壊れゆく者
負傷した者たちに声をかけつつ、イレウスのもとへと向かうダンベルト。
ダンベルトはさきほどの侯爵の言葉を思い出していた。
『ただの暇つぶし』だといったあの時の顔。温和な表情の面を張り付けてはいるが、おそらく人の命などどうとも思っていない。踏みつぶそうと、目の前で悶えながら死にゆこうと何とも思わないだろう狂気がのぞいていた。そしてきっと自分の命すら――。侯爵にそう思わせたものは、何だろうか。
王都の大通りに、輪のように人だかりが出来ている。
――ここか!
輪の中央に飛び込むダンベルトの目の前に、剣を構えたイレウスと悠然とその前に立つ侯爵がいた。その顔にはあの作り物めいた笑みを浮かべている。
イレウスとは対角の位置で、ダンベルトは剣を構える。
「いい加減、観念していただけませんかね。エディオン侯爵殿。もうあなたの駒はいないでしょう?あの私兵もどこかへ行ってしまったようですし」
イレウスの冷ややかな声に微塵も動じることなく、穏やかな表情で侯爵は小さく笑いをこぼす。
「駒になど、初めから期待しておりませんからね。所詮皆、自分の身さえなんとかなればそれで良いのですから。どうだって良いのですよ。誰の命も、どの国も」
穏やかな表情とは裏腹に言っていることは冷酷無比そのもの、何かをあきらめたようなその達観ぶりに苛立つダンベルトである。
「なら勝手に自分だけ死ねば良かろう。別に止めはせんよ、周囲を巻き込まなければな」
「おやおや、もう追いつかれてしまいましたか。あの女は時間稼ぎも満足に出来ないのですね。まったく、駒にさえならないとは」
先ほどのタニアの最期の姿を思い出し、侯爵をぎり、と睨みつけて剣を握る手に力をこめる。
イレウスの目はダンベルトと侯爵が話をしている最中もずっと、その衣服のポケットあたりに注がれている。もしかしたらあの中に何かを隠し持っているのかもしれない。
侯爵の気をこちらに引くように、話を続けるダンベルト。
「随分な言いようだな。お前を逃がすために命まで捨てたというのに。もうひとつの駒はどうした?あの私兵はお前と同じように、暇つぶしでお前の命を聞いているだけだと言っていたが」
「あれは実におもしろい男でね。父もいい拾い物をしたものだ。気づいているかね、あれは人ではないのだよ?一応半分は人、だがね」
ふふふ、と目を細めて楽しそうに笑う侯爵は、まるでのんびりと町歩きをしているかのようにリラックスしている。よほど自信があるのか、秘策があるのか。
――半分人ではない、とはどういう意味だ?そういえばあの男も同じようなことを言っていた気がするが。しかもラルベルと同じといっていたような……。
ダンベルトは侯爵の言葉の意味をはかりかねて戸惑う。
「まぁいいでしょう。あれはもう私のもとへはこないだろう。かわいいお仲間を見つけたようだから。団長殿、お気をつけなさい。あれにお気に入りをさらわれてしまうかもしれんよ」
そういって楽し気に笑う侯爵。
何のことを言っているのか意味が分からず、だが胸がざわつく。しかし今はとにかくこの男の動きを封じなければ、とイレウスに目配せをする。
その様子に気づいた侯爵が、イレウスに視線を向ける。
「私からあれを奪おうとしても無駄ですよ。こちらに攻撃が向いた時点で気化するように仕掛けてありますからね」と、口元を大きくゆがめる。
一瞬その口元に狂気が垣間見えて冷汗がつぅ、とこめかみを流れ落ちる。
ざり、という足元の砂が踏みしめられる音以外にはしんと静まり返っている。すでに輪になっていた聴衆は衛兵や部下たちによって退避している。。
普段は賑やかで人に溢れている王都が、まるで墓場のように静寂に包まれていた。
その静寂を切り裂いたのは、イレウスだった。
一瞬、ダンベルトが目視できないほどの速さで何かを侯爵めがけて投げつける。
ガシャンという大きな何かが割れる音がしたと同時に、侯爵が衣服から何かを取り出す動きを見せる。
ダンベルトは、とっさに周囲を見渡すも花粉を変質させるような熱源も水もないことを確認して、侯爵に近づくと、その足元に何かの液体が広がって侯爵の衣服にも染みを作っていることに気が付く。
――あれは一体なんだ?イレウスが今投げたものか?
「それが何か、お前にはわかるだろう?」
イレウスの冷静な声に、わずかに侯爵の肩が動く。
わずかに視線を自分の足元、イレウスが投げつけたそれに向けると、侯爵は大きく息を吸い込んで動きを止める。
時間が止まったように静かな時間が流れる。
――次の瞬間。
侯爵は衣服から取り出した小さな瓶を思い切りよく地面に叩きつけたと思うと、突如大きな声で狂ったように笑い出した。
「は~~っはっはっはっは!!!!あ~っはっはっはっは!!!!まさかこんなものまで!よく見つけてきたな!褒めてやる」
狂ったように笑い続ける侯爵と、戸惑いながらもじりじりと間合いを詰めるダンベルト。
イレウスは先ほど投げつけたのと同じ色の液体が入った瓶を胸元から取り出し、侯爵に見せつけるように揺らす。
侯爵の足元には花粉らしき粉が浮いているが、あれは悪魔の花の花粉ではないのか?水分と花粉と、そこに熱が加われば危険なはずだが、あの液体はおそらくは湯ではないだろう。危険ではないということか。
事態が飲み込めないままのダンベルトにイレウスは笑いかけ、そしてこれ以上ない冷たさで侯爵に目を移す。
「やはりご存じでしたか。ならもうおわかりですね。残念ながら、暇つぶしは終わりのようですよ」
侯爵は一瞬イレウスに目を移すと真顔になり、そしてまた狂ったように笑い出す。もはや狂人という表現がぴったりくる姿である。
「くっ!……はっはっはっ!そうか。なら娘が……。おもしろい、実におもしろい。あいつも私を見限ったか。そうだ、それでいい。それでいいんだ……。それで……」
――娘?そういえば侯爵には娘が一人いるという話だが……。
次第にその笑いは、狂気めいた色を帯び始める。口からよだれを垂らし、顔を真っ赤にして、いつまでも笑い続ける。もはや正常な状態でないことは明らかだった。
もはやダンベルトもイレウスも、侯爵に言葉を向けようとはしない。目の前で人間が壊れていく様を、ただ茫然とみているしかできない。
話ができる状態ではないのはすでに明らかだった。ダンベルトは思わずイレウスに目を向けるも、その侯爵の姿に言葉なく首を振る。
ようやく思考を取り戻した衛兵や部下たちが、離れた所から走り寄り、侯爵を捕らえにかかる。もはや抵抗する様子はなかった。
そして、ダンベルトとイレウスがようやく剣と瓶を収めたその時。
「全部一時に投げつけるとは……。それを精製するのにどれだけかかったと思うんですか」
そこに見慣れない一人の男が姿を現して、怒りを含んだ声をイレウスに向ける。
知らない男だ。長いローブのようなものを着て、銀縁の眼鏡をかけている。ローブに銀縁眼鏡、というその特徴に、ダンベルトはふと思い出す。そういえば、イレウスが花粉の分析を頼んでいたというあの男の風貌は……。
――もしやこの男は……?
ダンベルトがイレウスに目をやると、にやりといつもの余裕ありげな笑みが浮かんでいた。
「もしやあなたはガウラ薬学士殿か?その手に持っているのは……」
侯爵はその後、大人しく取り押さえられ王都の地下牢に連行されていった。
もはや目の焦点もあっていない有様で、両腕を衛兵に引きずられていく間もずっと狂ったように笑い続けている。もうすでに精神は崩壊していたのだろう。なにかのきっかけで、いつ壊れてもおかしくないほどに。
「これで終わり、か……?一体あれは何だ?イレウス」
「説明は後ほどガウラ博士から願おうか。後味の悪い終わりだが、仕方ない。自ら闇に踏み込んで飲み込まれたってとこか。哀れな男だな……」
答えるイレウスもあっけない幕切れに、もやもやとやり切れないといった表情で連れられて行く背中を見つめている。
――あの男は結局国へ復讐を果たしたわけでも、大金を得たわけでもない。むしろすべてを失っただけだ。手駒も、自分自身も。しかもあんなあっけなく。これもただの暇つぶし、か。
苦々しい気持ちで侯爵がいた場所を見つめる。
そこには気味の悪い液体に粉が混ざりあって、薄汚く淀んでいる。まるであの男の心のように――。




