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第31話 弟子の覚悟

 ──どうしてこうなってしまったのだろう。


「おらぁ!」

「ぐっ、くぅ……!」


 師匠が振り下ろした剣は、その細い腕からは考えられない重い一撃となって私を襲う。

 受け止め、その力を流そうと集中している私に、師匠の蹴りがガラ空きの腹に突き刺さった。


「甘いんだよ!」


 肺の空気が全て出される。私は咳き込みながら後退するけれど、師匠はその隙を許さない。飛び退くよりも早く動いた師匠が距離を詰め、剣を横薙ぎに振る。間一髪、その場で跳躍しながら追撃をさせないために中で身を捻りながら一閃。


「……っと危ねぇ」


 そう口にしているけれど、余裕を持ってそれは避けられた。

 おそらく師匠は、私が攻撃してくるのを予想していたのだろう。


「ハハッ! やるじゃねぇか、なぁコノハ!」


 ──ああ、本当に、この世界は理不尽だ。


「まだまだ行くぞ!」


 師匠は地を駆ける。剣を前に構え、一直線にこちらへ跳ぶ。後ろに避けるのは論外。横に避けようとしたら、すぐに剣を持ち替えて横薙ぎの斬撃が飛んでくるだろう。だったらこれしかないと、私は前に駆けた。


 交差する一瞬、私は師匠の突きを刀で受け止め、その力を斜めに流す。

 一瞬だけ腕を伸ばした状態になった師匠の腹を膝蹴りで打ち抜き、師匠はくの字になって後ろによろめいた。次は私の番だと距離を詰める。


「──っ、おせぇ!」


 師匠に肉薄した次の瞬間、私は空を見ていた。すぐに体術で転がされたのだと悟り、即座に地面を転がる。そのすぐ後に顔があった場所に突き刺さる師匠の剣。動いていなければ今ので死んでいた。

 そのまま転がり、十分距離を取ったところで地面を叩き、その衝撃で飛び上がる。


「ハッ! やるじゃねぇか。面白い」


 師匠の左手に新たな剣が握られる。

 右に持っているのと同じ剣。しかしそれは『剣』と称して良いのかと疑うような、何の装飾もないただ斬るためだけに存在するような刃だった。


「ほら、防いでみろよ」


 師匠の二刀流を初めて見た私は、少しの間呆気にとられる。その隙に距離を詰められ、二振りの剣による怒涛の剣戟が叩き込まれた。

 二刀流は手数が多いけれど、威力が落ちる。片手で剣を降らなければいけないし、バランスも不安定になるので十分な力を発揮出来ない。


 ……だというのに、師匠のこれはなんだ。


 威力は全く落ちていない。繰り出される全ての斬撃は、地を叩き割るように重い。それなのに手数は倍だ。

 ……意味がわからない。そんなの反則だと、声を大にして言ってやりたい。


 でも師匠なら「そんなの知るか」と理不尽に吐き捨てるのだろう。


「考え事をしている余裕があるのか?」

「──、っ!」


 お腹に感じた鋭い痛み。下を見ると、師匠の剣が腹に突き刺さっていた。


「チィ……!」


 思考を切り替える。

 瞬間、もう片方の剣が首を落とさんと襲いかかった。私は首だけを動かしてそれを避け、お返しに刀を振る。でもそれは、師匠の胸元を微かに斬り裂くだけだった。師匠の服の切れ端が宙を舞い、一瞬だけ彼女の視線がそちらに向けられる。


 私は追撃することより、距離を取ることを優先した。

 また何か仕掛けて来るのではないかと警戒していたけれど、師匠が動く気配はなかった。


「オレに直接攻撃が通ったのは、これが初めてだな」


 言われて気づく。思い返せば私は、稽古で一度も師匠に傷らしい傷を与えたことがなかった。師匠の言う通り、私の刀が届いたのはこれが初めてだ。


「……強くなったな、コノハ」

「──っ、師匠!」




 ──どうしてこうなってしまったのだろう?




 どうして私と師匠が戦うことになっているのか。

 私は師匠と帰りたいだけなのに、世界が、師匠がそれを許してくれない。


 そう、私は一緒に帰りたいだけなんだ。


 そんな小さな願いさえも、この世界は叶えてくれない。

 この世界はどうして私に選択を迫る。

 どうしてこの世界は私に厳しくする。


 ──これが『運命』なの?


「ああ、本能に…………」


 この世界は本当に──優しくない。


「私は……師匠と戦いたくない」

「はぁ? 何を今更──」

「戦いたくない! 戦いたくないの!」


 私は嫌だ嫌だと首を振る。


「どうして師匠はそうなの! どうして死にたがるの!」

「……言っただろう。オレは間違え続けた。生きているのは、もう辛いんだ」

「大切な人のことも考えないで、勝手に死のうとしないでよ! リーフィア様や私を置いていかないでよ……!」


 師匠は沈痛な面持ちになり、でもダメなんだと首を振る。


「ちゃんと考えている。オレはリフィのために、あの国を作り出した。もう十分だろ?」

「決めつけないで!」


 師匠はいつもこうだ。勝手に動いて、周りを巻き込む。誰がどう思おうが御構い無しで、大切な人の気持ちすら無視してしまう。それが嫌だった。そんなことで自分だけ楽になろうとする師匠が、許せなかった。


「辛いから、苦しいから逃げるの!?」

「…………なんだと?」

「間違え続けたから何! 私の憧れた師匠は、その程度で逃げるような人じゃなかった! そんなに弱くなかった!」

「勝手なことを──言うなぁっ!」


 激昂した師匠は剣を振り、その斬撃が私の元まで届いた。


「……やっぱり、弱い」

「弱いだと……? 一度オレに攻撃を与えただけで、随分と余裕になったものだ」


 師匠は馬鹿にしたように笑う。


「違う。今の師匠は、弱い」


 それでも私は断言した。

 笑っていた師匠の目が細められる。


「師匠、本当は辛いんでしょう? 立っているのもやっとなんでしょう?」


 師匠の体は、まだ淡く光ったままだ。まだ師匠の体には『天罰』が降り注いでいる。

 本当は立っているのも辛いはずなのに、強がっていつも通りを演じている。それは私が刀を振ることを躊躇しないようにとの配慮なのだろう。


「もうやめよう? まだ帰れる。まだ戻れるんだよ」


 リーフィア様も、他の英雄達も、師匠の帰りを待っている。魔王だって手伝いをしている裏では、本当は死んでほしくないと願っていた。私も師匠と帰りたいと思う気持ちは、今も続いている。


「間違いなんてしていない。師匠が頑張ったから、今の世界がある。今のネクトフリーデンがある。これが間違いな訳がない。師匠のおかげで助かった命だってある。……私も、師匠に助けられた。師匠のやったことは間違いじゃないって、私が証明する! だから──」


 私は必死だった。必死に師匠を止めようと、思いつく言葉を口にした。

 全て私の本心だ。私は師匠に助けてもらった。それは本当に感謝している。全てに絶望していた私は、師匠のおかげで再び希望を持つことが出来た。楽しいと思える日を送れるようになった。


 それを間違いだなんて言わせない。


「遅いんだよ」


 でも、返ってきた言葉は諦めだった。


「もう遅い。もう全てが手遅れなんだ。……言っただろう? オレはもう覚悟を決めている」


 師匠はおもむろに腕を天に掲げた。


「これが──オレの覚悟の証だ」


 その時、空が影を帯びた。蒼天の空は一気に黒く染まり、狂風が巻き起こる。

 天が轟き、その中に一つの光が生まれ──漆黒の鐘が舞い降りた。


 ──ゴーン──ゴーン。


 荘厳な鐘の音が、辺りに響き渡った。

 それはとても不気味で気味が悪かった。

 全身の毛が逆立つ。刀を握る力が強くなる。歯がカチカチと鳴る。全ての恐怖があの鐘の音に込められている。


 ……あれを聞きたくない。あれを聞いたら、おかしくなりそうだ。


「終焉の鐘は鳴った」


 漆黒の鐘は、師匠の頭上で静止した。

 それは淡く輝き、粒子となって師匠の手に纏わりつく。


 やがてそれは形を成し、その手には一振りの剣が握られていた。




「始めよう──終末を喚ぶ漆黒の剣(ジ・エンド)




 英雄はそれぞれ神器を所持している。

 形はリーフィア様は黄金の錫杖、骸のは煉獄の刀と、英雄によって様々だ。

 どれもが天変地異を引き起こすほどの強大な力を持ち、それを持つことが英雄たる証なのだと、師匠は教えてくれた。


 そしてあれが師匠の神器なのだと、私は一瞬で理解した。


「──覚悟しろよ、コノハ」


 師匠は笑い、『それ』の切っ先を向ける。


「ここからが──オレの本気だ」

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