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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 御上常陸介寛浩


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第18話 歌姫は放課後、静かに喉を守る

朝倉澪の鞄には、だいたい夢が入っている。


 いや、厳密には夢そのものではなく、夢を維持するための現実的すぎる道具たちである。


 のど飴。

 スプレー式の加湿ミスト。

 常温の水。

 白湯用の小型ボトル。

 マスク。

 加湿機能つきネックウォーマー。

 あと何かあったときのための、予備ののど飴。

 さらにその予備。


 そのせいで、澪の鞄は高校二年生の女子にしては少しだけ重い。


「朝倉先輩、それ何ですか」


 放課後、部活へ向かう途中、バスケ部の後輩が澪の鞄から覗いた小型ボトルを見て首を傾げた。


「白湯」

「白湯!?」

「うん」

「えっ、おしゃれ……」

「いや喉のため」

「喉?」

「ちょっとね」


 澪は曖昧に笑ってごまかした。


 こういうとき、歌手であることを正直に言えたらどれだけ楽だろうと思わなくもない。

 いや、たぶん全然楽ではない。

 学校生活が一気に終わる。


 だからごまかす。


 でもごまかしながら、喉だけは守らないといけない。

 バスケ部主将として走りながら、歌手として声も守る。

 冷静に考えると両立の難易度が高い。


「朝倉先輩って、風邪とか全然ひかなそうですよね」

 と別の後輩が言う。

「ひくよ」

「えっ」

「人間だから」

「いやなんか、鋼のイメージが」

「どういうイメージ」

「メンタルと体幹が鉄」

「体幹はちょっと嬉しいけど、メンタル鉄は違う」

「違うんですか?」

「全然違う。わりと普通に胃は痛くなる」

「朝倉先輩にも胃ってあるんだ……」

「そこから?」


 後輩たちが笑う。

 澪も少しだけ笑った。


 学校での自分は、こういう位置にいる。

 面倒見がよくて、頼られて、ちょっと強そうで、わりと何でもできそうな先輩。


 でもその実態は、喉を守るために冬でも冷たい飲み物を避け、収録前日は揚げ物を少し控え、エアコンの風向きに敏感になり、加湿器の水を忘れると本気で落ち込むような生活をしている人間だ。


 夢がない。

 いや、夢を支えるにはこういう現実が必要なのだが。


     ◇


 部活が始まると、澪はすぐに学校の顔へ戻った。


「アップ、今日は少し早めに回して」

「はい!」

「足止まってる。そこ切り替えて」

「はい!」

「シュート入らなくても雑にならない。一本ずつ」


 よく通る声。

 短くて明快な指示。

 みんなが動きやすい温度。


 このあたりの切り替えは、もう習慣みたいなものだった。

 主将という役割も、歌手という役割も、結局は“人の前に立つ声”という意味では少し似ている。


 ただし使い方は違う。


 学校では、動かすための声。

 歌では、届かせるための声。


 澪は練習メニューをこなしながら、自分の喉が今日どれくらい使えるかを無意識に計算していた。

 大声は出しすぎない。

 指示は通る範囲で最短に。

 変に笑いすぎて喉を乾かさない。

 冷たい空気を一気に吸いすぎない。


 高校二年生の放課後としては、だいぶ考えることが多い。


「朝倉」

 顧問が近づいてくる。

「はい」

「今度の練習試合、開始少し早まったから」

「わかりました」

「それと、お前このあと予定あるか?」

「……ちょっとだけ」

「なら今日の片づけはこっちでやる。先に行っていい」

「え」

「たまには頼れ」

「……ありがとうございます」


 澪は少しだけ頭を下げた。


 ありがたい。

 ものすごくありがたい。


 たぶん顧問は、澪が“外で何かやっている”ことを細かくは知らない。

 でも忙しいのだろうとは察しているらしい。

 そこまで踏み込まず、少しだけ配慮してくれる距離感は本当に助かる。


 2年A組だけじゃないのだ。

 世の中にはたまに、こちらの事情を全部知らなくても、ちょうどいい優しさを置いてくれる大人がいる。


「先輩、今日早いんですか?」

 後輩が聞く。

「うん、ちょっとだけ」

「珍しい!」

「たまにはある」

「何かあるんですか?」

「白湯を飲む」

「それは毎日やってくださいよ」


 なぜか軽くツッコまれた。


 澪は笑いそうになるのをこらえる。

 部活の後輩たちは可愛い。

 でも彼女たちにMIOの顔を見せる日は、たぶん来ない。


     ◇


 部活を切り上げた澪は、更衣室で急いで汗を拭き、最低限だけ整えて学校を出た。


 移動中のマスクは深め。

 キャップも目深に。

 スマホには、今日のスタジオ入り時間とレコーディングメモ。


 電車の中で、澪は自然と喉の状態を確認する。

 今日はまだいける。

 少し乾いているが、致命的ではない。

 ここで冷たいものを飲まなければ大丈夫。


 だから駅の売店で温かいお茶を買ったのだが、受け取った瞬間、思ったより熱かった。


「あっつ」


 小さく声が漏れる。


 隣にいた会社員らしき男性がちらりとこちらを見たので、澪は即座に無表情へ戻った。

 危ない。

 声は大事だ。

 うっかりした一音で身元が割れるほどではないにせよ、用心するに越したことはない。


 それにしても熱い。


 冬の自販機の“あったかい”は時々本気すぎる。

 喉には優しいが指先に厳しい。


「……何でこう、ちょうどよくならないんだろ」


 誰にも聞こえないように呟く。


 冷たければ喉に悪い。

 熱すぎても今度は口が終わる。

 歌手の生活には、夢よりこういう細かい苦悩の方が多い気がする。


     ◇


 スタジオに着くと、そこから先はMIOの時間だった。


 挨拶。

 確認。

 マイクテスト。

 歌い出しの位置。

 感情のニュアンス。

 ディレクターとの細かなやり取り。


 学校では、多少曖昧でも生活は回る。

 でもここでは曖昧さがそのまま音になる。

 だから一つひとつを詰める。


「サビ前、もう少しだけ息を残せますか」

「はい」

「ありがとうございます。今のすごくいいです」

「もう一回いきます」

「お願いします」


 ブースの中で、澪は歌う。


 照明は落ち着いていて、ガラスの向こうには大人たちがいる。

 みんな仕事の顔をしている。

 そこに自分もいる。


 ふと、紅白のあと初めてこの空間に来たときのことを思い出す。

 あのときは、まだ真白のことを思い出すだけで変な気分だった。

 学校の無口な優等生と、真昼ましろが同じ人間だと頭が追いついていなかった。


 でも今は少し違う。


 仕事の現場で、真白のピアノを思い出すと、前より気持ちが静かになるのだ。


 ――あの子なら、ちゃんと返してくる。


 そう思える。


 それはかなり大きい。


 芸能や音楽の仕事をしていると、“信頼できる相手”の価値がよくわかる。

 有名とか実力があるとか、それだけでは足りない。

 ちゃんと聴いて、ちゃんと返してくる人かどうか。

 そこがものを言う。


 真白は、その意味でかなり信用できる。


 そして何より、学校へ戻ったあとに、その“向こう側”を知っている相手が同じ教室にいるというのが、思った以上に変で、少しだけ安心もする。


「朝倉さん?」

 ディレクターの声で、澪は現実へ戻った。

「あ、すみません」

「今のテイク、かなり良かったです」

「ありがとうございます」

「今日は集中してますね」

「……そうですか?」

「はい。芯は強いのに、力みすぎてない」

「……」


 それはたぶん、少しだけ理由がある。


 秘密を共有している人がいる。

 しかも同じ教室に。

 その事実が、思っていたより自分の心を支えているのかもしれない。


 もちろん、そんなことをここで説明するわけにはいかない。

 だから澪は小さく笑ってごまかした。


「白湯のおかげかもしれません」

「白湯?」

「最近、ちょっと信用してます」

「健康的でいいですね」


 大人はこういうとき、深追いしないから助かる。


     ◇


 収録が終わったのは、夜の九時を少し回った頃だった。


 澪はマスクをつけ直し、外へ出る。

 冬の夜気は冷たい。

 喉に良くない。

 マフラーを少し上げる。


 スマホを見ると、いくつか通知が来ていた。

 部活のグループ連絡。

 マネージャーからの次週スケジュール。

 そして学校関係のどうでもいい連絡。


 その中に、ふと、真昼ましろの切り抜き通知が混じっていた。


 『紅白後初配信で“学校では静かに生きたい”発言まとめ』


「……何それ」


 思わず止まる。


 いや、タイトルの切り抜き方が上手い。

 上手いが、だいぶ面白い。

 しかもたぶん、本人としては微妙に本音なのだろう。


 澪は少し迷ってから、再生した。


 スマホから聞こえてくるのは、配信中の真白の声。

 教室ではまず聞けない速度のしゃべり。

 コメント欄に次々ツッコミを入れながら、紅白のことを話している。


 そして、MIOの話になると少しだけ言葉が丁寧になる。


「……」

 澪は歩きながら、少しだけ口元を緩めた。


 わかりやすい。

 いや、本人はたぶん隠しているつもりなのだろうけど、見ている側からすると少しだけわかりやすい。


 なんだか、自分のことを話されているのに恥ずかしいような、でもちょっと嬉しいような、妙な気分だった。


 真白はたぶん、自分と同じで、学校ではそんな顔をしない。


 教室では、もっと省エネで、もっと短い言葉しか使わない。

 でもその両方を知ってしまった以上、もう完全に“ただのクラスメイト”ではいられないのだろう。


「……ほんと、変な感じ」


 誰もいない夜道で、小さく呟く。


 歌姫である自分を知っている同級生。

 しかもその同級生は、配信では最強で、教室では静かで、紅白では信頼できるピアノを弾いた。


 そんな人が、明日もまた同じクラスにいる。


 冷静に考えると、意味がわからない。

 でも前よりは、その意味不明さが少しだけ面白い。


     ◇


 翌朝。


 澪が教室へ入ると、真白はもう席に着いていた。

 いつもの通り、無口で、きっちりしていて、いかにも優等生らしい顔でノートを開いている。


 昨日の夜、切り抜きであれだけ喋っていた人には見えない。

 毎回思うが、本当に極端だ。


 澪は少しだけ迷って、それから自然な顔で言った。


「おはよう」

「……おはよう」


 短い。

 でも、それでいい。


 澪は自分の席へ向かいながら思う。


 学校では、まだこのくらいで十分だ。

 少しずつでいい。

 無理に何かを変える必要はない。


 ただ。


 前よりは少しだけ、この教室に戻ってくるのが嫌ではなくなった。


 それは、同じ教室のどこかに、自分の“向こう側”を知っている人がいるからかもしれない。

 あるいは、自分だけが秘密を抱えているわけではない気がしてきたからかもしれない。


 どちらでもいい。

 少なくとも今は、少しだけ息がしやすい。


 そう思ったところで、後ろから後輩のバスケ部員が顔を出した。


「朝倉先輩!」

「何」

「今日の昼練、白湯持参ですか!?」

「何でそれを教室で言うの」

「いや昨日の流れで」

「流れを学校に持ち込まないで」

「すみません!」


 教室が少しだけ笑う。


 澪は額に手を当てた。

 そうだった。

 歌手だろうが主将だろうが、結局学校はこういう場所だった。


 地味に恥ずかしい。

 でも、少しだけ笑ってしまう。


 真白も前の席で、たぶん少しだけ肩を揺らしていた。


 たぶん笑っている。


 それを見て、澪も少しだけ口元を緩める。


 歌姫の生活は忙しい。

 喉も守らなければならない。

 大人たちにも囲まれる。

 期待も重い。


 でも朝になれば、こうして白湯を後輩にいじられる高校生でもあるのだ。


 それはそれで、悪くないのかもしれなかった。

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