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けものみち・1a

 操縦桿を握るステファニー・フーリエは、両脚をもじもじさせて溢れる興奮を抑え込んでいた。

 後ろの座席には姉のアレクサがいて、その大胆に開いたドレスの胸の中にマルコの頭を抱え込んでいる。マルコはその二頭のメスライオンに囚われの身となった獲物だった。


 宇宙船のフロントウインドウの向こうには、回転するギロチンが低い唸りを上げて通過していく。白い雲が渦を巻き、大粒の雨がガラスを叩いた。ギロチンの向こうには本物の星空が輝き、内部にある人工的な星々との対照を成している。


「ステファニー、もうちょっと落ち着いたらどうなの?」

「私だって、どうしたらいいかわからないんだよ」

 階層から階層へと移る航路を飛ぶ宇宙船には、中央管制からの補助が入る。パイロットは軽く操縦桿を握るだけで、あとは自動的に目的地へと運ばれていく。


 しかし、ステファニーはどうしてもじっとしていられないので、無意識にアクセルを踏み込み、管制からのコントロールを振り払おうとしてしまうのだ。

 アレクサの胸の中にものすごい力で抱きしめられ、口をふさがれているマルコは、迫りくる己の運命に強い恐怖を感じていた。

 彼がフーリエ三姉妹にさらわれてからちょうど三か月が経ち、だいぶ彼女たちの扱い方にも慣れてきた頃だったが、昨日から始まった妙な実験によって、それらの経験がすべて吹っ飛んでしまうほどの変化が起きたのだった。


 やはり、この三姉妹はギャングなのだ。


「マルコ、今から私たちに八つ裂きにされるか、一緒に下の階層に行って暴れまくるか、今すぐどっちか選びな」

 ――つい今朝のこと、みんなのために屋敷で朝食を作っていたマルコに掛けられた言葉は、そんな突拍子もないものだった。


 ステファニーは荒々しくバスローブを羽織りながら、キッチンを行ったり来たりし始めた。

「八つ裂きにするって、何かのプレイかい?」

 マルコは少しばかり調子に乗っていた。この三か月の間に、彼はずいぶんと手荒い扱いを受けていたために、どこか姉妹たちを甘く見るようになっていた。ちょいとばかり我慢すれば、乗り切れないことはないと高をくくっていた。彼女たちは消えない傷を彼に負わせることはないし、骨一本折ることさえしなかった。やや一般人よりも長めの労働と、やや重めの疲労にさえ耐えられればなんとかなるレベルだった。最長十日間の徹夜と、数か月にも及ぶ職場での寝泊まりを経験した元エンジニアの彼にとっては造作もないことだった。


「言った通りさ、お前の身体を切り刻むんだよ」

 ステファニーは突然に、すぐそばにあった肉切り包丁を手に取った。それは刃渡り三十センチにも及び、日本刀のように大きく反り返った細身の刃を持っていた。牛の霜降り肉を薄切りにするために作られた特注品だ。


 彼女はその包丁を、目にも止まらぬ速さでマルコの喉笛に押し当てた。日頃から念入りに研いでいるせいで(もちろんマルコが)、軽く刃が皮膚に触れただけでたちまち一筋の血が垂れた。マルコはひやりとした。


 だが、彼はまだあてにしていた。アリア・ヴィアとの約束を彼はしっかり覚えていた。フーリエ三姉妹は、今後二度と人の命を奪うことができないのだ。それは彼女たちの体内や、このクロノ・シティ全体に浸透している機械細胞(マシン・セル)たちの全力の働きによって保障されている。

 だが、マルコの首を流れる鮮血は確かに自分のものだ。これでは約束が違うと、彼は全身で恐怖を感じた。肌が泡立ち、すべての体毛が逆立った。


「やめなさい、ステフ」

 いつの間にかキッチンに現れた長女のアレクサが、すんでのところで肉切り包丁を奪い取ってくれた。まさに首の皮一枚で命が繋がった気分だった。マルコはすぐに床を転がって、ステファニーの手から逃れた。そのとき久しぶりに「ひいい」と情けない悲鳴を上げた。


 ステファニーはその見事な金髪をめちゃくちゃにかきむしり、今にもバスローブをむしり取らんばかりに身体中を擦り始めた。

「なんだか落ち着かないんだよ、姉さん。身体中が熱くてさ、イライラしてしょうがないんだ」

「それは機械細胞(マシン・セル)の作用よ」


 アレクサはすでに真っ赤なドレスを身にまとい、化粧もばっちり終えていた。大きなスリットから白い太ももを露わにしながら、彼女は大股で冷蔵庫へと向かうと、その一番上の扉を開けて、氷嚢をありったけ手に取った。


「ステフ、これで頭を冷やしなさい。マルコ、冷房を一番低くして」

 それから、庭掃除をしていた執事ロボットにもネビュラで指示を出した。「お願い、アルフレッド、今すぐプールを泳げるようにしてくれる?」


 まだ料理が途中で、パスタを茹でるための大きな寸胴鍋がぐらぐらと煮えたぎっているので、キッチンは地獄のように熱かった。マルコはすぐにでも火を止めたかったが、すぐ近くに興奮したステファニーが立ちはだかっているせいで、恐ろしくて近づくことができなかった。


「おい、マルコ、なんでこの鍋にはお湯しか入っていないんだよ?」

 ステファニーは、顔や身体中に氷嚢をなすりつけて文句を言った。

「これからパスタを茹でようとしていたところだからだよ」マルコは床にへたばったまま答えた。

「ああ、なんだかこのお湯をお前にぶっかけたくなってきたよ。なんだか理由はわからないんだけどさ」


「そういうことはやめなよ、ステファニー」

 マルコは座り込んだまま少しずつ後ずさりしたが、あいにく行き止まりにぶつかった。左右のどちらも、ものに塞がれて逃げ場がない。背の高いキッチンのカウンターと、積み上げられた生ごみの間に彼は追い込まれた。


 幸い、寸胴鍋に手を掛けようとしたステファニーの身体が、何か不思議な力によって抑え込まれた。急に彼女はマネキンのように静止した。

「あいたたた、身体が固い……、ちくしょう」


 命拾いしたと思ったマルコは、また調子に乗った。

「それが機械細胞(マシン・セル)だよ、ステファニー」

 フーリエ三姉妹が誰かを傷つけようという意志を働かせたとき、機械細胞(マシン・セル)はそれを打ち消す逆の作用を彼女たちの身体や道具に及ぼすのだ。たとえ隙を見て銃の引き金が引けたとしても、それは途中で止まり、火薬であれば不発になり、レーザーであればそもそも電流が流れない。


「くそ、ふざけやがって」

 ますますマルコのことが忌々しくなってきたステファニーは、どうにかして、このもどかしい感情を発散したくなった。本当はマルコには何の責任もないのだが(調子に乗った発言は例外としても)、すべてのイライラをマルコに向けて吐き散らすのが癖になっていたステファニーにとっては、この制約は拷問に等しかった。


「ええい、くそ、頭が爆発しそうだよ」

 ステファニーは、そんなことを呻きながら、その場を小さく行ったり来たりすることしかできない。

 マルコは、しめた、と思った。この隙に彼女の脇をすり抜け、キッチンから脱出してしまおう。


 さっき、いつの間にかキッチンに現れて窮地を救ってくれたアレクサは、今度もいつの間にかどこかに行ってしまった。マルコは自分の力だけで、このピンチを乗り越えなければならない。

 目の前でよろよろしているステファニーは、まるで魔法の前で力を抑え込まれた怪物のようだ。彼女の中の暴力性が強ければ強いほど、それを抑え込もうとする力も強くなる仕組みだった。マルコは、大昔に読んだ東洋の文学書を思い出した。その有名な書物『西遊記』では、孫悟空なる大猿の化け物が、緊箍児(きんこじ)という金属の輪を頭に着けられ、お坊さんが呪文を唱えるときつく締まって死ぬほどの苦しみを与えられるので、仕方なく言うことを聞かせられるというエピソードがある。


 フーリエ三姉妹をコントロールしている機械細胞(マシン・セル)とはまさに、この緊箍児(きんこじ)と同等のものと言えよう。

 マルコは、勝った、と思った。もう二度と、彼はこの三姉妹によって(特にステファニーによって)、生命を脅かされることはないのだ。


「あばよ、ステファニー、せいぜいそこで苦しみな」

 マルコはだっと駆け出すと、ふらふらのステファニーの右脇を軽快にすり抜けようとした。

 しかし、すんでのところで彼の襟首はとっ捕まえられてしまった。


「傷つけられないなら、こうするまでさ」

 大きな覚悟を決めたらしいステファニーの切羽詰まった顔が、マルコのすぐ目の前にあった。上気したステファニーは、化粧もしていないのに、その唇は真っ赤だった。

 その真っ赤な唇を、ステファニーはマルコの唇に押し当てた。そして、そのまま舌をぐいぐいとねじ込んだ。傷つける意志がなければ、機械細胞(マシン・セル)に邪魔されることもない。


 暴力を愛に切り替えたステファニーの前に敵はなかった。


 ねじ伏せられたマルコが絶体絶命の危機に陥ったとき、助けに来てくれたのは、三女のマーガレットだった。警察の制服を着た彼女が、キッチンに駆け込んできた。

 彼女は突然、こう叫んだ。

「ねえ姉さんたち、今から遊園地に行こうよ! たった今、警備出動の命令が出たんだ。せっかくだからみんなで行こう!」

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