送りつけられた手紙
ラルベルが町を出て三日。タニアとエディオン侯爵の行方はようとして知れない。
焦りだけがつのる中、ダンベルトのもとに一通の手紙が届く。
差出人の記載はないが、その手触りから上質な紙で作られた封筒とわかる。貴族が好んで使うような――。封を開けると、流麗な字で綴られたその内容にダンベルトは言葉を失った。
その手紙を握りつぶしたい衝動をどうにか押しとどめて、ダンベルトは急ぎ王宮へと足を向ける。
その知らせを受けたイレウスもまた、長い回廊を足早に並んで向かっていた。二人とも言葉はない。そんな余裕もないほどに、切迫した事態が起きていた。
ギィィィ……と重々しい音を立てて開く扉。
中に居並ぶのは、この国を率いる重鎮である貴族たち、そして王族である。
もはや一刻の猶予もなかった。
「これが本日エディオン侯爵より届きました。ご指示を」
手紙を渡し、国の中枢を担う者たちの回答を待つダンベルトとイレウス。
手紙には、こう記されていた。
『残りの悪魔の花粉をこの国中にばらまかれたくなければ、今すぐにデルベに大軍の兵を送りこめ』と。
すでにデルベとは事の起こりから、この国がエディオン侯爵により危機的な状況にあることは報告してある。適宜連絡をとりつつ、連携して事態の解決に当たっているのだ。そのため、侯爵の言う通りに兵を送り込んだところで実際に戦争に発展することはない。
しかし、たとえ形だけであっても兵を出すということは、宣戦布告したということを諸外国に知らしめることになる。形式だけとはいえそれを利用して、現実に深刻な外交問題に発展させようとする輩がいないとは断言できないのだ。
しかもそれなりの数の兵を派遣するとなれば、その間この国の防衛力は下がる。そこをついて他国が攻め入ることもあり得る。
たった一人の他国の貴族によって、戦争ないしは他国からの侵略の危機に追い込まれるという、前代未聞の事態を迎えていた。
これはもはや、一師団ごときがどうにかできるようなレベルの問題ではない。
――侯爵とて、実際に戦争に発展するとは考えていないだろう。おそらくは、デルベの王侯貴族どもを揺さぶるのが目的だろうが。これが両親を死に追いやり冷遇されたことに対する、あの男の復讐なのだろうか。
ダンベルトは奥歯を噛みしめる。
紛糾する議員たちの喧騒に苛立ちながら、何よりここにいたるまでに事態を終結できなかった自分に腹を立てていた。もっと早くに狙いに気づくことができていれば、一秒でも早く解決できていればこんな事態を防げたものを。
イレウスもまた同じ気持ちで、それに加えて騒ぐだけで能無しだらけの貴族たちの姿を憎々しげに見つめていた。これだけ雁首をそろえたところで、有益な策ひとつ出てこないのだ。エディオン侯爵を含め、貴族などただ金を食いつぶすだけの虫けらだ、とイレウスは拳を握り締める。
何にせよ、どうにかしてこの国の一大事を乗り切らなければならない。
――どうすればいい?どう動けば奴を止められる?なんとしてでも国民に被害が及ぶのを食い止めなければ。守りたい者たちがいる。自分の身がどうあっても、なんとかして助けなければ。
そこに飛び込んできたのは、急ぎの伝令である。
「失礼いたします。王都近くで、逃亡犯と思われる人相の女が現れたとの知らせが入りました!師団の出動をお願いいたします」
伝令を受けて、その場を去る二人。
「お前は町一帯の封鎖、こちらは王都を衛兵で固める。閉じ込めるぞ」
そう言い残して、イレウスは第一師団の部下とともに王都に走る。
ダンベルトは急ぎ町へ戻り、部下たちを各町の入り口に配置してから捜索して回る。
真っ先に向かったのは海猫亭である。先日ラルベルがタニアらしき人物を見たという知らせを受けて、警戒は続いていた。
「ノール!変わったことは?」
特段変わったことはないようだが、とりあえず事情を話して海猫亭を休みにするよう伝え、次はラルベルの下宿もある大通りへと足を向ける。人通りも多いこんな目立つ場所を、逃亡犯がのうのうと歩くとは考えにくいが……。
ダンベルトはマルタに事情を話し、念のため娘のもとにしばらく身を寄せるようにと伝えてから、部下を数人近くに配置させる。
タニアを見かけたとの通報を受けてから、もう大分時間がたっている。すでに見かけられた場所にはいないだろうが、これだけ制服姿の団員たちが警備に当たっている中、どこに身を隠しているのだろうか。
いったん情報を取りまとめるために、詰所に戻るダンベルト。ここには二人の部下を連絡と警護のために残してあったが、なぜか見張りに立っているはずの部下の姿がみえない。
――様子がおかしい……。
足を忍ばせて、そっと詰所のドアを開ける。中からは物音も人の気配もしない。
しかし、五感を研ぎ澄ませたダンベルトの頬がわずかな空気の揺れを感じた次の瞬間――。
ヒュンッ……。
ダンベルトの顔をかすめるように、何かが中から放たれる。
――この殺気……!!!!奴だ!
剣を抜き、とっさに次の攻撃をかわす。ギリギリのところでダンベルトの腕が切り裂かれるのを防ぐ。
まだ明るい昼間ということもあり、武器の動きがわずかながら目視できる。紐のようなものにつながれた鋭利な切っ先。鞭の先に鎌のような刃がついている武器のようだ。
そのあまりのスピードに、ダンベルトは身をかわすのが精いっぱいだ。どこから攻撃が飛んでくるのか、おそらくは詰所の奥に置かれた棚の影あたりだろうが、二人の部下の姿は見えない。
「また会ったな。ダンベルト、といったか。この前の傷は浅かったみたいだな。神経の一本も切れていれば良かったのに」
くくくっと低い笑い声をたてながら、攻撃の手を休めないまま息一つ乱さず、男が話しかけてくる。
「侯爵家の私兵か!……っ!部下はどうした?」
「心配するな。さっきバカ女を追って出ていったよ。いいことを教えてやる。タニアはもう用済みだよ。残りの命はあとわずかってところかな」
話している間も、次々と刃は風を切る音とともにこちらに向かってくる。それを必死によけつつなんとか間合いを縮めようとするダンベルトだが、飛び道具と剣では相性が悪すぎる。その上、この小さな詰所内での動きは、障害物が多すぎて動きようがない。
――くそっ!せめてもう少し広い場所に出られれば。だが、こんな町中でやりあうわけには……。
「侯爵はどこだ!居場所を知っているんだろう?お前は何の得があってあんな男に仕えている?忠誠心か!?」
刃を受けた衝撃に奥歯を食いしばりながらそう言うと、ふと攻撃の手がとまり、男は大きな声で笑い始めた。
「あっはっはっはっ!あの男に忠誠?俺は誰にも仕えているつもりはないね。ただの暇つぶしだよ。お前だけが、あの暗闇で俺の姿をとらえていたからな。おもしろそうな奴だと思って会いに来てやったんだ」
「おもしろそうで殺されてたまるかっ!暇つぶしならこの件からは手を引け。他を当たれ!」
くくくっとまた笑い声をもらす。
「あの子はどこだ?ラルベルだったっけ?姿が見えないみたいだけど」
男が口にしたその名に、ダンベルトは凍り付く。
「ラルベルになんの用だ!あれはお前が手を出すような人間じゃない!」
動揺が剣先に伝わって相手の刃をわずかに受け損ねた刃が、す-っとダンベルトの手の甲に赤い筋をつける。
ダンベルトはちっ、と舌打ちをして、剣を握り直す。
「……人間、ねぇ。あれは俺と同類さ。何にもなり損ねた仲間だよ。まぁ、いいや。またくる。今度はあの子にも会いたいね」
「ふざけるなっ!ラルベルに手を出すことは絶対に許さん!近づいたら殺すっ」
ダンベルトの声が詰所内に響き渡る。
次の瞬間、ダンベルトの顔面めがけて刃が向かってきて体をねじるようにやっとのことでかわす。体勢を整えて中をのぞいた時には、すでに男は姿をくらませた後であった。部屋の中には机や壁にいくつもの切り裂いたような跡が残されている以外、部下の姿も血痕などもない。
あの男のいっていた通り、部下たちはタニアを追って詰所を出ているのだろうか。
ダンベルトは手の甲から流れ落ちる血を、手近な布を巻き付けて止血するとすぐに周囲を探す。
――あの男のいっていた、同類とはなんだ?何にもなりそこねた仲間とは、どういう意味だ?
ダンベルトはすでに消えた気配に、ぎりっと奥歯を噛みしめていた。




