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『学校では誰にも知られずに卒業したい 〜うちのクラス、隠し事が多すぎる〜』  作者: 御上常陸介寛浩


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第14話 私だけが秘密持ちじゃなかったらしい

教室という場所は、たぶん、近いようで遠い。


 毎日同じ時間に集まり、同じ授業を受け、同じ黒板を見て、同じチャイムで動く。

 そんなふうに同じ空間を共有していても、本当の意味で誰かの中身を知ることは、案外ない。


 真白は最近、その当たり前を少しずつ実感し始めていた。


 前までは、自分だけがそうなのだと思っていた。


 学校では無口でクソ真面目な優等生。

 でも家に帰れば真昼ましろ。

 配信で喋り、笑い、歌い、ピアノを弾き、何万人に見られている人間。


 その落差を抱えているのは、自分だけ。

 教室の中では、自分だけが嘘をついている。

 だから人と深く関わらない方が楽で、正体がバレるかもしれない距離まで行かない方が安全で、静かに卒業するのがいちばん正しい。


 ずっとそう思っていた。


 けれど今は、その前提が少しだけ揺らいでいる。


 朝倉澪がMIOだった。

 それだけでも十分世界はひっくり返ったのに、最近はさらに、木乃葉も絵麻もひかりも音々も、みんな何かしら“教室の外の顔”を持っているのではないかと思うようになった。


 もちろん確証はない。

 でも、確証がなくても感じるものはある。


 視線の置き方。

 言葉の選び方。

 疲れ方の質。

 ノートの隅に残る痕跡。

 作品に触れている人間だけが持つ、妙な手つきや反応。


 そういうのが、最近やけに目につく。


 そして気づいたのだ。


 もしかすると、自分は最初から、

 異物がひとり混ざっている教室

 ではなく、

 それぞれが何かを隠している教室

 にいたのかもしれないと。


     ◇


「一ノ瀬さん」


 朝の短い休み時間、絵麻が席の横に来ていた。


「何」

「これ、見て」


 またノートの端を差し出される。

 今度は、眠そうに机に突っ伏している木乃葉のラフスケッチだった。


 上手い。

 やはり容赦なく上手い。


 突っ伏した頬の重み、髪の落ち方、机に埋もれる腕の力の抜け方。

 ただの落書きとは思えない。


「……やっぱりうまい」

「ほんと?」

「ほんと」

「木乃葉さんって、寝てても絵になるね」

「そういう感想ある?」

「あるよー」


 絵麻はのんびり笑っている。


 その横で、当の木乃葉が顔も上げずに言った。


「勝手にモデルにしないで」

「ごめん」

「でも似てる」

「自分で言うんだ」

「客観視は大事」


 木乃葉の返しは相変わらず省エネなのに、妙にテンポがいい。

 そのやりとりを見ながら、真白は少しだけ思う。


 もし絵麻が本当に漫画を描く側の人間で、木乃葉が本当に物語を書く側の人間だとしたら、この二人のこういう会話には、それだけで妙な納得感がある。


 いや、だから勝手に決めつけるな。

 そう思いはするのだが、最近は逆に、決めつけない方が難しい。


「一ノ瀬さん?」

 と絵麻が首を傾げる。

「何か考えごと?」

「……ちょっと」

「珍しい」

 と木乃葉がぼそっと言う。

「一ノ瀬が教室でぼんやりしてるの」

「してない」

「してる」

「最近ちょっと多い」

 と絵麻まで同意する。


 最近それをいろんな人に言われる。

 自覚は、あるようなないような。


 でもたしかに、前より教室を“見ている”のかもしれない。

 以前はもっと、自分の周囲だけに意識を絞っていた。

 目立たないこと、静かにやり過ごすこと、自分の秘密を守ること。

 そこだけで手一杯だった。


 今は少しだけ、周りの人間のことも目に入る。


 それはたぶん、良くも悪くも、朝倉澪のせいだ。


     ◇


 二時間目の現代文で、風間が何気なく言った一言が、妙に頭に残った。


「人は、自分が見えている範囲だけで他者を判断しがちです」


 教科書本文の解説として、ごく普通の文脈で出た言葉だった。

 文学作品の登場人物が、相手の本心を読み違える場面についての説明。

 授業としてはとても真っ当だ。


 だが、今の真白には、妙に刺さった。


 自分が見えている範囲だけで他者を判断しがち。


 それはまさに、自分がしてきたことではないか。


 朝倉澪を、学校の中の姿だけで見ていた。

 木乃葉を、眠そうな同級生としてだけ見ていた。

 絵麻を、のんびりした絵のうまい女子とだけ認識していた。

 ひかりも音々も、どこか“説明のつく範囲の個性”へ押し込めていた。


 でも本当は、みんな教室の外に別の顔を持っているかもしれない。

 少なくとも、自分と澪はそうだった。


 だとしたら。


 自分が勝手に感じていた“孤立”や“異物感”も、ずいぶん一方的なものだったのかもしれない。


 風間は黒板に板書しながら、何でもない調子で授業を進めている。

 けれど真白には、その横顔が少しだけ意地悪く見えた。


 この人、わざとかもしれない。

 いや、授業の内容としては普通だ。

 普通なのだが、タイミングが妙に今の自分へ刺さる。


 風間はたぶん、そういうことがうまい。


     ◇


 昼休み、真白は珍しく食後に席を立った。


 窓際で外を見ようと思っただけだ。

 深い意味はない。

 教室にいてもいいのだが、今日は少しだけ頭を整理したかった。


「珍しい」

 と、後ろからひかりの声がする。

「一ノ瀬さんが自分から移動してる」

「その言い方だと私が野生動物みたい」

「保護対象っぽさはある」

「ない」

「あるよ。静かで繊細そうで」

「その評価、雑に見えて失礼」

「ごめんって」


 ひかりは笑いながら、真白の隣へ来た。


「何か考えごと?」

「最近みんなそれ聞くね」

「わかりやすいから」

「そうかな」

「うん。前はもっと、自分の席の半径一メートルで完結してた感じ」

「何その表現」

「今はちょっとだけ、周り見てる」


 それはたぶん、当たっていた。


 自分では意識していないが、たぶん本当にそうなのだろう。

 前より教室全体を見てしまう。

 木乃葉の眠さも、絵麻の絵も、音々の耳も、ひかり自身の人の見方も。


 そしてその全部が、少しずつ“ただのクラスメイト”の枠からはみ出して見えている。


「小鳥遊さん」

「ん?」

「自分で、自分は普通だと思ってる?」

「急に深い質問きたな」


 ひかりは少しだけ考えてから、肩をすくめた。


「普通ではないかも」

「……」

「でも、普通じゃないって言い切るのも違うんだよね」

「どういうこと」

「だって、自分の中ではそれが普通だから」


 その言い方に、真白は少しだけ目を丸くした。


 わかる気がした。


 真白にとって、配信は非日常ではない。

 学校から帰って、機材を立ち上げ、真昼ましろとして喋ることは、もう生活の一部だ。

 他人から見れば特別でも、自分の中では普通になっている。


 もしひかりや木乃葉や絵麻たちにも“教室の外の顔”があるのなら、きっと同じなのだろう。

 自分ではそれを、特別なことだと毎日騒いだりしない。

 ただ生活として持っているだけ。


「……そっか」

 と真白は小さく言った。

「何、納得した?」

「少し」

「よかった」


 ひかりはそれ以上追わない。

 やっぱりこの子は、踏み込みすぎないのがうまい。


 そこが怖くて、同時に少しだけありがたい。


     ◇


 放課後、真白は図書室へ提出するプリントを届ける途中で、偶然、音楽室前の廊下で澪と会った。


「……あ」

「やっほ」

「その軽さ、学校ではちょっと珍しい」

「誰もいないから」

「そういうところだよ」


 真白が呆れ半分で言うと、澪は少しだけ笑った。


 あの日、自販機の前で話してから、以前よりはほんの少しだけ会話がしやすくなった。

 教室の中ではまだぎこちなさが残るが、こうして人の少ない場所でなら、少しだけ自然に喋れる。


「今、どこ行くの?」

 と澪。

「図書室にプリント」

「真面目」

「ただの雑用」

「それをちゃんとやるのが真面目なんでしょ」

「……朝倉さんは?」

「部活前。ちょっと体育館行くとこ」

「そっか」


 一瞬、沈黙が落ちる。

 でも前みたいな苦しい沈黙ではない。

 言葉がないならないで、とりあえず立っていられるくらいにはなってきた。


 澪が先に口を開く。


「最近さ」

「何」

「一ノ瀬、前よりクラス見てるよね」

「……みんな同じこと言う」

「だってそうだもん」

「そんなにわかる?」

「わかる」


 即答だった。


「前はもっと、“私はここにいますけど別に周りは気にしてません”って感じだった」

「ひどい言い方」

「今はちょっとだけ、“この人たち何なんだろ”って顔してる」

「……」

「当たり?」

「……まあ、少し」


 少しどころではないのだが、そこは濁しておく。


「でも、わかる」

 と澪は壁にもたれながら言った。

「うちのクラス、変だよね」

「やっぱり思う?」

「思う。前は私もそこまで気にしてなかったけど」

「うん」

「今はなんか、みんな何かしらありそうに見える」

「……」

「私たちのせいかもね」

「何が」

「知る側に回っちゃったから」


 その言い方は、妙にしっくり来た。


 知る側に回った。


 以前は自分の秘密を守ることだけで精一杯だった。

 今はそこに、澪の秘密を知ってしまったという事実が加わっている。

 その分だけ、他人にも“外側”があるのではと考えるようになった。


 それはたぶん、視界が広がったということでもあり、

 単純に自意識の方向が変わったということでもある。


「私」

 と真白は少しだけ声を落とした。

「ずっと、自分だけが変なんだと思ってた」

「……」

「学校でだけ別人みたいにしてるの、たぶん自分だけなんだって」

「うん」

「でも違うのかもしれない」

「……うん」


 澪はすぐには何も言わなかった。

 ただ、その沈黙は否定ではなく、むしろ静かな同意に近かった。


「私も」

 と澪は少ししてから言う。

「同じようなこと思ってた」

「え」

「学校でだけ、ちゃんと朝倉澪やってる感じ」

「……」

「MIOの方が嘘って意味じゃないんだけど」

「うん」

「でも、こっちでだけ使う顔があるのって、ちょっと変じゃん」

「わかる」


 わかる。

 ものすごくわかる。


 たぶんそれは、自分たちだけの感覚ではないのだろう。

 もし木乃葉が書く人で、絵麻が描く人で、ひかりが何かを作る人で、音々が音に関わる人なら、きっとみんな少しずつ同じなのだ。


 教室で使う顔。

 外で使う顔。

 どちらも本物だけれど、どちらも全部ではない。


 そうやって生きている人間が、たまたま同じクラスに集まっているのかもしれない。


「……だとしたら」

 真白はぽつりと言った。

「この教室、思ってたより平和だね」

「何で?」

「みんな、たぶん自分のことで忙しいから」

「それはあるかも」


 澪が少しだけ笑う。


「人の秘密に突っ込みきれないくらい、自分も何か持ってる」

「うん」

「だとしたら、確かに平和」

「だよね」


 その平和は、明るくて賑やかな平和ではない。

 どちらかと言えば、互いに知らないふりをして成立している静かな平和だ。


 でも真白は、その静けさを前より少しだけ好きになれそうな気がした。


     ◇


 図書室への帰り道、真白はひとりで廊下を歩きながら思う。


 自分だけが異物だと思っていた。

 自分だけが、教室に対して隠し事をしていると思っていた。

 だから距離を取って、踏み込まず、踏み込ませず、静かに卒業しようとしていた。


 でも、もしかすると。


 自分は最初から、“同じようなものを抱えた人たち”の中にいたのかもしれない。


 もちろん全員が同じではない。

 秘密の種類も、重さも、表に出る顔も違うだろう。

 それでも、“学校の外にも何かある”という意味では、たぶん似ている。


 それは、少しだけ嬉しかった。


 自分だけではなかったのだ、と。

 そう思えるだけで、教室の椅子の硬さまで少し変わる気がする。


 ただし。


「……それはそれとして、音々は怖い」


 そこだけは、どうしても別枠だった。


 耳が良すぎる。

 勘づき方が危ない。

 本人に悪気がないのがさらに怖い。


 真白は廊下の途中で小さく笑った。


 結局、全部が優しいわけでも、全部が安心なわけでもない。

 この教室は相変わらず変で、少し面倒で、たまに心臓に悪い。


 でも、前よりは息がしやすい。


 それはたぶん、

 自分だけが隠しているわけではない

 と気づいたからだ。


     ◇


 教室へ戻ると、もう下校前のざわめきが始まっていた。


 木乃葉はまだ眠そうにしている。

 絵麻はノートの端に何か描いている。

 ひかりは誰かと楽しそうに話している。

 音々は片耳イヤホンのまま窓の外を見ている。

 さやかは何か配布物を揃えている。


 いつもの景色だ。


 でも真白には、もうそれが“ただの景色”には見えなかった。


 それぞれが何かを持っていて、

 それぞれが何かを隠していて、

 でも表面上は普通にクラスメイトをしている。


 その静かな群れの中に、自分もいる。


 真白は席に座り、鞄を整えながら思った。


 この教室なら、もしかしたら。

 もしかしたら、誰にも知られずに卒業することだけが正解じゃないのかもしれない。


 まだ、全部を明かしたいわけではない。

 むしろそれは全然ない。

 でも、少なくとも“ここにいてはいけない側の人間”ではなかったのかもしれない、と。


 その感覚は、ほんの少しだけ世界をやわらかくした。

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