第46話 原案者と歌姫とVTuber、でも学校では提出物に追われている
人間は、案外すぐに現実へ戻される。
昨日の夜、日本アカデミー賞会場にいたからといって、翌朝の学校がその余韻に配慮してくれるわけではない。
むしろ、そういうときに限って、なぜかどうでもいい現実が連続して襲ってくる。
提出物。
小テスト。
当番表。
文化祭仮アンケート。
係の確認。
先生の「今日中にお願いします」。
そういうものが、映画賞の余韻を一ミリも気にせず、普通に積み上がってくる。
真白は朝、教室でそれを体感していた。
◇
「一ノ瀬さん」
と、さやか。
「何」
「英語のワーク、今日提出」
「……」
「何その顔」
「忘れてた」
「珍しい!」
ひかりが即反応した。
「一ノ瀬さんが提出物忘れ寄りの顔するの、かなりレア」
「寄り、で止めて」
真白が言う。
「まだ忘れたと確定したわけじゃない」
「でも今、忘れてた顔だった」
と絵麻。
「一ミリどころか三ミリくらい」
「測定単位が曖昧なんだよなあ」
真白が言いながら鞄を開ける。
そして、三秒後。
「……あった」
「おお」
と澪。
「生還した」
ひかりが笑う。
「危なかったね」
絵麻も頷く。
「何その、みんなして私の提出物を見守る感じ」
「だって昨日の今日で提出物に殺されるVTuber、ちょっと見たい」
ひかり。
「最低」
「褒めてる?」
「違う」
教室が少し笑う。
真白はワークを机に置きながら、少しだけ息を吐いた。
危なかった。
いや、本当に危なかったのは提出物そのものではなく、
“昨日授賞式にいたのに今日ワーク忘れそうになる人”
という情報の面白さだった気がする。
このクラス、そういうところだけ本当に拾う。
◇
だが、落差に襲われているのは真白だけではなかった。
「朝倉」
と、さやか。
「何」
「体育祭実行委員の仮希望、今日まで」
「……」
「何その顔」
「忘れてた」
「うわ」
今度は真白が言う。
「何」
と澪。
「昨日、日本アカデミー賞の会場にいた人の“忘れてた”はちょっと面白い」
「それはわかる」
ひかりが言う。
「歌姫、実行委員希望を忘れる」
「見出しにするな」
澪が即座に返す。
「でも、その落差はちょっと好き」
絵麻が笑う。
「好きって何」
「人間っぽくて」
「そこは褒めてる?」
「かなり褒めてる」
「最近みんな、褒めてるの使いすぎでは?」
澪が言うと、
「便利だから」
木乃葉が机に伏せたまま言った。
「出た」
さやかが呆れる。
「ほんとにこのクラス、便利に頼りすぎ」
その木乃葉も、今日は珍しく機嫌が悪そうだった。
いや、悪いというより、明らかに寝不足が再来している。
「木乃葉さん」
真白が聞く。
「何」
「今日、また人類薄くない?」
「概念六割」
「戻ったね」
ひかりが笑う。
「何かあった?」
絵麻が聞くと、木乃葉はほんの少しだけ間を置いて言った。
「締切」
「また?」
さやか。
「締切はまた来る」
「それは知ってるけど」
「受賞記事見て少し元気になった翌日に修正が来た」
「うわ」
真白が思わず言う。
「それはだいぶきつい」
「社会ってそういうもの」
「高校生の発言ではない」
澪が真顔で言う。
「高校生だけど」
「でも発言がだいぶ業界人」
ひかりが笑う。
真白は思う。
このクラス、本当に落差でできている。
昨日まで授賞式だの映画だの言っていた人たちが、今日は提出物と締切と実行委員に追われている。
意味がわからない。
でも、ちょっとだけ面白い。
◇
一時間目が終わったあと、今度は絵麻がじわじわ追い詰められていた。
「桃園さん」
とさやか。
「何?」
「委員会アンケート」
「……」
「その間、やめて」
「まだ書いてない」
「だよね」
「今書く」
「今書くって、そこで?」
「うん」
「昨日、映画原案者として会場にいた人が、教室で委員会アンケートを今書くのすごいな」
真白が言うと、
「それは私も思った」
と絵麻。
「何その自己客観視」
ひかりが笑う。
「でも、今の方が大事かも」
「委員会アンケートが?」
澪が聞く。
「締切的には」
「ああ」
「現実すぎる」
真白が言う。
絵麻はペンを握ったまま、少しだけ考える顔をした。
「“どの活動に興味がありますか”……」
「普通に答えなさい」
さやかが言う。
「“映像制作”って書いたらだめ?」
「だめではないけど、なんか深い」
ひかりが言う。
「深いというか、だいぶ本気」
「今の桃園さんがそれ書いたら、こっちの心拍数が上がる」
真白が言うと、
「何で」
と絵麻。
「いや、そこはわかるでしょ」
「わかる」
木乃葉が伏せたまま言う。
「今日の桃園さん、普通に委員会アンケート書いてるだけで情報量ある」
「その言い方ひどい」
「でもたしかに」
澪も頷く。
「普通の行動が普通じゃなく見える日ってある」
昨日の余韻がまだ残っているからだろう。
今日は、みんなの“普通の行動”に少しずつ外側の意味が重なって見える。
それがなんだか可笑しかった。
◇
二時間目の休み時間には、音々まで現実側へ引き戻されていた。
「瀬川さん」
さやかが言う。
「何」
「音楽ノート、先生が今日のうちに出してって」
「……」
「何その顔」
「終わってない」
「嘘でしょ」
「今日の2年A組、忘れ物と未提出が多すぎない?」
ひかりが笑う。
「昨日、全員ちょっと別の場所にいたから」
木乃葉が言う。
「その反動」
「なるほど」
真白が頷く。
「何がなるほどなの」
さやかが言う。
「いや、昨日授賞式とか記事とかで頭が少し外向いてた人たちが、今日まとめて学校に殴り返されてる感じ」
「殴り返されてる」
澪が少し笑う。
「言い方は物騒だけど、だいぶ合ってる」
「学校こわ」
絵麻が言う。
「学校は平等」
と音々が真顔で返した。
「それは今ちょっと名言っぽかった」
ひかりが言う。
「褒めてる?」
「かなり」
「じゃあ受け取る」
この流れも、もうだいぶ定着している。
真白は少しだけ思う。
昨日の会場では、みんなそれぞれの“外の顔”だった。
今日の教室では、ちゃんと“学校に追われる人”になっている。
どちらかが嘘でどちらかが本当なのではない。
その両方が本当なのだ。
そこが、前より少しだけわかるようになってきた。
◇
昼休み、ついにさやかがまとめに入った。
「結論」
「何」
ひかりが聞く。
「うちのクラス、昨日の夜がどれだけすごくても、今日の昼には提出物に追われる」
「当たり前では」
と真白。
「でも、その当たり前が今ちょっと面白いのよ」
「それはわかる」
絵麻が頷く。
「昨日の夜、会場で別れて」
「うん」
「今日の朝、英語ワークと委員会アンケートと音楽ノート」
「落差がすごい」
澪が言う。
「でも、それでちょっと安心したかも」
「何に」
真白が聞く。
「学校に」
「……」
「何その顔」
「いや」
真白は少しだけ考えてから言う。
「私も少し同じこと思ってた」
「うん」
「昨日の夜のこと、まだ残ってるのに」
「うん」
「でも教室に来たら、ちゃんと小テストと提出物がある」
「あるね」
「それって、変に救われる」
「わかる」
絵麻が言う。
「会場の空気だけのままだと、ちょっとふわふわしすぎる」
「でも学校は、良くも悪くも現実」
さやか。
「うん」
澪が頷く。
「だから戻ってこられる感じある」
その会話を、木乃葉が机に伏せたまま聞いていた。
「学校って、すごいね」
と、木乃葉。
「何が」
ひかりが聞く。
「人の外側がどれだけ濃くても、平等にワーク提出させる」
「そこ?」
真白が言う。
「でもわりと本質」
木乃葉。
「映画原案者でも、歌姫でも、VTuberでも、締切の民でも、音の人でも、学校では提出物出せって言われる」
「最後だけすごく雑な括り」
音々が言う。
「でも間違ってない」
「何そのカテゴリ名、“音の人”」
ひかりが笑う。
教室がまた少し笑う。
そうなのだ。
学校は平等に現実だ。
そこが、今日は妙にありがたかった。
◇
放課後、配布物の整理をしながら、真白は窓の外を見た。
校庭。
部活の声。
夕方の光。
どこにでもある学校の景色。
でも、その“どこにでもある”は、最近少しだけ特別に感じる。
昨日、日本アカデミー賞の会場にいた。
澪も、絵麻も、そこにいた。
それでも今日は、みんな普通に学校で追い立てられている。
その落差が、少しおかしくて、少しありがたい。
「……学校ってやっぱりすごい」
真白がぽつりと言うと、
「何その感想」
ひかりが笑う。
「いや」
「何」
「昨日のこと、多少引きずってても、ちゃんと今日のやることがあるの」
「うん」
「それで少し救われる」
「……」
「何その顔」
「今の、だいぶわかる」
絵麻が言う。
「うん」
澪も頷いた。
「私も」
その短い共感だけで十分だった。
原案者と歌姫とVTuber。
でも学校では、提出物に追われる。
そのどうしようもない現実感が、たぶん今日の三人には必要だったのだ。
「結論」
とさやか。
「何」
真白が返す。
「うちのクラス、外の顔は濃いけど、学校ではちゃんと学校に負ける」
「負けるって言い方」
ひかりが笑う。
「でも好き」
絵麻。
「褒めてる?」
と真白。
「かなり」
と澪。
また少し笑いが落ちる。
昨日の余韻はまだ残っている。
でも今日はちゃんと、学校の現実もあった。
その両方があるから、きっとまた朝になれば教室へ戻ってこられるのだろう。




