第22話 新しい仲間
「師匠の方が怖かった」
その言葉に魔狼は目を見開き、呆れたように溜め息をついた。
『この我よりもあの小娘の方が怖い、か。ハッ、我に打ち勝つ少女が恐れる。……一体何者なのだ。あいつは』
「師匠? 師匠は『六英雄』。とても強い」
『英雄だと!? ……カカッ、道理で……はぁ、負けだ負けだ』
魔狼は降参すると言わんばかりに、逆立てていた尻尾を下げた。
『この数百年。無敗だった我だが……井の中の蛙だったわけだ。英雄の弟子に負け、その師匠である英雄はもっと強いのだろう?』
私は頷いた。『魔天狼』を馬鹿にしているわけではないけれど、師匠の方が圧倒的強い。
きっと、戦ったとしても一瞬で決着がつく。私達にはそれだけの大きな差がある。
『負けることは屈辱だと聞いたが……なんだ、思った以上に清々しい気分ではないか』
魔狼は首を垂れる。
『コノハ。我はお主の使い魔となろう』
「……いいの?」
『我を打ち負かしたのだ。我を従える資格は十分にある。ただ一つ、約束してほしい』
「なに……?」
『我を、更なる高みへと連れて行ってくれるだろうか? ……我は、我よりも強い者が存在することが、許せない。だからコノハは、我と強くなってくれ』
魔天狼のその感情は『負けず嫌い』なのだろう。
気持ちはわかる。私も負けるのは悔しい。もっと強くなってやりたいと思う。
魔狼の『強い者』というのは、師匠のことも入っているのだろう。
私が師匠とスラさんを相手にして──勝つ。
今では全く想像出来ない。
でも、いつかは乗り越えないといけない壁だ。
「……わかった。私はもっと強くなる。約束する。だから協力して」
こうして私は、『魔天狼』を従えることに成功した。
◆◇◆
「いやぁ、どうなるかと思ったが、上手くいって良かったな!」
『終始の果て』から帰る道の途中。
師匠は悪びれもなくそう言い、豪快に笑った。
「師匠は急すぎる。もっと事前に説明して欲しかった」
私はぷくーっと頬を膨らませ、不機嫌を表現する。
「悪かった悪かった……だが、結果的には良かっただろう?」
「……むぅ、その通りだから言い返せない……」
視線を下に向ける。
私は今、魔天狼の上に座っていた。
師匠とリーフィア様は、リーフィア様の使役する竜種に乗って移動している。私だけ魔天狼の上だ。
折角使い魔にしたのだからという理由で乗っているけれど、これが意外と乗り心地は悪くない。魔天狼はサイズを自由に変えられるらしく、今は私の身長に合わせて、ちょっと大きめの狼くらいになっている。
何ものをも通さない硬質な毛は、とてもふさふさしていて気持ちいい。本当に硬いままでチクチクしたら嫌だなぁと思っていたけれど、その心配は無用で安心した。
今はとても速く動いているけれど、空気抵抗は一切感じない。移動中ずっと魔狼の毛に掴まっているのは疲れるので、それについても安心。
魔狼に乗ったことで一番驚いたのは、今いるのが空中ということだ。
魔狼が言うには、空気中の魔力を一瞬だけ具現化させて、それを踏んでいるのだとか。練習すれば私にも出来ると言われたけれど、まだ原理がわからないので出来る気がしない。
でも、それを利用すれば空中戦も可能になるので、戦略の幅が広がる。
つまり強くなれるということだ。いつかは絶対に使えるようになりたい。
「そういや、お前そいつの名前はどうするんだ?」
「……?」
「ずっと魔天狼じゃ言いにくいだろう。使い魔なんだ。お前が名前を付けてやれ」
私は考える。
「…………クロ?」
ガクッと師匠、リーフィア様、竜種、魔天狼が同時にコケた。
「お前……安直だな」
「師匠に言われたくない」
スライムだから『スラ』よりはマシだと思う。
「どっちもどっちだなぁ……流石は師弟。考え方も一緒だね」
リーフィア様は呆れ顔だ。
「魔天狼はどう? クロじゃ、嫌?」
『……いや、それで構わない。変に格好つけた名前を付けられても、恥ずかしいだけだ』
「ほら、クロもそう言っている」
「あ〜〜、うん。まぁそいつが良いって言うなら、良いんじゃねぇの?」
師匠は頬をぽりぽりと書き、それ以上は口出しをしなかった。
「クロ。うん……良い名前」
私は満足して、大きく頷いた。
短くて言いやすいし、わかりやすい。
とても良い名前だ。
「これからもよろしくね、クロ」
「オォーーーーーーン!」
私の声に応えるように、クロは大きな遠吠えをした。
これからはクロと一緒に戦う。
それでもっと強くなって、いつかは師匠を…………。
「ん? そんなにオレの顔を見つめてどうした?」
「…………なんでもない」
──師匠よりも強くなる。
それは簡単な道ではない。
茨よりも厳しい道のりとなるだろう。
でも、クロとなら頑張れる。
私は、そう信じている。
◆◇◆
月明かりに照らされた森の中。
少し開けた場所に、一人の女性が木を背に佇んでいた。
包み込むような光に照らされた金色の髪を後ろに大きく纏め、鮮やかな翡翠の瞳は今は閉じられている。
騎士のような甲冑を身に纏った彼女の腰には漆黒の魔剣が添えられ、存在するだけで全てを刈り尽くすような気配に、森に生息する周囲の魔物は恐怖に震えていた。
彼女はそのような有象無象に興味を持たず、誰かを待つように、ただ静かにその時を待っていた。
「…………来ましたか」
女性はゆっくりと目を開き、茂みの奥を睨みつける。
「ああ、遅くなった。すまんな」
口ではそう言いつつも、悪びれもない態度の人間に、女性は溜め息をついた。
「まぁ……良いです。ここで文句を言っても、あなたには意味が無いでしょうからね──協力者」
協力者と呼ばれた者は「わかってるじゃないか」と薄く笑った。
それが女性の目には不気味に映り、思わず顔を顰めさせる。
「それで、そっちは上手くいっているのか?」
「……ええ、問題はありません」
いくら目の前の人物が不気味だろうと、今はお互いに協力を築いている者同士。これ以上の私情は任務に邪魔だと、女性は気持ちを切り替えた。
「数は計10万。計画は順調です」
「……思ったよりも多いな。それほど本気ということか?」
「あなたがそのように言ったのでしょう。おかげで我が主は寝不足です」
「それは悪かったな。後で埋め合わせはするから許せよ」
はぁ……と、女性は二度目の溜め息をついた。
正直に言ってしまえば、彼女は目の前の人物のことが苦手だった。
その貼り付けたような笑顔の奥では、一体何を企んでいるのか。女性の主人である『魔王』と秘密裏に繋がっていたこと、主人のために鍛錬を積み重ねてきた彼女の気配が可愛く思えるほどの、その者の中に巣食う、人間とは思えない歪な魔力。
……苦手、というのは少し異なるのかもしれない。
正しく言うのなら──恐怖。
魔王の側近として何十年も仕えて来た女性は、主人と関わりを持つ謎の協力者に、ただの人間であるはずの人物に恐怖していた。
「報告は以上です。予定通り、開始します」
「ああ、期待している」
協力者はそれだけを言い残し、闇に消えた。
残された女性は夜空を見つめる。
空には、月明かりが今も世界を優しく照らしていた。
「あの人は嫌いです」
ポツリと呟かれたその言葉は、やはり闇の中に消えていった。




