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7月18日。日曜日。大分県。沈堕ノ発電所跡。夜。
さっきから誰かにつけられてる感じがする。
私は足を一度止め振り向く。誰もいない。
「気のせいかしら?」
いや、やっぱりつけられてる。私の勘が外れるわけがない。
私は手すりを乗り越え、わざと枯葉や枝の多い道に足を踏み入れた。
これなら水の音が辺りに響いていても、足音を聞き逃さない自信があったからだ。
カサ、カサ、カサ、カサ、カサ、カ。
カサ、カサ、カサ、カサ、カサ、カサ。
重なるように歩いていたが、私より半歩ほど後ろの誰かは歩いた。
「誰!」
振り返ると誰もいない。
しかし、すでに手は打ってある。
私はすでに持参していた、ツマグロスズメバチを放っていた。
足音の止まった場所へ、生き物がいたら刺せと命令を出し、蜂で攻撃を開始する。
すると何もない空間からバっと手だけが出てきて、勢いよく煙が蜂に噴射された。
すると蜂は力無く地面に落ちてしまう。
「姿を見せたら?もうバレてるわよ」
「やっぱ―」
私の声に反応し、何もない空間から、いく枚もの何か書かれた紙が舞い、黒い髪を結った無精髭の長身の男が姿を現した。
少しよれたワイシャツ姿の男は、腰に茶色のベルトポーチが巻いていた。
「バレてたか」
「おじさん、誰?」
私はそう問いかけながら、落ちた紙に書いてある言葉を読む。
すると、そのどれにも景色と常に一体化するギリースーツと書いてあった。
「おじさん?おじさんはDeletarだよ。お嬢さんは、顔見せてくれるかな?」
私はお望み通り黒いフードを脱ぎ、そのままパーカーを脱ぎ捨てる。
「うお、これまたすごい個性的だこと」
彼は全身ムカデのタトゥーだらけで、スキンヘッド姿の私を見てそう言った。
「それって褒めてるのかしら?」
「褒めてる褒めてる。ただ、おじさんの好みじゃないかな」
「そう、残念」
私は大きくわざとらしい、ため息を吐く。
「君にはおじさんと一緒に来てもらいたいんだけど、どうかな?」
「ごめんなさい。私もタイプじゃないの。あなた、臭そうなんだもの。フフ」
「おじさん臭いって言われたことないんだけど―」
男のヘラヘラした雰囲気が、一気にピリっとする。
「残念だな」
そう言った男はこちらに勢いよく、三つ何かを投げてきた。
私の目には全て、ぐちゃぐちゃに丸められた紙に見えた。
何だ?
そう思いながらも私は軽く身を交わす。
「それじゃ避けれないよ」
男がそう言った途端、紙を避けていたはずの私に何かが大量に降りかかり、紙は消失した。
なに、これ?
「ほら」
男はまた紙を投げてくる。
ちょっと待って、この臭い―。
下から物を渡す感じで放ってきたそれは、私の目の前で炎の球に変わった。
ガソリンッ!
私は球自体を避けることはできたが、引火自体を防ぐことはできなかった。
「いやああああああああ!」
一瞬で全身に回った火は激しく私を燃やす。
私は地面に転がり、すぐに一方向に向かってひたすら回転を始める。
「そんなんじゃ消えないよ」
男の言葉を無視して、私はひたすら回転し、少し高い崖のようになっている岩場から、炎を纏ったまま水の中に落ちた。
痛いッ!痛い痛い痛いッ!
川の流れに身を任せ男から距離を取り、私は少し離れた場所で川から這い出た。
「うう、痛い」
私は口を開きゴキブリを数十匹吐き出す。
そしてその全てに、皮膚がひどく損傷した場所に覆い被さってもらった。
これで痛みが消えるわけはないが、風が触れる痛みには対処できた。
「あのオヤジいい。殺してやる!」
「ワオオオオオオオオオン!」
その声に、一瞬呆気に取られる。
私の目の前で黒い犬が吠えていた。
なんだ、こいつは?
すると遠吠えの終わった犬は、私目掛けて突っ込んでくる。
私は膝立ちになり、ある虫を三匹耳の穴から出し、肩から二の腕へと這わせる。
犬が目前に迫ったタイミングで、私は掌でストレス感じさせ続けた三匹を、犬の顔目掛け指で弾いた。
すると犬は私を避け、情けない声を出しながら川砂利の上を転がり、その姿を地面の中に消していった。
その場には私の放ったクサギカメムシだけが残されていた。
私は立ち上がり、火傷の痛みに悶えながらも、急ぎ足でまた木々の中を闇雲に行く。
「はあ、はあ、はあ」
「おじさんさあ、あんま走んの得意じゃないんだよね」
私の前に立ち塞がり、さっきの男がそう言った。
「お前、殺す」
「うーん。嫌かな、死ぬの」
私は口からキイロスズメバチを五匹出し、自分の周りに飛ばせる。
そして私自身が勢いよく男に突っ込むのと同時に、五匹の鉢を飛翔させる。
すると男は紙を2枚投げた。
「はああッ!」
私は男の鳩尾を目掛け蹴りを入れる。
それを軽く手でいなした男に、さらに追い討ちのパンチの連打を浴びせる。
私の目的はパンチを当てることではない。
虫が奴に毒を入れれるよう動くことだ!
「おじさん、女性を殴る趣味はない、んだ、よね」
パンチを捌きながら男は言う。
マヌケが!来い!
上空に飛ばした蜂に強襲を合図する。
すると三匹の蜂が勢いよく男に襲いかかる。
ん、あと二匹はどうした?
「蜂はさっき見たからさ。対策済み」
ニッコリと笑って、男は私のお腹を蹴り飛ばした。
「ぐはあ」
火傷の痛みも相まって、私は側から見たら大袈裟に見えるほど痛がってしまう。
私はうずくまりながらも、奴を睨む。
すると、何故か蜂は奴に危害を加えられずに、私の命令に逆らっていた。
「な、なぜ?」
「お嬢ちゃん。オニヤンマって知ってるかい?蜂はその姿を目視するだけで、近づけないらしいよ」
コイツッ!
奴はいつの間にか首元に、オニヤンマを従えていた。
「ほら、あと一匹」
男の指さす方向を見ると、蜂が鳥に捕食されるところだった。
「これで最後」
男の指先に鳥が一羽止まる。
「モズは知ってるかい?コイツには速贄と言う修正があってね、捉えた餌を棘や枝に突き刺す修正があるんだ」
男が説明を終えると同時に、オニヤンマとモズは紙に戻った。
そしていつの間にか、蜂は全滅していた。
だが、私が放ったのは蜂だけではない。
さっき私がパンチを放っていた時、その過程でタイワンキドクガとヤマンギを奴の横っ腹部分に付けた。
その毒針で、奴を悶絶させてやるッッ!
しかし風がない。よって毒針は飛ばせない。だから直接服のない顔を狙って背中から這いあがり、攻撃しろと命令を出した。
「あんた、さっき女を殴る趣味は無いとか、言ってなかったかい?」
「ふふん。だから、蹴ったろ?」
「最低ね」
早く毒針で刺せ!
「ねえ、あなた―」
「お嬢ちゃん、虫を使うんだろ?おじさんの靴の裏に、ゴキブリが潰れてる」
さっき私の腹を蹴った時に体を覆っていたゴキブリが、どうやら奴の靴についたらしい。
「ふふ、正解。私のRitualは昆虫支配。昆虫に命令を出して操ることができる」
まだか?まだ虫は―。
「何を待ってるんだい?お嬢ちゃん」
男はニヤリと笑みを浮かべる。
「待つ?私が?何を?」
「すごいね。図星って感じのリアクションだ」
コイツゥゥ!本当に腹立たしいッ!
怒りに奥歯を噛み締めていた私だったが、次の瞬間奴の姿に目を見開いた。
「ちなみに、背中についているこの二匹は、なんて名だい?」
男は背中を向けていた。
するとそこには、ベッタリとくっついて動けない、忍ばせた二匹がいた。
「おじさん、歳も40だしさ。色々保険はかけてるんだよ」




