楽園実験(後編)・3a
二千メートル上空を、第三階層の外殻が通過していく。音速で飛び過ぎる金属の塊に、綿のような雲がまとわりついて、まるで大勢の天使たちが踊っているように見える。
海岸には人がごった返していた。誰もが皆、火照った身体を持て余しているうちに、いつの間にか無意識にここへ足を運んでしまったようだった。
暁しずくが前もって手配しておいた海辺のコテージも、六人が到着する頃にはほとんどが埋まっていた。のんびりする場所を持てない人々は砂浜や道端に溢れ出して、そこで思い思いに座り込んだり寝そべったりしている。
なぜだか誰もが上機嫌で、和気あいあいと笑いが絶えなかった。とても昨日、全太陽系を揺るがすような機械細胞によるシンギュラリティ宣言が行われたとは思えない。悲観的な言葉はどこからも聞こえず、ただただ明るい気分だけが街を覆っていた。クロノ・シティ全体がリゾート地に変貌したかのようだ。
「うちらの建物はあっちでいいの?」
沙織が跳ねるように先頭を進み、海辺のヤシの木陰に建つ小屋を指差した。彼女のレースのスカートが、海風をたっぷり含んでふわふわと舞い上がっている。
しずくがそれに答えた。
「そうだよ。もうすぐ飲み物と食べ物も運んできてくれるから、中でゆっくりしようよ」
しずくは宇宙船技師らしい論理的な要領で、みんなの欲求をさばいてくれている。白いタンクトップとジーンズだけの、しなやかに鍛え抜かれた身体が、海の景色と似合って、とても頼もしく見える。
六人ともがいつしか砂浜に足を踏み入れていた。普通の靴だと中に砂が入るので、みんなはすぐに裸足になり、手に靴をぶら下げた。
通信士の晴香は、何やら辺りをきょろきょろと見回して落ち着かない様子だ。
「あんた、何してんの? その格好だと、見るからに怪しいナンパ師みたいだよ」
沙織が後ろから声を掛けた。
「一般の人たちにいろいろインタビューしてみようかと思って」
晴香は振り返り、アロハシャツとバミューダパンツの裾を風でバタバタさせながらそう言った。「ねえ、翼、広報官として、今のクロノ・シティの様子をしっかり取材しなくていいの?」
急に名指しされた翼は、驚いて顔を上げた。翼は今、スバルと美穂と三人で、クロノ・シティの住人たちの細胞に溶け込んだ機械細胞の話をしているところだった。
「へ? なんか言った?」と翼。
晴香は砂の上でずっこける仕草をしてみせると、サングラスをちょっと下にずらして、後ろ向きで歩きながらこう言った。
「あんた大丈夫? この状況がおかしいとは思わない? どうしてこんなにみんな浮かれてるんだろうって、私はさっきから疑問に思えてしょうがないんだけど」
「私も気にはしているよ」と翼。
「別にいいじゃない、細かいことは」
沙織は楽しそうに笑っている。
それを怪訝な顔で晴香は見つめた。
「ほらね、見るからに変でしょ」と晴香。
「私の顔が変だって言うの?」と、文句を言いつつも、沙織はなおも気分がよさそうだ。
「ちょっといろいろ考えることがありすぎて、うまくまとまらないんだ」
翼は落ち着かなげに頭のお団子をさすった。本当に考えがまとまらないときには無意識にそうしてしまうのが彼女の癖だった。
晴香はそれを見て、ぷっと吹き出した。
「しょうがないなあ、じゃあ、私が代わりにその辺の人にインタビューしてみるよ」
晴香は颯爽と身をひるがえすと、さっそく近くを歩いていた水着姿の老夫婦に声を掛けた。「どうもこんにちは、どちらからお越しですか?」
「あまり失礼にならないようにね」
沙織はそう言うと、老夫婦にぺこりと会釈した。老夫婦も同じくニコニコして、快くインタビューに答えていた。
一方のスバルは不安そうに怯えていた。その少年のような力強い目を伏せて、遠くの海と近くの人混みを交互に見つめている。上に着ていた赤いジャージは、暑くなったので脱いでしまった。汗で濡れた黒いTシャツが、ぴったりと肌に張りついている。
その隣りで、救命医の美穂が姉のように寄り添っている。
「スバルちゃん、大丈夫、大丈夫、ここにいる人たちは、みんな同じだから」
「うん、わかってる」スバルはつぶやくように答えた。
パイロットのスバルは、臆病さと大胆さをバランスよく備えていたから、気分がよくなるような状況が続くと、かえってその向こうに恐ろしい落とし穴があるのではないかと考えるタイプだった。彼女がお手本としている佐藤愛梨紗のような神がかりの無謀さは、スバルのようなタイプの人間には無縁のものに思えた。
やがてコテージに辿り着いた。爽やかな白いペンキで塗られた木造の小屋だ。屋根付きの玄関先にはちゃんと水道が引かれていて、ここで足の砂を洗い流せるようになっている。
「ちゃんとここできれいにしてから入るんだよ」
今回いつの間にか幹事を務めることになってしまった暁しずくが呼び掛けると、みんなは「はーい」と元気に答えた。
コテージの中に入ると、すぐに腰の高さの小上がりになっていた。籐を編んだ敷物が広げてあって、そこに直接寝そべってくつろげるようになっている。
「うひょお、冷たくて気持ちいいや」
そう叫んで真っ先に敷物の上に飛び込んだのは、好奇心では誰にも負けない通信士の晴香だった。
「あんた、取材はもう終わったの?」
二番目に上がった沙織は、呆れたように言った。
「大体、感じはわかったよ」晴香はあっけらかんとしている。
後からどやどやと残りのメンバーが入ってきて、みんなは小上がりの上に座ったり寝転んだり、好きなようにくつろいだ。スバルもおどおどしてはいたものの、気分はみんなと同じくらいに盛り上がっているので、次第に緊張がほぐれてきた。
すぐにウェイター・ロボットが飲み物を運んできた。軽く炭酸の効いたトロピカルな甘いジュースが、洒落たグラスに並々注がれ、さらにはアイスクリームとフルーツがその上に載っている。
喉をカラカラにしていたみんなは、歓声を上げてそれに飛びつくと、あっという間に平らげてしまった。
「どうぞごゆっくり、おくつろぎなされませ」
のっぺりとした無機質なデザインのウェイター・ロボットは、空になったグラスをお盆に載せて去っていった。彼は砂浜でもバランスがとれるよう、華奢な四本の足を巧みに使っていた。
「さて、これからどうする?」
両手を枕にした沙織が、仰向けのままで言った。彼女のお腹が喋るたびに大きく膨らんだりしぼんだりしている。「せっかくこんなところまで来たんだから、いろんなことを体験しなくちゃもったいないじゃない」
あり余るエネルギーが、彼女を落ち着かなくさせていた。それは沙織だけのことではない。ここにいる六人全員はもちろん、ここに集っているクロノ・シティの住人たちみんなが感じていることだった。
「まあ、別にそこまで慌てることないじゃないの」
晴香は呑気にそう言った。彼女はいつの間にか敷物の上にトランプを配り始めていて、そこにみんなが輪を作っていた。
そうして大富豪に興じているうちに、美穂が急にこんなことを言った。
「そうだ、確かにせっかくこんなところまで来たんだから、男の子たちもここに呼ぼうよ」
「人数増やすなら追加料金だよ」と、しずくは言った。
「大丈夫だよ、来た子たちに払わせるから」
美穂には考えがあった。このコテージで、みんなの意見を今のうちにすり合わせておきたいと思ったのだ。「沙織、和馬くんたちに連絡してくれる?」
「オーケー」
沙織は明るく答えると、大はしゃぎで和馬に連絡を取った。実はもっと早い段階から、彼女はそうしたかったのだ。




