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本物の魔女

永久凍土の森、自治領『ネーベル』。


結界の最外周を取り囲むのは、帝国の旗を掲げた最後の軍勢だった。安全保安局長グレイブという強大な指導者を失い、保身と焦燥に駆られた帝国政府が、魔女という存在を歴史から完全に抹消するために放った、文字通り最後の悪あがきとも言える大包囲網。

その数、およそ一万。



かつての『魔女対策課』の残党も交ざり、憎悪と恐怖に凝り固まった彼らは、冷たい雪を踏み締めながら、静かに、しかし確実に進軍を開始していた。


「……愚かな人間たち。私たちの神聖な聖域に、その汚れた足を一歩でもねじ込めば、ただでは済まさないわ」



マーリンが結界の境界線に立ち、風の刃を両手に纏わせて冷たく敵軍を見下ろした。彼女の背後には、守るべき居場所を手に入れた数百人の同胞たちが控えている。だが、かつてのように怯える者は一人もいない。誰もが静かに、自らの力を信じて佇んでいた。


「マーリン、下がってください。ここは私が行きます」


銀髪を凍てつく風に揺らし、ユウナが前に出た。彼女の佇まいは、雪原に咲く一輪の可憐な百合のようでありながら、その背後から立ち昇る魔力は、一万の軍勢を単騎で圧殺できるほどの神域に達していた。


「ユウナ、無理はするな。……だが、あんたが世界最高の弟子だってことを、あの臆病者たちにたっぷりと見せてやりなさい。ただし、無駄な殺戮はなしよ。私たちはもう、あいつらと同じ地平にはいないのだから」


背後から響いたその凛とした声に、ユウナとマーリンは即座に背筋を伸ばし、深く頭を下げた。


「はい、ラビス様」


そこに立っていたのは、何者をも平伏させる覇気と神聖な威厳を纏った少女、ラビスだった。


紫の髪を優雅になびかせ、冷徹さと慈愛が同居する紅い双眸で敵陣を見据えている。仲間たちから「ラビス様」と崇め奉られる彼女の存在こそが、このネーベルの絶対的な精神的支柱であり、唯一無二の女王だった。


ユウナはラビスの確かな信頼を感じ取り、誇らしげに微笑むと、静かに敵軍の前へと歩み出た。



「撃て! 魔女を根絶やしにしろ!」




指揮官の悲鳴のような号令と共に、一万の軍勢から放たれた無数の砲弾や矢、そして魔力を乱す最新鋭の兵器が、一斉にユウナへと降り注ぐ。

重々しい金属音と火薬の匂いが大気を満たし、雪原が黒く弾け飛んだ。

だが、ユウナはただ静かに、両手を天へと広げた。その指先から、清らかな銀色の魔力が波紋のように広がっていく。



「――『精神の黎明ルミナス・ドーン』」




それは、かつてグレイブを消し去った『深淵への洗礼』をも上回る、ユウナの精神魔法の極致。

放たれたのは、破壊の光ではない。帝土全域を優しく包み込むような、温かで、圧倒的に美しい「精神の光」だった。

光に包まれた兵士たちは、引き金を引く指を止めた。

彼らの脳内に、激しい怒りや恐怖ではなく、幼い頃に母に抱かれた記憶、愛する人を守りたいと願った初心、そして何より、自分たちが戦っている「魔女」もまた、ただ愛する人と平穏に生きたいと願う「同じ人間」であるという、あまりにも当たり前の真実が、暴力的なほどの優しさで流れ込んできた。


「俺たちは……一体、誰と戦っているんだ……?」


一人の兵士が、手にした銃を雪の上に落とした。

その波紋は一瞬にして一万の軍勢全体へと広がり、武器を捨てる金属音が、凍てつく荒野に次々と響き渡った。戦意は完全に喪失し、そこにはただ、自らの過ちに気づき、静かに涙を流す、無力な人間たちの姿だけが残された。


ユウナは、それ以上彼らを追うことはしなかった。


「帰りなさい。そして、自分たちの国を、自分たちの手で作り直しなさい。私たちは、もう二度と貴方たちを脅かしはしません」


その静かな拒絶と慈悲の言葉に、帝国軍は静かに背を向け、退却していった。




それは、人類の歴史上、初めて「一人の死者も出さずに終結した、魔女と人間との戦争」だった。





それから、さらに数年。

永久凍土の森は、今や「始まりの緑の森」と呼ばれるほどに温かで、緑豊かな楽園へと生まれ変わっていた。魔女たちの魔法と、自然を愛する心が、凍てついた大地を永い眠りから目覚めさせたのだ。

帝国の残党が去った後、人間たちの国でも徐々に変化が起きていた。魔女を恐れるだけの時代は終わり、ネーベルとの間で細々とした交易や、魔法と科学の共存に向けた話し合いが、少しずつ、しかし確実に始まっていた。



「あ、ラビス様! また私のハーブを勝手につまみ食いして!」



十歳ほどに成長し、かつての母クレアに生き写しの美貌を湛えるようになったラビスが、ユウナの畑からイチゴを盗み食いし、口元を真っ赤に染めて悪戯っぽく笑っていた。



「ふん、ケチケチしないでよユウナ。私の魔力の維持には、良質な糖分が必要不可欠なのよ。……あ、マーリン! 今日の風の循環、ちょっと西側が滞っているわ。結界の維持に緩みが出ていてよ」



「ああっ、もう! ラビス様、成長するにつれてどんど人使いが荒くなっていませんか!?」



マーリンが、ほうきに乗って空から抗議の声を上げる。その表情は、かつての絶望に怯えていた頃とは違い、心からの輝きに満ちていた。


「ふふ、騒がしい日常ですね」


ユウナは泥のついた手を拭い、二人の姿を愛おしそうに見つめた。


その銀髪は温かな風に揺れ輝いている。


母たちの世代から始まった、血塗られた魔女の悲劇。

それは今、この緑豊かな楽園と、互いを信じ合う三人の絆、そしてラビスという気高き女王の導きによって、完全に「未来への希望」へと書き換えられたのだ。


「――ユウナ、何をぼーっとしてるの? 早くお茶にして。今日のパイは、マーリンに風で美味しく焼かせたんだから」


ラビスがユウナの手を引っ張り、屈託のない、しかしどこか女王らしい傲慢さを残した笑顔で笑いかける。


「はい、ラビス様。今、最高の紅茶をお淹れいたしますね」


ユウナはラビスの手を優しく握り返し、澄み渡る青空を見上げた。


そこには、遮るもののない、どこまでも自由な風が吹いていた。


魔女が魔女として、人間が人間として、ただ平穏に笑い合える世界。そして、その真の頂には【本物の魔女】のあるべき姿がある。


彼女たちの紡ぐ物語は、これからも、この美しい世界の夜明けと共に、どこまでも続いていく。




完結

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