第五話 桜の散る頃に 中編
続きになります。
前話から読んでいただけると幸いです。
調査を始めると言ったものの、オカ子は既に伝説の夜桜に関しての情報をほとんど掴んでいた。心霊スポット程度の興味であっても、情報収集を欠かすことはしない。机の上に広げられたノートには彼女が自分で調べた伝説の夜桜に関する情報が綴られていた。
「まず、伝説の夜桜と呼ばれるあの桜は戦前からあの場所に立っていたわけだが、伝説の夜桜と呼ばれ始めたのは終戦あたりからだな」
「そんな昔から生えてたのね。けど、終戦あたりからって何かきっかけがあったのかしら」
オネエが首を傾げると、オカ子が頷く。そして図書館から借りてきたのだろうか、古めの郷土史の本を開き、一枚の写真を指さす。そこには桜の木の側にある小さな墓石が写されていた。そして、オカ子は写真の下に添えられた一文に指を這わせる。
「本人の意向により、この桜の木の下に戦死した青年の遺体を埋め、そこに墓を作った。終戦あたりという時間の説明が付く要因としてはこれが一番適当だ」
「桜の下に死体が埋まっている。何もないわけないものね!」
「そういうことだな」
そう言うと、オカ子は更に他の本を取り出す。それはこの地域の民間伝承に関するものであった。
「あら、懐かしいわね、その本。一年生の頃、そこに書いてある伝承、全部検証しに行ったわよね。もう私有地になってたりして結構苦戦したけど、結局一つも再現性がなかったのよね」
懐かしむオネエの表情は楽しげだ。当時はどうあれ、今思い返せばいい思い出だったということだろう。
「全部今では確認できないって結論じゃなかったかしら?」
「いや、一つだけ確認できなかったことによって正しいと分かる項目があるぞ」
オカ子がそういうも、オネエはピンとこない様子で首を傾げる。
「盛りを終えた夜の繁華街を歩いていると行方不明になるというあれだ」
「ああ、そう言えばやったわね」
居酒屋が営業時間を終えた頃に繁華街の道を歩いていた二人であったが、その時は陽が昇るまで何事もなかったのだ。
「夜までカラオケで時間を潰してたのよね。それで、オカちゃんの歌が凄く下手だったの覚えてるわ」
「忘れさせてやろうか? ほら、この魔術書の角とか硬くてよさ気だぞ?」
「わ、悪かったわよぉ」
頭を庇いながら謝るオネエに、オカ子は手に持ったそれを本棚へと戻した。そして話を戻すように咳払いをし、再び話し出す。
「この本の記述では終戦前までは度々行方不明者が出ていたというものだった。つまりだ、私たちが何事もなく帰れたということは、この記述が正しいということだろう」
終戦までという言葉の意図、それは現在は行方不明者が出ていないということだ。それならば、二人がここにいることが証明に成り得る。
「……でもそれは終戦前まで行方不明者がいっぱい居たって言うのが正しかった場合の話じゃないの?」
「お前にしては、鋭いな」
オネエは照れくさそうにするが、オカ子にその意図はない。
「だが、その辺りも調査済みだ。何せ実際にその時に生きていた証人がいるからな」
「どなた?」
「私のひいおばあちゃんだ」
「なるほど」
その人物と面識のあるオネエはオカ子の根拠に納得する。オカ子のひいおばあちゃんは彼女の今を形成させた要因の一つであり、近所の人からは魔女と揶揄されていた。
「この終戦という時期を区切りにしているあたり、何らかの関係があるだろう」
それに頷いて見せるもオネエはピンとこない。なぜ恋愛成就の夜桜と行方不明者の有無が関係しているのだろうか。
「初期の伝説の夜桜の伝承に恋愛成就はなく、ただ夜になると満開の花を付けるだけの桜だったようだ」
「そうなの?」
「ああ。それも四季を問わず毎晩咲き誇っていたらしい」
想像してみてオネエはその幻想的な光景に毎晩でも花見がしたいと思えた。
「けれど、いつしか夜桜は毎晩咲くことはなくなり、一日置き、二日置き、とその間隔を次第に長くしていった。そしてついに……」
「咲かなくなったのね」
「いや、不定期になった」
「あら、そうなの。あ、当然よね。じゃないと伝説の夜桜の話が今の今まで続いてるわけないものね」
オネエは『恥ずかしー』とわざとらしくその顔を手で覆った。それをオカ子は冷ややかな眼差しを向ける。
「その時期からか、恋愛成就が夜桜に付属してきたのは」
「そうなのね。じゃあ、そこで何かが変わったのね」
「うーん、そう考えるか……」
オカ子は歯切れ悪そうに言う。オネエはその理由が分からず尋ねる。
「いや、そう考えるのは妥当ではあるが、夜に満開の桜を見せるという点で本質が変わっていないように思えるんだ。確かに恋愛成就はするが、目的は別のような……」
けれど、そこに確証はないようでオカ子は語気を弱めていった。
「まあ、それは置いておいても、初期の夜桜は何らかの形で行方不明者の減少と関係があっただろうというのが、私の見解だ」
「さすが、オカちゃんね。けど、何か足りなくないかしら?」
「ああ。行方不明になるファクターがない。なぜ行方不明者が出ていたのか、なぜ行方不明者が減ったのか」
そこまで言うとオカ子は立ち上がり、スタンドに掛けられた黒いローブを手に取り見に纏った。
「それを調べるのが今回の活動だ」
「ワクワクするわね」
調査は夜の自然公園。それまでの間、オネエは再びオカ子の歌を聴かされるのであった。
◇ ◇ ◇
オカ子は公園に足を踏み入れる。
日中とは打って変わった不気味さを見せる公園に、彼女の胸は高鳴る。それは日常に潜む非日常のように見えて、昼の賑わいからは考えられない程の静けさで、そういうギャップの中に彼女の求めるオカルトはあるのだ。
躊躇うことなくオカ子の足は公園の奥の暗がりへ暗がりへと進んでいく。木々の騒めき、風のうめき声、街灯の瞬き。その全てが彼女の好奇心をくすぐり、この場を日常と認めなかった。
大きな桜の木を横目に茂みを掻き分け奥へと向かう。彼女は知っているのだ。この公園に、この世界の違和として存在する怪異の存在を。それは論理的な帰結の末に求められたオカルト少女の求めた期待通りの答えだった。もう机の上で幻想を夢想する必要はない。自分の望んだ世界が自分の臨む世界に存在しているのだから。
不意に風が頬を撫でた。いや、撫でる風なら今までいくらでもあった。けれど、その風が妙に気になったのだ。温度が違う、含んだ湿気が違う、質感が違う、常世のものではないように思える。
それもそのはずだ。いつの間にか自身の体は動かなくなっており、後ろにはどうにも息を荒くした何者かが立ち、オカ子の首をその細い腕で締め付けていたのだから。
息が詰まる。気道を圧迫され、生命活動に必要な行為の一つを潰された。たったそれだけで絶望的な弱い存在であることを認識できたオカ子はそれでも胸が高鳴り、嬌声を上げた。瞳から流れる嬉し涙が頬を伝い流れていく。それが温いと感じることもなく、赤らむ頬に不気味な笑みを張り付ける。
視界が曇り始め、その意識が端の方からぷつりぷつりと切れていく。それが嬉しくて、それが楽しくて、どこまでも愉快な感情を抱いたまま、彼女の意識の全ては途切れたのだ。
◇ ◇ ◇
うんざりした様子のオネエとどこか満足げなオカ子の二人は夕食を済ませ、公園の入り口に立っていた。住宅街に隣接する自然公園。奥には病院のリハビリ施設も併設しており、日中は老若男女問わず賑わう規模の大きい公園である。それ故にその全貌を把握しているものは少なく、池を挟んだ奥の方にもなれば近づく人はあまりいない。
立ち並ぶ街灯の間隔が次第に長くなれば、辺りは鬱蒼と茂る草木に覆われているが故に住宅地からの光を完全に遮断し、暗闇を作り出す。頭上に浮かぶ丸い月が唯一の光源としてこの地を照らす。けれど、それでも足元を確認するには十分ではない。ゆっくりと進んでいく二人はようやくたどり着く。
「進入禁止のコーンが沢山あるわね」
「だな。昼はここで撤去するにあたって作業しているんだろう。一般人が踏み込んだら危ないだろうからな」
「と、言いながら躊躇いなく跨いで行っちゃうオカちゃんが大好きよ」
「はいはい」
オカ子を追うようにオネエはコーンの間に渡されたバーを跨いで行く。
暗闇の中に夜桜は鎮座していた。その堂々たる佇まいに初めて見たオネエは感嘆の声を漏らした。
「すごいわね。想像していたよりも全然立派だわ」
「だが、案の定咲いては居ないようだな」
オカ子の言う通り伝説の夜桜はその枝に花を付けてはおらず、疎らに葉の付いた枝を晒すばかりであった。
「この木で間違いないのよね?」
「木の根元を見てみろ。小さいが墓石のようなものがあるだろう」
言われて視線を下げてみれば、なるほど確かに花崗岩質の加工された石がそこにはあった。花も添えられており、定期的に誰かが訪れている様子だ。
「古くなっててなんて書いてるかは分からないわね。けど、お墓があるってことは確かにこれが伝説の夜桜ってことなのね」
「そうだろうな」
オカ子は辺りを見回す。そう、二人の目的はこの夜桜ではないのだ。今回探し求めているものはこの夜桜が夜に咲く理由となるファクター。それは間違いなく夜桜の近くになければならないし、そうでなければ視覚に訴えかける夜桜という手段を取る必要がないのだ。
「……見つけた」
「え、どうかしたの、オカちゃん」
オカ子の呟きにオネエは振り返る。するとそこには影が一つ、夜桜の正面の少し開けた草地に座り込む女性の姿があった。その女性は宵闇に溶け込むような黒い布を纏っていることもあり、桜に木を取られていた二人は初め気が付かなかったのだ。
その姿を視界に収めたオカ子は不気味な笑みをその顔に浮かべるのを抑えられなかった。できる限り興奮を抑えつつその影に近づいていくと、女性はこちらを全く警戒することなくその接近を許した。
「貴方は何者だ?」
「ちょ、ちょっとオカちゃん。いきなり過ぎないかしら⁉ まずは挨拶から始めないとだめよ」
「……こんばんは」
そうオネエが言うものだから女性の方が先に挨拶をした。その素直な対応にオネエは嬉しくなってそのテンションを上げていく。
「こんばんはー。ごめんなさいね、オカちゃんがいきなり失礼なこと言っちゃって」
「おい、私は別に失礼などしてないぞ。ただ正体を聞いたまでだ」
「それが失礼なのよ。いくら怪異が相手でも初対面の人……人じゃないけど、とにかく挨拶は大事なのよ!」
既に目の前の女性を怪異と断定するオネエも十分失礼な振る舞いであるように思えるのだが、女性はそれに憤りを感じるでもなく、ただ自身を放置し話す二人を無害だと判断し再びその視線を桜へと向けた。
「貴方はこの桜が好きなのか」
そんな女性の仕草にオカ子は興味を示す。
「……興味を抱いている。この木は私の暇を潰してくれるから」
「咲いていないのにか?」
「…………」
女性はオカ子の方を向く。血色の悪そうな肌は月の光を悉く弾き、その異常なまでの白さを二人に見せつける。
「もう一度聞く。貴方は何者だ」
「……私は未知子。喰人鬼の、未知子」
その問いかけに答えるか答えないかを悩む間もなく彼女、未知子は即答する。彼女にとって自分の正体がばれることに抵抗はないのだ。なぜなら、それが彼女の行動を阻害することはないのだから。
「素直に答えてくれたことには感謝する。けれど、それは私たちを生かす気がないからか?」
「……違う」
「なら、どうしてだ? 私がこれを言いふらせば、貴方の居場所がなくなるかもしれないぞ?」
「……もう手遅れ」
そう言って未知子は辺りに散らばる重機に視線を向ける。未知子はこれがどういうものかを知ってはいない。けれど、これらが何を意味するか程度は理解できるのだ。
未知子の言葉にオカ子は黙る。彼女はこの桜を自身の居場所としているらしい。つまりこの桜が無くなれば、折角のオカルトが二つも同時に消えてしまうのだ。当然それはオカ子にとって惜しいことだ。けれど、それをどうにかする手段をオカ子は持ち合わせていない。怪異が依代を失えば消えるのは定めである。その桜が役所によって撤去されるというのだから、一個人の力では太刀打ちのしようもない。
「えっと、未知子ちゃんは……」
「ちゃん付けだと⁉」
オカ子はオネエの呼び方に驚愕を禁じ得ないのだが、オネエに茶々を入れないでと怒られてしまい、押し黙った。
「どうしてこの木が無くなったらいなくなっちゃうのかしら?」
「……私は喰人鬼。朽ち果てることのない魂に私は食事でしか暇を潰せなかった。けれど、この桜だけは、食事に勝る暇潰しを与えてくれた。そして、それを彼は望んでいた」
食事という言葉が何を意味するのかは想像に難くない。オネエは未知子が自分の存在意義を抑え込むためにこの桜が必要なのだと理解する。
「……彼がいなくなったら、私は再び食事をする。しなければ、私は私を認められない」
永劫の生を持つ未知子だけが持つ苦悩。時間は彼女に思考させる。思考は彼女に自己の存在への疑問を呈する。自分が自分であるため、自分がここに存在しているという証明。彼女が彼女であり続けるために必要な存在証明の手段、それが食事なのである。
しかし、その苦悩の元を辿れば原因は思考を促す退屈にある。故に、その退屈を解消してくれた夜桜の存在が彼女に疑問を抱かせなかったのである。
「……けれど、それはもう私ではない。彼が与えた数十年という短い時間は私を変えるには十分な時間だった」
数十年が短いのかという疑問を抱きつつも、オネエは未知子が感じている苦悩を理解することができた。
「要するにあなたはその彼の望んだ自分のままでいたいのね」
「……そう……なのか?」
「そうよ、きっとそうよ!」
戸惑う未知子を尻目にオネエは興奮気味に一つの結論を得た。
「それって、とっても乙女じゃない!」
それは、未知子が乙女であるという結論であった。
「……乙女?」
興奮気味に語るオネエの言葉を未知子は理解しきれなかった。
「そうよ! 好きな相手の理想になりたい、理想に近づきたいなんてもう恋する乙女の思考以外の何物でもないわ! 分かるわ、あたしも経験あるもの!」
「お前は乙女じゃないだろうに」
「心は乙女なのよ!」
けれどオネエの熱弁もむなしく、やはり未知子には理解しきれていない様子だった。
「……私は、彼のことが好きなのか」
「そうじゃないの?」
「……分からない」
客観的に見れば、未知子の抱く感情が好意であることは間違いないのだが、本人はそれを理解できない様子であった。
「……彼は人間で、私は喰人鬼。その間に、恋情は芽生えるの」
「恋に垣根は要らないのよ!」
「お前が言うと響くな」
「……誤解ないように言うけど、あたし普通に女の子が好きよ?」
「それは衝撃的な事実だ」
オカ子はオネエの言葉を冗談と受け取り流す。なにせ日常的に男の尻を撫でたりするオネエである。余りある状況証拠がそれを嘘だと言っているようにオカ子は思えた。
「ところで、その彼というのは誰だ」
そんなオカ子の問いに未知子は黙って桜を指差した。
「あー」
それは薄々気づいていた事実であるが、一番厄介な事実であった。
あの後、未知子を自分の家に招こうとしたオネエであったが、日中は地中に居なければいけないらしく断られた。故にまた日が暮れた頃にこの場所で会う約束を取り付けると、その日は解散となった。そして、日中動ける二人は相も変わらず部室に集まっていた。
「というわけで、未知子ちゃんの憂いを何とかしてあげたいわね」
「そうは言うが、それは中々に至難の業だと思うぞ」
「そうかしら。要は、未知子ちゃんと夜桜の彼をくっつけてしまえばいいってことよね」
「違うだろ……」
オネエの二人をくっつけるというのは手段としてはなしではないのだが、問題の本質的な解は未知子の退屈の長期的な解消、もしくは食事とは異なる存在証明の提示になる。
「大体、その夜桜が撤去されるのだから付き合えたとしてもすぐに別れが来るだろう」
退屈の解消としてオネエの案は良いと思うが、相手が霊体ということ、更に依代である桜を失うということでそれはその場しのぎの短期的な解決にしかならないとオカ子は考えるのだ。
「そんなことないわよ。思いが通じ合えば、例えそれが一瞬のものであったとしても人一人を変えるには十分すぎる出来事よ。好きな人の為に生きるなんて、素敵な存在証明じゃないかしら?」
けれど、オネエの考えは違った。オカ子が退屈の解消と考えていたその手段は、オネエの中では存在証明の提示による解決だったのだ。
「……そういうものなのか?」
「そういうものよ」
「お前は、例え別れることが決まっていたとしても、それがどれだけ短い期間の交際であったとしても、十分だというのか?」
「そうね。だって、考えてることも何もかも違う二人が、そのたった一つの想いだけは違わず共有してるのよ? それって、すごいことだし、やっぱり嬉しいと思わない?」
オカ子は少し困った顔をする。そんなことを考えたことも、まして経験したこともないのだから、どうにも思考がまとまらないのだ。
「その辺りは私には分からない領分だな」
「オカちゃんはそういうところ初心だものね」
「馬鹿にしたか?」
「してないわよ~。むしろ、そう言う所もあたしは好きよ?」
「はいはい」
いつものやり取りに二人は少し笑みをこぼす。そして、オカ子は立ち上がると、黒いローブを身に纏った。魔女のような風格を見せるその一張羅は某ディスカウントストアでパーティーグッズとして売られていたものだ。
「よし。いくぞ」
「ねえ、オカちゃん。それ暑くないかしら?」
見るからに熱が籠りそうな材質のそれにオネエは心配のようだ。
「もちろん暑いぞ。風を通さないからな。サウナのようだ」
「やっぱり。熱中症で倒れちゃうから脱いだ方が良いわよ」
「その時はその時だ」
鼻を鳴らし、オカ子はローブを翻す。
「私が倒れた時は、お前が介抱してくれるんだろ?」
「え? ええ、その通りよ! だから安心して倒れていいわよ、オカちゃん! 寧ろ早く倒れて!」
「その言い草はどうかと思うがな」
そうして二人は元気よく外へと飛び出す。活動二日目の始まりである。
日が暮れるまで時間があるので、二人は伝説の夜桜の恩恵に預かった生徒から話を聞いて回ることにした。
「じゃーん、最近夜桜のおかげで彼氏ができたと話題の音無ちゃんでーす」
「こ、こんにちは」
最近と言っても四月ごろの話ではあるらしい。その頃は花見の客も多くいて伝説の夜桜と言っても普通に咲いている桜の一つにしか見えなかったようだ。
「で、その大きな桜の木の下で告白しようとしたら頭が真っ白になっちゃって、気が付いたらその、彼から返事を貰ってて」
「告白したときの記憶はないと」
「うん。彼曰く、私らしくないはっきりした口調だったらしいんだけど……」
噂の一つである、人の体を勝手に乗っ取り告白の手助けをするというものを体験したのだろう。新しい情報はなさそうだと見切りをつけたオカ子であったが、そう言えばと思いだしたように話し出す音無に耳を傾ける。
「あ、あと、返事を貰ってね、夜桜さんありがとうって振り向いたらさっきまでとその様子が違ってたの」
「違う?」
「うん。なんというか、それまでは、『あ、桜が咲いてる』って感じだったんだけど、その時見たのは『これが、伝説の夜桜……』って感じで、うまく説明できないけど、違う花びらになってた気がするんだ。まさに伝説って感じの」
まったく具体性のない証言ではあったのだが、オカ子はそれを有益な情報と判断していた。オカルトで重要になってくるのは感性である。理論的に説明できるようなものがオカルトであるはずがないのだから、それが重要になるのは当たり前のことである。
「ありがとう。有益な情報だった」
「えへへ、そう? ならよかったよ」
そう言い、快く話してくれた唯一の目撃者は廊下の角から様子を伺っていた友人たちの元へと帰っていった。
「ようやく一人目ね。もう、皆オカちゃんが話しかけるとすぐ逃げちゃうんだから」
目撃情報が多いことがあの夜桜の特徴であるにもかかわらず、オカ子の情報収集が難航している原因はそこにあった。オカ子はこの学校で悪い方に有名なのである。得体の知れない、気味の悪い人物なのだから関わらないに越したことのないというのが皆の共通認識であり、それ故に避けられてしまうのだ。
「それで、後何人くらい目撃者がいるの? もう五十人目でやっと提供者一人なんだから、あと百人くらいは聞いて回らなきゃね」
「二人だ」
「オカちゃん、部室に帰ってお茶にしましょう。日没まではもう少し時間があるわよ?」
「何を諦めているんだ」
すでに逃げられることを前提で話し出すオネエにオカ子は呆れ顔だ。
「だって2パーセントよ? それをたった二人で引き当てようとしてるのよ? 今時のスマホゲーですら3パーセントはあるわよ」
「大丈夫だ。今から行く奴らは確定ガチャだ」
「そうなの?」
「ああ。何せ、お前の癖の強い知り合いだからな」
そう言って訪れた生徒会室で会長は苦い顔を二人に見せた。
「やだ、クールな会長ちゃんがこんな顔したところ初めて見たわ」
「……なぜそいつを連れてきた、有栖」
どうやら会長はオカ子のことが苦手のようで心底嫌そうな顔をオカ子へ向けていた。
「熱い視線をどうもありがとう、会長さん。少し聞きたいことがあって来たんだが、入ってもいいかな?」
そう言うや否や、オカ子は生徒会室のパイプ椅子に腰掛ける。
「もう入ってきてるではないか……」
「会長ちゃんもオカちゃんのこと苦手だったのね」
「苦手も何も、オカルトサークルの設立時に色々と頭を悩ませたからな」
思い出すのも嫌なのか、会長は深いため息の後にオカ子の方へ向き直った。
「それで、どういった要件だ」
さっさとお引き取り願いたいのだろう、早速本題に入るよう促す。オカ子の方も長々と雑談に興じるほど暇ではないので言われるがままに話し出す。
「簡単な話だ。お前の夜桜に関する体験を聞かせて欲しい」
「……何を企てている」
「悪事でないことは保証できるな」
そう言うも、オカ子の言葉を信じきれない会長は話を渋る。
「お前もあの夜桜に多少なりとも恩義を感じているんだろう。なら、それを返す時だ」
「お前にそう言われてもな……」
悩んだ様子を見せる会長にオネエは食って掛かる。
「ちょっと、乙女の恋路を邪魔する気? それならあたしにも考えがあるわよ!」
「ん、乙女? それは誰のことだ」
会長は夜桜と乙女という言葉に少し思う所があったのだろう、オネエに尋ね返した。
「未知子ちゃんよ。夜桜の彼に恋する乙女なんだから」
夜桜の彼という表現に聞き覚えがあった会長は納得したように頷いた。
「なるほど。あの女性のことか」
そういうことならと、会長は口を開き、その女性から聞いたという話を語り始めた。
彼と呼ばれた男性はあの桜の元で一人の女性に恋をした。けれど、戦時中の徴兵に駆り出された彼は女性に想いを伝えることなく戦場で死を迎えてしまう。そんな末路を予感していた彼は出兵前に家族に自分の墓はあの女性と出会った桜の側に建てて欲しいと伝えていた。亡骸を桜の下に埋められた彼はやがてその身を桜に移し、伝説の夜桜として存在し続けた。いつか女性に想いを伝えるために、春にはその身に満開の花を付け、咲き誇っているのだった。そんな境遇の元で霊体となったわけなので、自分と同じような境遇、秘めたる想いを伝えられず一歩踏み出せない者の背中を押す恋愛成就の手助けをしているという。
「この彼というのは桜の木の下にあった墓の下に眠る方のことだ。そして、君らの話によればこの女性というのが彼女、未知子さんということになるな」
会長の話に耳を傾けていたオカ子は少し引っかかる所があった。
「想いを伝えるために花を咲かせた?」
「そう彼女は語っていたが、それがどうした」
話の流れ、少なくとも男の動機としては全くおかしなところはないのだ。むしろ、それが理由である方が正しいとさえ感じる。けれど、それではある時期から恋愛成就の伝承が加えられた理由が説明できない。
会長は話してやったのだから早々に帰れと言いたげに手を払う。それに苦笑しながらオカ子は席を立つ。
「ああそうだ」
扉に手をかけていたオカ子は思い出したように会長に尋ねる。
「お前が見た桜は、オカルティックだったか」
その問いかけに、会長はしばし沈黙したのちにふっと笑みを浮かべる。
「ああ、お前好みの幻想だったさ」
「そうか」
そう言い残すと、オカ子はオネエを引き連れて部屋から出ていく。
「お邪魔しましたー。会長ちゃん、業務頑張ってねー」
「お前がサボった分なんだがな」
オネエは会長の苦言を聞かなかったことにして扉を閉めるのだった。
廊下を歩きながらオカ子は思考を巡らせる。
一つ分かったことは夜桜が生まれた理由は未知子の食事を止めることではなかったということである。その目的が今も変わっていないなら、未知子の言う彼の望みというものはピントのずれたものになる。おそらく、生前の彼は未知子が喰人鬼であることを知らなかった。けれど、どこかのタイミングでその現場を目撃し、止めようとその目的を変えたのだろうとオカ子は考える。
「それが、恋愛成就のキッカケ?」
オカ子は自分で言っていてその繋がらない因果関係に苦笑する。
「あたし閃いちゃったのわ」
「そうか、それはよかったな」
オカ子は適当にオネエの言葉を流し、再び思考しする。恋愛成就と目的の変更は必ずしも同時期ではないというのが今の見解だった。それは一歩進んだように見えて、むしろ問題が増えたように思えた。
「ねえ、聞いてよ、オカちゃあああん!」
「ああ、大きな声を出すな! ……分かった。どうしたんだ」
「ふふん」
オカ子に構ってもらい嬉しそうなオネエは上がった口角のまま口を開く。
「あたしね、思ったの。ほら、伝説の夜桜って昼は花を付けてないけど、夜になったら満開になるでしょう? それってね、すごい疲れると思うのよ!」
「そうだな。疲れるな」
オカ子はオネエの言葉に興味を無くし適当にあしらう。
「でね、思ったんだけど、桜の木の寿命って長くて六十年じゃない。だから途中から自分の力だけで咲かすのが難しくなっていったんじゃないかしら」
しかし、そのオネエの言葉にオカ子は驚き彼……彼女の方へ向き直る。
「なるほど。それなら夜桜が咲く間隔が長くなっていった説明ができる」
「でしょう! どうかしら、オカちゃんほどじゃないけど、あたしだってオカルトサークルの一員だもの。やればできる子でしょう?」
「ああ、ただの給仕係じゃなかったな」
「そうよ、ただの給仕係じゃ……。そんな風に思ってたの⁉」
大げさなリアクションで驚いたふりをするオネエを尻目にオカ子は一人納得していく。
「自力で咲けなくなれば不定期になるのも頷ける。だが、そうなるとどこから力をもってきているんだ」
「そんなの愛に決まってるじゃない!」
「愛か……。確かに恋愛成就と辻褄は合うが、桜を満開にするほどのエネルギーになるのか」
「何言ってるのよ、あたしを見なさいよ。溢れんばかりの愛の熱量でいつも元気でしょ?」
「すまん。私にはお前の恋の熱力学は理解できないようだ」
「もうっ! ノリ悪いわね、オカちゃんは!」
そうして二人は校門から外へ出て、最後の一人がいる公園へと向かうのだった。
読んでくださりありがとうございます。
よろしければ感想を聞かせてください。
一瞬前後の繋がりが分かりづらいところがありますが、違和感のまま進んでもらって大丈夫です
次の更新で最終話になります
お付き合いくだされば幸いです