第21話 魔天狼との戦い
魔狼の猛攻は凄まじいの一言だった。
例えるのなら──嵐。
『攻撃』という名の雨風が無差別に私を襲い、しかもその全てが私を一撃で殺せるだけの力があった。
当たったら死ぬ。そんな緊張感の中、私は全ての攻撃を凌いでいた。
爪を刀で弾き、その力を流し、防ぎきれない攻撃は避ける。
それをただひたすらに続けていた。
『コノハよ。まさかここまで我が攻撃を防ぎきるとは想像もしていなかったぞ』
私は魔狼のその言葉に、返答することは出来なかった。
少しでも油断をしたら死ぬ。
一瞬でも集中力が欠けたら死ぬ。
力加減をミスしたら死ぬ。
私の体は、その程度のミスで死んでしまうほど、弱い。
対等に戦えているように見えて、かなりの苦戦を強いられている。
それを証明するように、私は一度も魔狼に攻撃を与えられていない。ずっと防戦一方で、ひたすら耐えるだけで精一杯だった。
師匠は、私にカウンター技の全てを教えてくれた。
でもやはり、その技はやろうと思って簡単に出来るものではない。
敵の全てを見極め、一瞬の隙に己の全てを叩き込む。
師匠の教えはとてもわかりやすい。こうして魔狼の攻撃を全て防ぎきれているのだから、それがその証だろう。
でも、相手は『終始の果て』を支配する魔物の一体『魔天狼』。
攻撃、素早さ、持久力、そして何より経験が他の魔物とは格が違う。
「………………」
そんな相手が隙を晒す? それが来るとしたら、本当に奇跡の瞬間なのだろう。
チャンスは一度だけ。それを逃したら、おそらく私は負ける。
私は獣人で普通よりは身体能力が良い方だけれど、それでもまだ普通の範疇を超えていない……と思う、多分。体力には限界があるし、今は続いている集中力も時間が経てば途切れてしまう。それに対して、魔狼の体力はほぼ無限だ。
このままではジリ貧だと理解しながらも、まだあと一歩を踏み出せないでいた。
──どうすれば、いい。
『ほら、どうした?』
魔狼は挑発するように笑った。
このまま続くのなら、私は負けない。
でも、勝つことだって出来ない。
「焦らない……冷静に状況を見極め、常に平常心を保て」
これは師匠の言葉だ。
生死を賭けた戦いでは、絶対に焦ってはいけない。それはミスを呼び、負けの一手となる。
「すぅ……はぁ……」
私は深呼吸をして、刀を鞘に戻す。
『……諦めたか?』
その問いに、私は首を振った。
「違う。諦めたわけじゃない……師匠なら、こうすると思ったから」
私は鞘から手を離し、魔狼に向けてちょいちょいと指を折る。
いつもの師匠を思い出し、なるべくあの人に似たような不敵な笑顔を、私の表情に貼り付けた。
「来て。わんちゃん」
魔狼から溢れ出す魔力が、極限まで膨れ上がった。
それはこの大陸全てを覆い尽くし、天に浮かぶ雲達が、私達を囲むように渦を巻く。雷鳴が轟き、大地が揺れる。
心臓を鷲掴むような圧力を真正面から受けてもなお、私はその笑みを崩すことはしなかった。
『今日は、最悪な日だ』
ポツリと、魔狼が静かに呟いた。
『小さき人間如きに、二回も続けて馬鹿にされるのだからな……本当に、凶日とはこのことを言うのだろう』
「……私は、最高の日。私の強さを師匠に証明出来る日。そして────」
私は、魔狼を指差す。
「あなたを使い魔に出来る日」
荒れ狂う魔狼の圧力が、嵐の目に入った時のようにピタッと収まった。
『くっくっくっ……面白い娘だ』
暴力的な圧力は消え失せた。
でも、それを優に超えるほどの濃厚な殺気を、より一層感じるようになった。
『コノハ。お主は何を思って強くなる?』
「……いきなり何を」
『いいから。早く答えよ』
どうやら、それに答えない限り相手はやる気になってくれないようだ。
だったら仕方ない。
「私は、師匠のために強くなる」
『あそこの、生意気な小娘のことか?』
魔狼は不機嫌に呻いた。
開口一番に罵倒されたのだ。嫌な印象しかないだろう。
「確かに生意気なのかもしれない。……でも、師匠は私を助けてくれた。全てに絶望していた私に、死ぬことの恐怖を教えてくれた。生きる意味を与えてくれた。だから私は、師匠のために強くなりたい」
師匠を助ける。
師匠の願いを、止める。
そのためには強くならなければならない。
師匠を相対するその時までに、少しでも強くなっておかなくてはいけない。
きっとこのままでは、その資格すらも無いだろうから。
だから最強の一角『魔天狼』を使役する。
『下らん。実に下らない望みだ。それはあの小娘に依存しているだけだ。お前の意思ではないのかもしれぬ。あの小娘に利用されるだけだと知りながら、どうしてそこまであれを慕う?』
「恩がある。それだけで私は十分」
『…………その目。本気なのだな。……そうか、わかった』
魔狼は瞳を見開き、そして牙を剥き出しに──吠えた。
『下らぬ時間を取らせた。これより我は本気を出す。お主のその小さな体を一飲みしてやろうぞ!』
私は鞘に手を添え、身構えた。
『死ぬがいい!』
魔狼の気配が──消えた。
姿だけではなく、先程まで痛いほど感じられていた魔力、押しつぶすような圧力、それが等しく掻き消えた。
視線で追うのは不可能。
ならば────
「…………」
私は目を閉じ、三角の耳をピンッと立てた。
──全てを逃さない。
こんな状況でも、私は懐かしいと思えた。
一番最初の頃、師匠から初めて稽古を受けた時だ。
下手をすれば死ぬ。それはどんな拷問だと文句を言いたくなった。
でも数をこなす度、当たり前のように私の体は動くようになっていった。
これが順応というものなのだろう。……人の適応力とは凄まじいものだなと、自分のことながら苦笑してしまう。
──トンッ。
ああ、だからかな。
見えないけれど、見える。
私は全てを──感じられている!
「…………今っ!」
『何っ!』
私は身を低く屈める。
ガチンッと頭上で音が鳴るのと、魔狼の狼狽した声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
でも、それだけでは終わらない。
私は初めて隙だらけになった足元を見据えて──刀を走らせた。
◆◇◆
「なぁ、『抜刀術』って知っているか?」
それは稽古の休憩の時のことだった。
「ばっとーじゅつ?」
「……その様子だと、知らないみたいだな。ちょっと、その刀を貸せ」
師匠はどっかりと降ろしていた腰を上げ、私から刀を取った。
「こうして……抜刀する勢いを利用して斬りつける。そういう技だ」
それはただ鞘から刀を出して斬りつけただけのように見えた。
でも、その斬撃は息を飲むほど鋭く、恐ろしかった。
「これが抜刀術だ」
「どうしてこんなに威力が違うの?」
「……あ〜、デコピンのようなものだと言えばわかるか?」
師匠が言うには、刀が鞘から飛び出す一瞬の瞬間、鞘の出口に引っ掛からせる。そして弾くように、刀を抜くらしい。つまり、デコピンだと。
そして振り抜いた刀は、再び鞘に戻す。
その一連の動作は、まさに神速。
ジッと目を凝らしていても見逃してしまいそうになる程、師匠のそれは洗練されていた。
でも、師匠はそれを得意げにしない。まるでこれくらいが普通だと言わんばかりの態度で、全てのことをやってしまう。
「うーん……わからない……」
「ま、教えてすぐに出来れば楽だわな」
「でも、面白そう」
一瞬で勝負を決める私の戦い方にはあっている。と思う。
師匠もこれが役に立つと思ったから、『抜刀術』を私に教えてくれたのだろう。
「師匠、それ、教えて……!」
「おう、元よりそのつもりだ。ビシバシ鍛えてやるから頑張って覚えろよ」
「──うんっ!」
◆◇◆
──鮮血が飛び散る。
それは最高峰の硬さを誇る鉱石以上の毛並みを斬り裂き、魔狼の肉体にまで届いた証だった。
『ぬぐぅ……!』
魔狼は痛みに低く呻き、私から逃れるように後退する。
「遅い」
右前足を深く斬りつけたからか、魔狼の行動は見るからに遅くなっていた。
次はこちらの番だと、私は獣人の脚力を活かして一気に距離を詰める。
「──はぁっ!」
数倍の体格を持つ魔狼の腹に潜り込み、裂帛の気合いと共に一閃。
それは最初の一撃以上の深手となり、おびただしい量の血が溢れ出す。
「──っ!」
瞬時に感じ取った殺気。
前足からの引っ掻きを横ステップで避け、駒のように回転しながら後脚も斬りつける。
相手は巨体だ。
内側に入ってしまえば、小回りの利くこちらが有利。
──形勢逆転。
今度は私が『狩る側』となっていた。
『おのれ、小癪な!』
それでもやはり相手は最強の一角。
ただで蹂躙されまいと、内に秘めていた魔力を解放する。
それは荒れ狂う奔流となって、私に襲い掛かる。
でも────
『がはっ! ……なぜ、だ……』
私は、刀を振り抜いた状態でいた。
一拍遅れて魔狼が地に倒れ伏す。
『……なぜ、お前は恐怖しない。我のような尋常ではない魔力を当てられれば、普通は怖気付くはずだ。なのに、どうしてお前は平然としていた?』
あの暴力的な魔力は、確かに本能が警告を発するほど危険なものだった。
でも怖くなかった。
それはどうしてか?
「そんなの、簡単なこと」
私は刀を納め、一言。
「師匠の方が怖かった」




