第四話 失ってから気づいてももう遅い。善人の俺は許すけど、俺を愛する一万人の味方が君を許さない
璃々夢との別れから一週間が経った。
季節は完全に春から初夏へと移り変わろうとしている。日差しの強さが増し、木々の緑が濃くなる中で、俺の日常は少しずつ、だが確実に変化していた。
「善治くん、おはよ! 今日もいい天気だね!」
「天道、昨日の数学の宿題見せてくれよー」
「善治先輩、これクッキー焼いてきたんですけど、よかったら……」
登校するだけで、以前にも増して多くの人が声をかけてくるようになった。みんな、俺が辛い別れを経験したことを知っている。だからこそ、励まそうとしてくれているのだと分かる。その優しさが、少しだけくすぐったく、そしてありがたかった。
一方、璃々夢の姿は学校から消えていた。
あの日以来、彼女は学校に来なくなった。噂では、SNSでの炎上や学校での孤立に耐えきれず、家に引きこもってしまったらしい。さらに、彼女の両親もまた、地元の商店街で俺に助けられた経験があり、「恩人を裏切った娘」に対して厳しく当たったという話も耳に入ってきた。
「……自業自得、と言ってしまえばそれまでですが」
生徒会室で書類を整理しながら、帝雅が淡々と言う。
「彼女は世界を敵に回した代償を支払っているだけだ。誰も彼女に同情していない」
「帝雅、言い過ぎだよ。璃々夢だって反省してるはずだ」
俺が苦笑すると、帝雅はふんと鼻を鳴らした。
「反省? さあな。人間そう簡単に変われるものじゃない。……それに、彼女が戻ってきたとしても、この学校に彼女の居場所はないだろう」
帝雅の言葉は厳しかったが、事実はその通りだった。クラスメイトたちの璃々夢に対する拒絶反応は根強く、もし彼女が登校しても、針の筵だろう。
「……そういえば、蛇穴の方はどうなったんだ?」
俺が恐る恐る尋ねると、帝雅は手元の資料に目を落としたまま答えた。
「退学処分が決まったそうだ。警察沙汰になった上に、過去の余罪もボロボロ出てきたからな。実家も彼の不祥事で肩身が狭くなり、遠くの親戚の家に預けられることになったらしい」
「そうか……」
彼もまた、重い代償を支払うことになった。もし俺がもっと早く、二人の関係に気づいて止められていたら、こんな結末にはならなかったのかもしれない。そんな後悔が、ふと胸をよぎる。
「善治。自分を責めるのはやめろ」
俺の心を読んだかのように、帝雅が顔を上げて強い口調で言った。
「君は被害者だ。何も悪くない。悪いのは、君の優しさに胡座をかき、裏切った彼らだ。……君はただ、いつも通り笑っていてくれればいい。僕たちが、君の世界を守るから」
帝雅の真剣な眼差しに、俺は言葉を詰まらせた。
彼は本当に、俺のためにすべてを捧げてくれている。その友情の重さと深さに、改めて感謝の念が湧き上がった。
「ありがとう、帝雅。……俺、お前が親友で本当によかったよ」
俺が素直な気持ちを伝えると、帝雅は珍しく顔を赤らめ、咳払いをして視線を逸らした。
「ふん。当たり前のことを言うな。……さあ、作業に戻るぞ」
照れ隠しをする帝王の姿に、俺は少しだけ心が軽くなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
数日後、放課後の昇降口で璃々夢と再会した。
彼女は退学の手続きに来たらしい。制服ではなく私服姿で、以前のような華やかさは消え失せ、憔悴しきった表情をしていた。
「……善治」
俺に気づくと、彼女は力なく微笑んだ。
「璃々夢……元気だった?」
「ううん、全然。……私、引っ越すことになったんだ。転校して、新しい場所でやり直すの」
「そっか。……うん、それがいいかもしれないね」
俺は静かに頷いた。この街にいる限り、俺のファンたちの視線からは逃れられない。彼女にとって、新しい環境に行くことが唯一の救いになるはずだ。
「ねえ、善治。……もし私が変われたら、また会ってくれる?」
璃々夢は縋るような目で俺を見つめた。
その目には、まだ俺への未練と、過去への執着が見え隠れしていた。
俺は一瞬迷ったが、やはり首を横に振った。
「ううん。もう会わない方がいい」
「……どうして? まだ許してくれないの?」
「違うよ。許してる。でもね」
俺は彼女の目をしっかりと見つめて言った。
「君は君の人生を歩むべきだし、僕は僕の人生を歩む。過去に縛られていたら、君はいつまでも『善治を裏切った女』のままだ。……新しい場所で、僕のことを知らない人たちと、新しい幸せを見つけてほしいんだ」
それは、俺なりの最後のエールだった。
俺と一緒にいる限り、彼女は幸せになれない。だからこそ、完全に断ち切ることが、彼女への最大の優しさなのだと。
璃々夢はしばらく呆然としていたが、やがてポロポロと涙をこぼした。
「……うん。分かった。……ありがとう、善治。本当に、優しすぎるよ、あんたは」
「元気でね、璃々夢」
「さようなら、善治」
彼女は涙を拭い、背を向けて歩き出した。その背中は小さく、頼りなかったが、それでも一歩一歩、自分の足で前へと進んでいた。
俺は彼女が見えなくなるまで見送った。
一つの恋が終わり、俺たちはそれぞれの道を歩み始めたのだ。
「……終わったか」
いつの間にか背後に立っていた帝雅が、静かに声をかけた。
「ああ。終わったよ」
「未練はないか?」
「寂しいけど、後悔はない。これでよかったんだと思う」
俺は空を見上げた。雨上がりの空には、大きな虹がかかっていた。
「さあ、帰ろうぜ帝雅。今日は母さんがハンバーグ作るって張り切ってたからさ、お前も食っていけよ」
「……ほう。お母上のハンバーグか。それは断れないな」
帝雅は嬉しそうに口元を緩めた。
「善治。君の周りには、君を愛する人間がたくさんいる。それを忘れるな」
「分かってるよ。みんなのおかげで、俺はここにいるんだから」
俺たちは肩を並べて歩き出した。
校門を出ると、また誰かが俺を呼ぶ声がした。
「あ、天道くーん! ちょっと手伝ってくれない?」
「おーい善治! 自転車のチェーン外れちまってさー!」
俺は帝雅と顔を見合わせて苦笑し、そしていつものように、困っている人の元へと駆け出した。
「はいはい、今行きます!」
俺はこれからも、困っている人を助け続けるだろう。それが俺、天道善治の生き方だから。
そして、そんな俺の背中を、最強の親友と一万人の味方が支えてくれている。
それだけで、俺の人生は十分に幸せだ。
平凡で、お人好しで、でも誰よりも愛されている「ただの善人」の物語は、これからも続いていく。




