こどもはかわいらしいです 前編
一週間過ぎたこどもの日ネタ。
何か知らないけどヴィルフリートがこどもになった前提です。ネタ時空なので許してください。
随分と高い位置に、すみれ色を思わせる鮮やかな瞳がある。
普段ならば見下ろす事になるその瞳はやけにキラキラとしており、どこか熱っぽさを含ませてヴィルフリートを見下ろしていた。
「か、可愛い……」
わなわなと震える小粒の唇からこぼれ落ちた言葉は、まず成人男性に向けるには似つかわしくない賛辞。
だが、今のヴィルフリートは、それがどういった意味をもって向けられているのか理解していたし、エステルの考える意味では否定出来ないものだった。
「……こんなふてぶてしい子供のどこが可愛いのやら」
不服を込めて呟いたヴィルフリートは、自身の声がやけに高い――正しく言えば、幼く性別を感じさせない声である事を自覚して、眉を寄せた。
けれど、眉を寄せたところでそれすらエステルに「可愛い……!」という称賛を口にさせるきっかけしかならないという事を理解していた。
「す、すっごく可愛いです。ヴィルの子供時代ってこんなに可愛かったんですか?」
「子供は誰でも可愛く見えるものだと思いますけどね。中身がこれですから可愛げはないですけど」
「そんな事ないです、可愛いです!」
拳を握って力説してくるエステルは恐らく惚れた欲目補正がかかっているのだが、それを指摘しても聞きはしないだろう。
赤と青の混じった、夜に移り行く空の瞳は爛々と輝いていて、獲物を狙っているといっても過言ではない。今にもヴィルフリートを捕まえてぬいぐるみよろしく抱き締めそうな雰囲気があった。
「ヴィル、ぎゅーっとしていいです?」
案の定おねだりが飛び出てきたので後退るのだが、エステル的にはもう脳内で決定事項なのかじりじりと距離を詰めてくる。
普段ならば威圧感も何もないのだが、妙なやる気と身長差からの圧迫感で非常に居心地が悪い。
「ぬいぐるみではないんですが」
「いっつも私が包まれてるので、私が包んであげたいです!」
普段は身長差体格差で当たり前のようにヴィルフリートがエステルを腕に納めている。今のヴィルフリートは推定七歳前後の肉体をしているため、エステルでも容易にヴィルフリートを包めるし何なら抱き上げられるだろう。
抱き締められるのが嫌とは言わないが、エステルはしばらく離そうとしなくなるだろう。
「……というか、ヴィルは私に許可取らずにぎゅーするから、私もぎゅーしていい筈です」
「エステルは喜んでるじゃないですか」
「ヴィルは喜んでくれないのですか?」
「うっ。……分かりました、分かりましたから。子供扱いされるのは不服ですが、どうぞご随意に」
しょんぼりされては拒む気にもなれず、仕方なくソファに座って手招きをする。男の矜持として間違っても抱き上げられるのだけは勘弁だ、という細やかな抵抗にはエステルは気付かず、ただ嬉しそうにヴィルフリートの隣に腰を下ろしてぎゅむっと抱きついた。
男女と言えど、ヴィルフリートは両手で余裕で数えられる年齢の肉体。
あっさりとエステルの腕の中に収まりいつもよりこころなしか大きく感じる母性の塊を枕にされて、何とも言えない気持ちになっていた。
男の感覚からして喜べばいいのだろうが、傍から見れば子供の自分ではただ甘えているような状況にしか見えない。子供の体では特に触れ合っても反応する訳でもないのでそこはありがたいものの、やっぱり何だか複雑な気分であった。
「ふわぁー、ヴィルちいさいです。かわいいっ」
「……ソレハドウモ」
「……不服そうですね?」
「当たり前でしょうに。男に可愛いは褒め言葉ではありませんし」
「で、でも、可愛いんですもん……だめ?」
「あなた個人の感性に文句をつける気はありませんが、俺主観としては断固否定しますよ」
「こんなに可愛いのに」
むぎゅう、と抱き締められると窒息しかけるので、腰を掴んで余裕をもって息を出来るくらいに顔を浮かせると、エステルがちょっぴり残念そうにこちらを見下ろしている。
逆にこちらの腰を掴まれて腿に乗せられて、普段ヴィルフリートがエステルにするような体勢を取られたので、もうヴィルフリートは額を押さえるしかなかった。
「……屈辱感が……」
「な、何でですか!?」
「中身が成人男性なのに、女性にこの体勢をされるというのは恥ずかしいのですよ」
「……そんなにです?」
「そんなにもです。……子供みたいでしょう」
「だって子供ですし……」
「中身的に複雑なんです。割りきって堪能出来たら楽でしょうけどね」
プライドやら羞恥心やら何やらを捨てて、好きな女性に思うままに甘えられたなら、恐らく幸せを感じるだろう。
しかし、中途半端にプライドが邪魔をして、童心に帰る事も出来ない。幼子のように甘えるなんてこっぱずかしい事出来ないと理性が訴えかけるのだ。
故に甘やかしたいオーラを出すエステルに身を委ねる事は出来ず、やはり体が強張ってしまっている。
そんなヴィルフリートに、エステルはぱちくりと鮮やかな紫の瞳を瞬かせ、それから春の木漏れ日のような淡い笑顔を浮かべた。
「折角なんですから楽しまなきゃ損ですよ? ほらヴィル、いいこいいこ」
「あのですねえ」
文句を言おうとして、エステルが聞く耳を持ってなさげなのを感じて止める。
全くと溜め息をついて少し力を抜くと、先程のぬいぐるみのような抱擁ではなく、受け止めて包み込むような柔らかく優しい抱擁になった事に気付かされた。
頭上から、澄んだ声が滑らかな旋律となって降り注ぐ。
それは、エステルが知っているとは思えない子守唄のそれだ。
「……すごく昔に、お兄様に歌われた事があるのですよ。眠る時に泣いたり駄々こねた私に歌ってくれたんです」
疑問に答えるように、どこか懐かしげに呟いたエステルが、また歌を紡ぐ。
駄々っこ扱いなのか、とか思ったものの、抱き締め包み込むその温もりが、一定のリズムで背中をぽんとたたくその手付きが、甘くて、それでいて胸に染み入るような香りが、どんどんヴィルフリートの抵抗する気力を根こそぎ奪っていた。
ああなんだ、母というかたちを知らないエステルにも、それはイオニアスから、そして本能に教えられているんじゃないか。
そんな妙な安心感を覚えると、影で身を潜めていた眠気が、一気に襲いかかってくる。
この人は絶対に自分に危害を加えない、そう認識した相手には、こうも体が勝手に油断してしまう。
「……エステル、やめてください。ほんと、こどもの体だと眠くなりやすいんです」
こぼした言葉には返事がなく、美しい声で紡がれる歌は途切れる事もない。
ただ、背中をたたくその手のひらが優しくなり、もう片手はヴィルフリートを支えつつ大人の時より柔らかさが強くなった髪を軽く指で梳き始める。
ああこれ寝かせたあと存分に愛でるつもりだ、と察したものの、このえもいわれぬ極上の感覚から抜け出す気にもなれない。
ふわふわのそれに顔を埋められて、こんなにも甘やかすように触れられれば、こどもの体は大人が思うよりも存外素直だったらしく、体から力が抜けてしまう。
訪れた眠気は体から力を奪うだけではなく、緩やかに意識の端から侵食してゆっくりゆっくり心地のよい眠りの海に引きずり落としていく。
気が付けばうとうとを通り越して、澄んだ声も、触れる手付きも、遠ざかっていた。
ただ、心地よい温もりだけが、確かに感じられる。
(――ああ、もうだめだ、おちる)
本能でそれを察しても、抗う事は出来ない。
崩れていくように意識がホワイトアウトしていくのを、ヴィルフリートはなす術もなく見守るしかなかった。
後編は全力でふざけます。