二次面接
二次面接当日。私は予定より二十分早く、池袋駅東口に着いていた。
休日の駅前は、人で溢れていた。外国人観光客。学生。買い物帰りの家族連れ。
その流れの中に、大きな紙袋を抱えた若者たちが混ざっている。
ブランド品。フィギュア。トレーディングカード。
“買う”と“売る”が、街の中を高速で循環していた。
市場は、本当に来ているらしい。
雑居ビルの前で立ち止まる。上階に、小さな看板。
派手ではない。だがSNSでは、最近よく名前を見る店だった。
エレベーターの扉が開く。
その瞬間、音が流れ込んできた。
査定の呼び出し。レジ音。スタッフ同士の声。スマホ通知。
狭い店内に、人が詰まっていた。
ショーケース。ブランドバッグ。腕時計。フィギュア。トレーディングカード。
通路は人で埋まっている。
査定待ちの客。動画を撮る若者。商品を抱えた転売屋らしき男。
バックヤードからは、台車の音が響いていた。
熱気。湿った空気。段ボールの匂い。
市場が、生きていた。
「黒沢さんですか?」
振り向くと、若い男性社員が立っていた。細身。二十代後半くらい。首から社員証を下げている。
「本日ご案内します、佐伯です!」
明るい。だが目の下には、薄く疲労が浮いていた。
「すみません、今日ちょっと現場バタついてまして」
そう言いながら、彼はバックヤードの扉を開ける。
空気が変わる。
積み上がった段ボール。開封済みの商品。床に置かれた台車。
ホワイトボードには、乱雑な文字。
『池袋 査定待ち対応』
『秋葉原 在庫移動』
『高額買取確認』
『人員不足』
奥で誰かが叫ぶ。
「この査定、本部確認してください!」
「価格更新まだ!?」
電話。チャット通知。怒鳴り声。
全部が重なっていた。
私は少し懐かしい気持ちになる。
整っていない職場には、独特の体温がある。
昔、嫌というほど見た光景だった。
なのに胸の奥が、わずかに熱くなる。
「すごいですね」
私が言うと、佐伯は苦笑した。
「今ほんとヤバいっす」
「去年から一気に出店かけてるんで」
彼は歩きながら、小声で続ける。
「正直、みんなずっとギリギリです」
その時、奥の壁が目に入った。
社内スローガン。
『市場が伸びる時に止まるな』
太い黒文字。
勢いだけで書いたような言葉。だが、この会社ではそれが宗教みたいに機能しているのだろう。
「社長の言葉ですか?」
私が聞くと、佐伯は即座に頷く。
「あ、そうです」
その瞬間だけ、少し表情が変わった。
疲れていた顔に、妙な熱が宿る。
「社長、マジですごい人なんですよ」
「この業界、絶対伸びるって何年も前から言ってて」
「実際、全部当たってるんで」
信仰に近かった。
私は何も言わず、バックヤードを見回す。
崩れかけた段ボール。徹夜明けらしい社員。鳴り続ける通知。
誰も止まっていない。
いや、止まれない。
市場だけが前へ進んでいる。
「こちらです」
案内された会議室は、小さかった。
だが壁一面に、日本地図が貼られている。
赤いピン。大量の出店予定地。
地方都市。駅前。ショッピングモール。
空白を埋めるように、ピンが刺さっていた。
まるで侵略図だった。
「失礼します」
ドアが開く。
中には三人。
オンライン面接で見た東堂と相沢。そして、その中央にもう一人、年上の男が座っていた。
営業本部長の神谷 恒一。
四十代後半。細身。黒縁眼鏡。
落ち着いた見た目だった。
だが、その目だけは異様に鋭かった。
静かな人間ではない。事業責任者としての風格がそこにはあった。
「黒沢さん、本日はありがとうございます」
神谷が笑う。
穏やかな口調。だが、その声には高揚感が滲んでいた。
着席。
面接というより、経営会議の中でのひとこまのようだ。
東堂が笑いながら言う。
「いやー、実際見てもらった方が早いと思って」
「正直、今かなりカオスなんですよ」
相沢も笑う。
「毎月組織変わってますからね」
「採用人数、去年の三倍です」
そこに不安はなかった。
むしろ、“市場に追いつけている側”の興奮があった。
神谷が椅子にもたれながら言う。
「でも、こういう時期って一番面白いんですよね」
東堂が吹き出す。
「あー、分かります」
神谷は続ける。
「毎月、景色変わるじゃないですか」
「先月まで一店舗だったエリアに、気付いたら三店舗できてる」
「昨日まで無名だった会社が、突然業界トップ狙える位置まで来る」
少し笑う。
「正直、こんなタイミングって人生で何回もないんですよ」
相沢も頷く。
「今入ってる人、多分みんなそれ感じてます」
「大変なんですけど、なんかずっと文化祭みたいなんですよね」
東堂が笑う。
「毎日トラブル起きてますけどね」
「でも売上見ると全部吹っ飛ぶんですよ」
三人とも笑う。
危機感はある。
だが、それ以上に市場の熱に酔っていた。
私はその空気を見ながら思う。
この人たちは、“会社を大きくしている”んじゃない。
“時流そのものに乗っている感覚”に酔っている。
神谷が私を見る。
「黒沢さんの経歴、かなり興味深く見ています」
「前職、複数店舗マネジメントやられてますよね」
「はい」
「加えて、業務改善もかなり踏み込まれている」
私は頷く。
神谷は笑いながら続けた。
「正直、今うちに必要なのって、“根性ある店長”じゃなくなってきてるんですよ」
「もちろん現場回せる人は必要なんですけど」
「もう、それだけじゃ追いつかない段階に入ってきてる」
東堂が前のめりになる。
「今、現場強い人間が、全部属人的に回してるんですよね」
「だから、その人休んだ瞬間に崩れる」
相沢も苦笑する。
「店長ガチャ状態です」
神谷が笑う。
「でも今までは、それで押し切れちゃったんですよ」
その言葉に、全員が頷く。
成功体験だった。
市場が伸びる。店を出す。人が足りない。でも気合いで回す。また売上が伸びる。
その繰り返し。
神谷が言う。
「だから今回、マネージャークラスで探しています」
「複数店舗を見れること」
「組織改善できること」
「そして、“仕組みに変えられること”」
その瞬間、私は理解する。
この会社は今、次の段階へ進もうとしている。
勢いだけで走るフェーズから、勢いを“構造化”しなければいけない段階へ。
だが、本社の人間たちはまだ熱に浮かれている。
だから危うい。
東堂が聞く。
「黒沢さん、前職でどうやって改善されてたんですか?」
私は少し考える。
「感覚で運営しないようにしていました」
三人がこちらを見る。
「例えば、離職率が高い店舗って、実際にはその前段階で兆候が出ています」
「残業時間、有休取得率、欠勤率、クレーム件数、店長シフト」
「全部、ある程度連動します」
神谷の目が細くなる。
「それを見ていた?」
「はい」
「Excelベースですが、異常値を見ていました」
東堂が笑う。
「うわ、それ今めちゃくちゃ欲しいです」
相沢も頷く。
「今、人が足りなさすぎて、“なんとなく危ない”で終わってるんですよね」
私は壁の地図を見る。
増え続ける赤いピン。鳴り続ける通知。バックヤードの怒鳴り声。
「危ないと思います」
空気が少し止まる。
だが神谷は笑った。
むしろ楽しそうだった。
「ですよね」
「でも、多分まだ伸びますよ」
その言葉には確信があった。
危険だと理解した上で、アクセルを踏んでいる人間の顔だった。
私は続ける。
「ただ、伸びる会社だとも思います」
誰も否定しない。
「今の御社って、“人の熱量”で回ってる状態なんですよ」
「それ自体は悪くないです」
「急成長期って、最後は気合いで押し切る場面が絶対あるので」
東堂が深く頷く。
「分かります。今、完全にそれです」
相沢も笑う。
「正直、毎日綱渡りですよ」
「でも、その綱渡りで売上更新してるんで」
神谷が静かに言う。
「崩れる時って、多分もっと後なんですよね」
「市場が落ち着いて、勢いだけじゃ回らなくなった時」
「そこで初めて、組織の弱さが出る。」
その理解はあった。
だが同時に、今はまだ止まる気がなかった。
私はホワイトボードを見る。
査定遅延。価格確認。人員不足。店舗間移動。
全部、現場判断だった。
「今後必要なのは、“誰が上手くやってるか”じゃなく、“なぜ回ってるか”を再現できる状態だと思います」
部屋が静かになる。
私は続ける。
「例えば、売上が強い店舗の共通点。客層、立地、SNS流入、査定スピード、回転率。全部データ化できるはずです」
東堂が腕を組む。
「……実は今、それ全然見えてないんですよね」
苦笑だった。
だが本音だった。
「売れてる店は、とにかく売れてる。でも理由が感覚論になってる」
私は頷く。
「だから今なら、まだ間に合うと思います」
「組織が完全に属人化する前なら」
相沢が笑う。
「黒沢さん、完全にうちが今困ってるところ刺してきますね」
部屋に少し笑いが起きる。
だが空気は明らかに変わっていた。
“現場経験者”ではない。
“組織を作れる人材”として見始めている。
神谷がこちらを見たまま言う。
「黒沢さんって、現場好きですよね」
突然だった。
私は少しだけ笑う。
「……そう見えますか?」
「見えます」
神谷は迷わなかった。
「普通、ここ見たら引くんですよ」
「人足りないし、仕組みぐちゃぐちゃだし、毎日問題起きてる」
「でも黒沢さん、さっきからちょっと楽しそうなんですよね」
東堂が吹き出す。
「あー、それ俺も思ってました」
相沢も笑う。
「完全に“分かる側”の顔してますもん」
私は少し黙る。
否定できなかった。
整い切った会社にはない熱が、ここにはあった。
毎日何かが壊れ、毎日何かが変わる。
その混乱の中でしか味わえない感覚がある。
昔、自分もそれに飲まれていた。
神谷が椅子にもたれながら言う。
「結局、急成長って中毒なんですよね」
静かな声だった。
だが、その言葉だけ妙に重かった。
「普通の会社戻ると、物足りなくなる」
「毎日同じ数字見て、同じ会議して、事故なく終わるだけの日々が続く」
少し笑う。
「それって安定なんですけど、同時に退屈でもあるんですよ」
東堂が頷く。
「今うち、毎日事件起きますからね」
「でも、その分ちゃんと前進してる感じあるんですよ」
私はその言葉を聞きながら思う。
この人たちは、危険を理解していないわけじゃない。
理解した上で、熱狂を選んでいる。
だから厄介なのだ。
面接終了予定時刻が近づく。
相沢が時計を見る。
少し空気が緩む。
私はそこで、気になっていたことを聞く。
「ちなみに、次回は社長面接ですか?」
一瞬だけ、空気が止まった。
東堂と相沢が、わずかに神谷を見る。
神谷が答えた。
「いえ、今回が最終です」
「通常は社長面接までやるんですが、今回は我々で判断します」
妙に引っかかる言い方だった。
「社長、今ほぼ全国飛び回ってまして」
「店舗視察と商談続きで、会社にほとんどいないんですよ」
東堂が苦笑する。
「捕まえる方が難しいです」
部屋に軽い笑いが起きる。
だが、その瞬間。壁の日本地図が、妙に大きく見えた。
増え続ける赤いピン。熱狂。拡大。未整備。希望。
全部が同時に存在していた。
だが、その中心にいるはずの社長だけが、不思議なほど見えなかった。
まるで、巨大な熱だけを残して、姿を消しているみたいに。
第二話まで読んでいただき、ありがとうございました。
今回、黒沢は“感覚”で走る会社に対して、
“データ”という視点を持ち込み始めます。
ただ、この物語で描きたいのは、
「データが正しい」という単純な話ではありません。
数字では測れない熱狂。
人についていく感情。
空気。
勢い。
信仰に近い熱量。
会社という組織は、
合理性だけでは動かない。
むしろ、とても人間的で、時に非合理で、
危ういものだと思っています。
この先、会社はさらに拡大していきます。
そして同時に、
少しずつ歪みも大きくなっていきます。
熱狂は、どこまで人を前へ進ませるのか。
そして、人は壊れずに成長し続けられるのか。
そんなことを書いていけたらと思っています。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。




