離宮に籠って生きてきたと言っていたが、ここが暖かい場所でよかったとエリィは思った。
美味しい晩餐の後、豪勢なお風呂を使わせてもらって、エリィはデンバーの湊から王宮までの旅の疲れをほぐした。
新しい部屋のバルコニーに出てみると、火照った体に夜風が気持ち良い。
この離宮は王宮から離れて木々の中に建てられており、辺りはしっとりとした静けさに満ちていた。
人生は何が起こるか分からないものだ。まさか自分がシーテリア王国の離宮にいるとは想像もしていなかった。
ふと気配を感じて振り向くと、楽な服装に着替えたアッシュがいた。
エリィはアッシュに敬礼した。
アッシュはバルコニーに手をかけ月を見上げると、エリィの方に金色の獣の目を向けた。
「これから少しづつ王宮の方に顔を出していく。
常に私の後ろで周囲をよく見ていてくれ」
「承知しました」
「明日は騎士団の所に行って、エリィの所属登録をしておこうと思う」
シーテリア王国の騎士団に登録するには、自分が他国出身である事をはっきりさせておかなければならないだろうなとエリィは思った。
「殿下に私の出自についてご説明しておいた方が良いですね」
「話せる範囲で構わない」
アッシュは無理に聞き出すつもりはないようだが、知らない訳にもいかないだろう。
「プルシェンテ王国では、エリザベス・シェラードと名乗っておりました」
「エリザベス・シェラード。そうか……」
エリィは少し躊躇いを感じたが、国外追放された理由にも言及した。
「国を追放されたのは、皇太子が愛している女性を犯罪組織に拉致させた罪で罰せられたためです」
アッシュはあまり飲み込めていない表情をしている。
「なぜそのようなことを?」
そう言われて、エリィは少し困ってしまった。転生した時にエリザベスの記憶は残っていたが、フローラ嬢を排除したいという衝動は残っていなかった。結局エリザベスの取り巻き達がフローラ嬢を拉致してしまうのを止めることはできなかったが……
「嫉妬と、婚約者としての地位を守るため……だったのだと思います」
アッシュはしばし考え、トーンの低い声で言った。
「エリィがそのようなものに執着するようには見えないが……
プルシェンテの皇太子を愛していたのだな」
「……今となっては、自分でもよく分かりません」
転生前のエリザベスはアルル皇太子を愛していたのだろうか? エリザベスの記憶をたどると、それは愛と言うよりもヒステリックな承認欲求だった様にも思える。しかし、もう今となっては彼女の気持ちを確かめる手段は無かった。
「エリィの出自に関してはよく分かった」
アッシュは浮かない顔のままエリィの肩に手を置くと、バルコニーを去って行った。
アッシュの評価が下がってしまった、とエリィは気持ちを滅入らせたが、悪い情報は早めに出してしまった方が、きっと後々楽になれるだろうと自分を慰めた。