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死にゆく者




 その後、部下たちはタニアらしき者が刃物を持って暴れているとの知らせを受けて詰所を不在にしていたことが分かり、胸を撫でおろすダンベルト。無論それは偽の情報であったのだが。


 ――もしあの男が殺意を持っていたら、今頃部下たちの命はないはず。ということは、初めからあの男は自分だけを狙ったか、もしくは他に目的があったのか?


 いずれにせよ、今はタニアと侯爵の居場所を突き止めることが先である。

 ダンベルトと部下たちはその後も、宿屋や料理屋などを中心に聞き込みに当たっていた。目撃されてからこれだけ時間が経過しているとなると、すでに二人は合流して町のどこかに潜伏していると思われる。


「こんな男を見かけなかったか?物腰は柔らかくて落ち着いた初老の男なんだが。最近この国に入ってきたらしい。もしかしたら女連れかもしれない」


 あまり人通りの多くない裏通りの店や宿から聞き込みをしてみるも、それらしい情報はない。

 念のため急遽営業を休みにさせていた海猫亭の店主ノールにも、同じ質問をしにいく。


「ん?そりゃあの客かなぁ。品のいい感じでね、店に来たのは初めてで、ラルベルちゃんが勧めたメニューを頼んでたよ。白髪交じりで、いい声でねぇ。あ!そうそう。ラルベルちゃんがあの女を見たあの日だよ。その客がきたの」

「それは本当か?ラルベルは他に何か話していたか?」


 ノールは薄い頭に手をあてて少しばかり考えこんでいたが、首を振る。


「いやぁ、食べ終わって帰る時もラルベルちゃんはずっと窓の外を見てたしねぇ。ちょうどラルベルちゃんの様子がおかしくなった時だから。そういえば会計の時大きいのしかないって銀貨で支払ったもんだがら、店の釣り銭が危うく足りなくなるとこだったよ。貴族なら納得だねぇ」


 まさか侯爵らしき人物まで、ラルベルに接触していたとは……。

 ラルベルの周りに事件の関係者が集まるのはなぜなんだ、と複雑な思いに駆られるダンベルトである。


 海猫亭のような大きな店に堂々と出入りしているなら、宿屋も大通りを利用している可能性が高い。


 ――捕まる心配はしていないということか。


 エディオン侯爵という男は、思っていた以上にふてぶてしく豪胆だ。油断は命取りになるかもしれないと気持ちを引き締める。


 その後町で一番大きな宿屋に足を向ける。まさかこんな誰の目にも付きやすい宿に泊まるなどありえないと考えていたのだが。


「あぁ、そのお客さんなら二階の部屋にお泊りですよ。先ほどお連れさんが入っていきましたけど」


 店主に静かに他の客を宿内から外に出すように伝えて、合流した部下とともに階段をそっと上がる。


 ――まさかこんなところに堂々と潜伏していたとは。まぁ二人一緒とは好都合だ。一遍に取り押さえてやる。


 連れの特徴もタニアと一致した。さすがに服は着替えたようだが、首まで隠れる長袖の服を身に着けていたらしい。

 宿の外には、イレウスと第一師団とが万が一逃げ出した時のためにぐるりと取り囲んでいる。

 大きな音とともにドアを開けると、そこには椅子にゆったりと腰掛ける一人の初老の男と、後ろに控えるように立つタニアの姿。


「やっと見つけだぞ!エディオン侯爵、タニア!大人しく捕まってもらおうか」

「これは挨拶もなしに乱暴な訪問ですな。第二師団団長ダンベルト殿。せっかくおいでになったのだから、何かお飲みになりますか?酒でもどうです?」


 深いバリトンの声を響かせつつ、天気の話でもするような気やすさで迎え入れるエディオン侯爵。

 確かに見た目は初老の品のいい紳士といった風で、その表情はあくまで温和でとても人を害するようには見えない。だが明らかに目の前で悠然と座っているこの男が探し求めていた侯爵であることは、タニアの姿が物語っている。

 タニアは少しやつれた様子ではあるものの、侯爵の傍らで心酔するような笑みを浮かべている。


「挨拶が必要だったか。無粋ですまないな。私兵にグンニルを殺させ、タニアを逃がしたのはお前の指示か?」


 ダンベルトの問いには答えず、こちらを温厚な表情でじっと見つめる侯爵。


 じり、と部屋に足を踏み入れたダンベルトに、さっと侯爵の前に立ちふさがるように体を滑らせるタニア。部下はドアを塞ぐように立っている。逃げ道はない。唯一部屋の南側に窓があるが、この高さから飛び下りれば無傷とはいかないだろうし、下にはイレウスたちが待ち構えている。


「窓の外にも逃げ道はないぞ。大人しく花粉のありかを吐いてもらいたいんだがな。あれでデルベを揺さぶるつもりだろうが、よもや本当に戦争に持ち込めるなどとは思っていないだろう?あれごときが復讐になるとでも?」


 侯爵の口から真意を引き出すべくわざと挑発するダンベルトに、侯爵ははっはっはっと笑いをもらす。


「復讐?別に私はそんな面倒なことは考えておりませんよ。まぁ何といえばいいでしょうな……暇つぶし、でしょうかな。せっかくおもしろいものを父が作ったのでね、どこかで試してみたいと思っただけですよ。デルベでは私は常に監視下にあって身動きがとれませんし、この国は実験に好都合だったんです」

「暇つぶし、ね。お前の私兵のあの男も同じことを言っていた。そんなに暇ならこそこそと面倒なことはしないで、旅にでも出たらどうだ。そこの女も自分の夫を廃人にしたくらいだ、喜んでついてくるだろう」


その言葉にタニアが反応した。こちらを冷ややかに見て、ぐっとその手を握り締める。


「あの男は屑よ。命を奪わなかっただけ、感謝してもらっていいくらい。お前にはわからないでしょうけど、私を救ってくれたのは侯爵様だけ」


 そういって幸せそうに微笑むタニアの目は、まるで人形のようだ。そこにはどんな感情も読み取れない。もしかしたら不幸な結婚生活の末に、利用されているだけとは知りつつ侯爵を愛したのだろうか。男爵家の使用人の話では、男爵が度々タニアに暴力を振るうのを何人もが目撃していたという。長続きする使用人も少ないため正確なところはわからないが、やけどもその一つなのかもしれない。


 ――とはいえ、このまま見逃すわけにはいかないんでな。お前たちのような輩を野放しにしておくわけにはいかない。


 じり、と間合いを詰めていくダンベルト。その時侯爵に何か耳打ちされたタニアは瞬間口元をにぃっとゆがめて笑い、同時に袖口から何かを取り出す。


「何をする気だ?もう周囲一帯を固めている。逃げられないぞ」

「これが何か聞いても、同じことが言えるかしらね?あなたがお探しなのはこれではなくて?」


 袖口から取り出したのは小さな瓶だ。中身は見えないが、まさかと身構えるダンベルト。


「お前たち、全員ドアを閉めて外に出ろ!息を吸うな」


 もしあれが悪魔の花の花粉であったら、と部下たちを避難させる。部屋の中に水や湯といったものは見当たらないが、万が一ということもある。タニアからその瓶を奪おうと間合いを詰めたその時。

 侯爵が、その外見からは考えられない身軽さで窓からひらりと身を躍らせる。


 ――女をおとりにして逃げる気か。


 とっさに気を取られたダンベルトの眼前で瓶の口をさっと開けるタニア。止める暇もなくその瓶に口を付け一時に飲み干す。


「おいっ!何を飲んだ!吐き出せ。おいっ!」


 タニアの口の端からつぅっ、と一筋の液体が零れ落ちる。見る間に顔面が蒼白になり、大きく目を見開いたかと思うとその場に崩れ落ちる。その迷いのない動きから、初めから抵抗のつもりはなかったことが分かった。ただ侯爵を逃がすためだけに、毒をあおったのだろう。


 ――何のために。あんな狂った男のために、何の得があって命までかけた……。


 わずかに痙攣をおこしていたその体からはがくんと力が抜け、瞳孔は開き、もう事切れているのは明らかだった。衣服を探ったが花粉らしきものはどこにもなく、部屋にもこれといったものは残されていなかった。タニアの始末を部下に預け、すぐにイレウスのもとへと向かう。


「イレウスはどこだ?」

「団長は侯爵を追って王都に向かいました!ここは任せてダンベルト殿も追ってください」


 第一師団の部下たち数人が、刃物で切られたと思しき傷を受けて倒れ込んでいる。武器を持っている上に、なかなかの手練れのようだ。


 急ぎ後を追うダンベルト。


 ――イレウス。間に合ってくれ。おそらく花粉は侯爵が持っている。気をつけろよ!


 心の内で叫びながら王都へと走るダンベルトと、その後に続く部下たち。

 いよいよエディオン侯爵と対峙する時が、近づいていた。





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