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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 御上常陸介寛浩


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第20話 眠い文学少女の“締切前”はだいたい顔に出る

柊木乃葉が本当に危ない日は、見ればわかる。


 いや、普段からわりと眠そうではある。

 それはいつものことだ。

 いつものことなので、もはやクラスの風景に馴染んでしまっている。


 だが、本当に危ない日の木乃葉は、眠いというより魂の解像度が低い。


 朝、真白が教室へ入った瞬間、その日は「あ、だめな日だ」とわかった。


 木乃葉が席についていた。

 ついてはいたが、座っているというより、机と椅子と重力に辛うじて支えられている状態だった。

 背筋はいつも以上に抜けている。

 頬杖の角度が雑。

 教科書は開いているのに、視線が一ミリも合っていない。


「……木乃葉さん」

 と絵麻が、ふわっと声をかける。

「……ん」

「生きてる?」

「たぶん」

「たぶんで登校しないで」

 と、さやかが即座にツッコむ。

「えらい」

 と木乃葉。

「褒めてない」


 いつものようでいて、いつもより輪郭が薄い。


 真白は自席に鞄を置きながら、木乃葉の机の上をちらりと見た。

 ノートの端に、また細かい文字がびっしり書き込まれている。

 しかも今日は、ページ数が多い。

 多いというか、明らかに普通の授業ノートの分量ではない。


 何だこれは。

 長編でも書いているのか。


 いや、書いていそうだな、と思ってしまうのが今の2年A組の怖いところだった。


「木乃葉さん」

 今度はひかりが、机の横から顔を覗き込む。

「今日やばくない?」

「やばいね」

「自覚あるんだ」

「ある」

「寝てないの?」

「寝たよ」

「何時間?」

「……」

「その沈黙が答えか」

「言うと引かれる」

「もう引いてる」


 教室のあちこちから小さな笑いが起きる。


 だが木乃葉は笑い声に反応する元気すらなく、机に額をつけそうになりながらぼそっと言った。


「でも今日を越えれば、たぶん人間」

「今は?」

 と真白が聞いてしまう。

「締切に追われる概念」

「概念が登校してるの怖いな」

 とひかり。

「一ノ瀬さん、最近そういうの自然に拾うよね」

 と絵麻。

「やっぱりちょっと変わった?」

 とさやか。


 なんで話の矛先がこっちへ来るのだ。


「今は木乃葉さんの話では」

 真白が言うと、

「その返しが前より会話にいるんだって」

 とひかりがにやっとした。


 真白は軽く眉を寄せたが、否定はできない。

 最近、本当に少しだけ会話に入る頻度が増えている。

 前なら心の中だけで終わらせていたツッコミが、たまに口から出る。


 それが良いことかどうかはまだよくわからない。

 でも少なくとも、教室の空気は前より少しだけ近くなっている。


「締切って何の?」

 と絵麻が、あまりにも自然な顔で聞いた。


 一瞬、教室の空気が止まった気がした。


 木乃葉のまぶたが、ほんの少しだけ開く。


 しまった。

 その言葉、出るか。

 いや出るか。

 出るな。


「……え?」

 木乃葉が、たぶん時間を稼ぐために聞き返す。

「いや、さっき締切って」

「ああ」

 木乃葉は一拍置いて、

「人生の」

 と言った。


 雑すぎる。


「人生に締切あるんだ」

 とひかり。

「だいたい毎日ある」

「間違ってないけど違う」

 とさやか。

「木乃葉さん、今日ほんとに危ないね」

 と絵麻。

「危ないよ」

 と木乃葉。

「だから寝かせて」

「学校で?」

「学校で」


 真顔で言うな。


 真白は内心で思いながらも、少しだけ可笑しくなる。

 こんなに怪しいのに、木乃葉は木乃葉のままだ。

 取り繕おうとしているのに、取り繕いが雑すぎる。


 それが逆に、この人の“外側の本気”を感じさせる。


     ◇


 一時間目の授業が始まると、木乃葉の危うさはさらに増した。


 教科書を開く。

 開くが、目は半分閉じている。

 ノートを取る。

 取るが、途中から字がだいぶ波打つ。


 そしてついに、教師に当てられた。


「柊木」

「……はい」


 返事の速度が、いつもの三倍くらい遅い。


「この一文の主語は何ですか」

「……主語」

「ええ」

「主語は……」

 木乃葉は数秒考え、

「今の私にはちょっと重いです」

 と答えた。


 教室が静かに揺れた。


 教師も一瞬だけ止まり、それから苦笑する。


「重いかもしれませんが、頑張ってください」

「優しい……」

「正解は“彼”です」

「“彼”か……強い」

「柊木さん、今日ほんとにだめな日?」

 絵麻が小声で言う。

「だめ」

「即答だ」

 とひかり。


 真白はノートに視線を落としながら、思う。


 ここまでひどいと、逆に笑えてくる。

 でも、笑えるだけで済むのは、たぶんこのクラスだからだ。

 もし全員が木乃葉のこの状態を“ただのサボり”だと思っていたら、こんな空気にはならない。


 みんなうっすら察しているのだ。

 たぶん何か、そういう“外の事情”があるのだろうと。


 そして、その事情を本人が言わない限り、深くは踏み込まない。


 このクラスのそういうところが、真白は最近少し好きだった。


     ◇


 二時間目の休み時間、真白は珍しく自分から木乃葉の席の近くまで行った。


 別に深い意味はない。

 ただ、机に突っ伏しすぎていて本当に大丈夫か少し心配になっただけだ。


「……生きてる?」

 と、さっき絵麻が使ったのと同じ言葉を借りる。


 木乃葉は机に顔を半分埋めたまま、ゆっくり片目だけ開けた。


「たぶん」

「その回答、便利すぎるね」

「便利だから」

「感染源がここにいたか」


 木乃葉の口元が、ほんの少しだけ緩む。


「何」

「いや」

 真白は少し迷ってから言う。

「そこまで眠いなら、保健室とか」

「無理」

「何で」

「寝たら終わる」

「何が」

「いろいろ」

「またその言い方」

「便利だから」

「便利ワードで生きてるなあ」


 真白がそう返すと、木乃葉は小さく息を吐いた。


「一ノ瀬」

「何」

「最近ちょっと、前より喋るね」

「……」

「悪い意味じゃなく」

「みんな言う」

「だって変わったし」

「そんなに」

「うん。前はもっと、教室にいても一人だった」

「……」

「今はちょっと、ちゃんとそこにいる」


 その言い方は、思ったより刺さった。


 ちゃんとそこにいる。


 教室にいたのは前からだ。

 毎日同じ席に座っていた。

 でも、“そこにいる”かどうかは、たしかに別の話かもしれない。


 真白が返事に困っていると、木乃葉が続けた。


「たぶんその方が、こっちとしては楽」

「……こっち?」

「うん。教室に完全透明人間がいると、気を遣う」

「そんなつもりでは」

「わかってる。でも、今くらいがちょうどいいかも」

「……」

「あと」

「まだあるの」

「こうやって話しかけてくれると、ちょっと助かる」

「……」


 真白は思わず目を瞬いた。


 木乃葉が、そんなことを言うとは思わなかった。

 いつも眠そうで、達観していて、人との距離を一定に保つのがうまい人だと思っていたから。


「締切前?」

 真白が、あえて少しだけ踏み込んでみる。

「……」

「今の沈黙、だいぶ答えでは」

「半分だけ正解」

「半分なんだ」

「締切前と、その後の修正地獄」

「それはだいぶだめそう」

「だいぶだめ」


 木乃葉はそこで、初めて少しだけ本気の疲れた顔をした。


 眠そう、ではなく、消耗している顔。

 それを見て、真白はほぼ確信する。


 この人はやっぱり、書く側だ。

 しかも趣味の範囲ではない。

 もっと締切の重い、もっと他人が絡む書き方をしている。


「……頑張って」

 と真白が言うと、

「雑」

 と木乃葉が返す。

「褒めてる」

「それは無理がある」

「便利だから」

「便利ワードの使い方、急にうまくなったね」


 少しだけ笑いが落ちる。


 真白は自分でも驚いていた。

 前の自分なら、ここまで木乃葉の席の近くで会話することはなかっただろう。

 でも今は、こうして少しだけ言葉を交わしても、前ほど息苦しくない。


     ◇


 三時間目のあと、教室にちょっとした騒ぎが起きた。


 木乃葉が、プリントを受け取ったまま数秒動かなくなったのである。


「木乃葉さん?」

 絵麻が声をかける。

「……」

「固まってる」

 ひかりが言う。

「え、大丈夫?」

 さやかが席を立つ。


 木乃葉はそこで、ゆっくりと顔を上げた。


「今、何限?」

「四限前」

 とさやか。

「……よかった」

「何が」

「締切じゃなかった」

「学校の時間軸で締切確認しないで」

 真白が思わず言う。


 教室がまた少し笑う。


「一ノ瀬さん、最近ほんとに拾うね」

 ひかりが楽しそうに言う。

「木乃葉さんがわかりやすすぎるだけ」

「そうかな」

 絵麻が首を傾げる。

「私は前からこんな感じだった気もする」

「いや、今日はだいぶ濃い」

 とさやか。

「“締切じゃなかった”はほぼ何かやってる人の台詞なのよ」

「……」

 木乃葉が、ものすごくわずかに目を逸らした。


 わかりやすい。


 真白は思う。

 この人、寝不足でガードがだいぶ薄くなっている。


 でも面白いのは、ここまで来ても誰も「何の締切?」と真正面からは聞かないことだった。

 さっき絵麻が一度触れた以外は、みんなその手前で止まっている。


 それはきっと、このクラスの暗黙の優しさだ。


 見えても、確定するまでは言わない。

 言えるようになるまで待つ。


 そのルールがあるから、2年A組は秘密だらけでも回っている。


     ◇


 昼休み、木乃葉はついに購買のカフェオレにも手を出し始めた。


「それ飲むんだ」

 と真白。

「命綱」

「カフェインってこと?」

「糖分と気休め」

「だいぶ正直」

「もう取り繕う体力がない」

「じゃあ寝た方がいいのでは」

「今寝たら原稿が死ぬ」

「原稿って言った」

「……」

「言った」

「幻聴では」

「この距離で?」

「便利だから」

「それもうだいぶ無法だよ」


 木乃葉は両手でカフェオレの紙パックを持ちながら、しばらく黙った。

 それから小さく呟く。


「一ノ瀬、そこまで来てるなら、たぶんもう薄々わかってるでしょ」

「……」

「でも言わないでしょ」

「……言わない」

「うん。だから助かる」


 真白は、その一言に少しだけ目を伏せた。


 やっぱりそうなのだ。

 このクラスでは、知っても言わない。

 見えても決定しない。

 そうやって互いの外側を守っている。


 木乃葉が何者か。

 まだ本人は明言しない。

 でももう十分に近いところまで見えている。


 それでも、たぶん今はこの距離でいい。


「じゃあ」

 真白は少しだけ口元を緩めた。

「人間に戻れるように頑張って」

「雑」

「褒めてる」

「今のは半分くらい褒めてる」

「進歩したね」

「寝不足で判定が甘い」

「便利だね」

「便利だから」


 そこでようやく、木乃葉が少しだけちゃんと笑った。


     ◇


 放課後、帰り支度をしながら、真白はふと思う。


 木乃葉の今日の様子は、かなりわかりやすかった。

 締切。

 修正。

 原稿。

 どれも、普通の高校生活にはあまり出てこない単語だ。


 そして、そのどれもが、たぶん彼女にとっては“学校の外の現実”なのだろう。


 以前の真白なら、そういう断片が見えても、きっと「気のせい」で流していた。

 自分の秘密を守ることだけで精一杯だったから。


 でも今は違う。


 朝倉澪を知った。

 自分だけが異物ではないのかもしれないと思った。

 そして今日、木乃葉の“外側”もかなり濃く見えた。


 教室の静けさは、やっぱりただの静けさではない。


 みんな少しずつ、教室の外で何かを背負っている。

 それを持ったまま、朝になると同じ教室に戻ってくる。


 おかしい。

 おかしいけれど、嫌ではない。


「……うちのクラス、やっぱり普通じゃない」


 小さく呟くと、


「今さら」

 と、すぐ後ろから木乃葉の声がした。


 真白は少しだけ肩を揺らす。


「いたの」

「いた」

「足音」

「寝不足で軽い」

「何その理屈」

「便利だから」

「もういいって、それ」


 また小さく笑いが落ちる。


 眠い文学少女。

 たぶん作家。

 でも教室では、今日もただのクラスメイト。


 その二重さを見ても、前ほど息苦しくならない自分に、真白は少しだけ驚いていた。

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