031 特命担当大臣
内閣総理大臣官邸にて
「こういうの、得意だよな!」
朝一番に呼び出され、最初に掛けられた言葉がそれである。
差し出された書類には、“特命担当大臣(領土及び国家戦略特別区域)”と記載されていた。
前回の総裁選では目の前の総理の椅子に座る久坂部首相に敗れた岩破 陸は、挨拶の後に机の上に置かれた官記(任命書)を目に追ったが手に取ることはなく、背筋も伸ばしたままだ。人によっては慇懃無礼と受け取られかねないが、余計な言動は取らない謹厳実直が彼の姿勢である。本人曰く、それは自身の臆病さの現れらしい。
総裁選に負けて、報復人事で政務三役から外され、信条で自らの派閥の長の座も降りた。
ゴリゴリのゴリ寄りのマッチョで、角刈りで目つきの悪い男は、その見た目に関わらずに国民からの人気は高い。
日本の制度は直接選挙制ではないので、首相は議員によって選出される。各議員が誰を推したのかも分からず不透明な部分も多いが、国民選出にした場合は、単なる人気投票になってしまう可能性もあるので、それも良し悪しだ。
「特命担当大臣ですか」
その声には喜びはなく平板で、かと言って、前の諍いに我意を張り通そうとしている口調でもない。平生の彼である。
打診――前もって相手に働きかけ、相手の意向を探ること――はなかった。一兵卒となった議員には、その必要なしとの判断だろうか。
「そうだ。今の状況は分かっているだろう?岩破くんの力を貸して欲しい」
岩破は、専門知識が豊富で、取り分け軍事と法務に強い男だ。
久坂部から見れば、経済は弱いし――官僚の言いなりになる可能性が大きい――、外交に不安があり――実直ゆえに国どおしの駆け引きの硬軟を理解していない――、とてもではないが総理の椅子を彼には譲れないという気持ちが強い。
だが、それも平時ならば、の話しである。国の主権が脅かされるような時世時節であるならば、彼のように確固たる信念を持ち、目的に邁進できる性情は、求められる資質であるとも理解している。
要は一番の政敵と認めているのだ。
「……」
岩破も政治家として長いので、さすがに無表情とは行かず微笑を常に浮かべてはいるが、彼の人相でそれをされると幼児は泣くだろう。付き合いが長い久坂部には、岩破の真摯に受け止めている時の所作であると分かっているし、もう慣れた。
「(福島県)田村市に新たに設ける特区と魔王領の空港島における政策の所管、その他にも魔王国との折衝の先駆を担ってもらいたい。
要は彼らとの意思疎通を一元化したい。さもないと我々は押し込まれる」
岩破はそれを久坂部の本音と受け止めた。
日魔和親条約を始まりとした批判に対する盾、捨て駒、人身御供と語句は岩破の脳裏に浮かんできたが、前線は言葉以上に状況が悪いらしい。
久坂部が訥々と話しを続ける。言葉のやり取りはなく、壁に向かって話しているようだが、それを充分に受け止める相手であることは知っている。
彼らが打つ手を検証して討議して施策してと言う猶予を、魔王国は与えてくれない。
作業部会を立ち上げた段階で、次の手が飛んでくる。
持ち帰って検討は、彼らには了承と受け止められてしまう。
その場で返答できる才覚と権限が必要だ。
後々に問題が生じたとしても、全てを丸呑みにさせられるよりは、マシなはずだ。
いや、その状況でも最大限の国益を守らなければならない。
淡々と語る久坂部の言葉を聞き入れると、岩破は静かに答えた。
「わかりました。不肖、岩破、白装束で本件に臨みましょう」
上着を脱ぎ、ネクタイに指を差し弛めた二の腕の白シャツはピタリと肌に張り付き、筋が浮き上がっていた。
久坂部は要所を政敵に委ねなければならないことに、塩を送ることになったのか、塩をすり込むことになったのか、今は首を振りながら前者であれと彼を送り出して、気持ちを切り替えた。
彼が相手取る対象は、魔王たちだけではない。どれもこれも、敵か味方か、黒白がはっきりとしない政の世界で、道を指し示すのが彼の仕事だ。
◆
輸送機から見えた一夜島――魔王国の手により一夜で造られ、日本政府に管理を移譲された島――は溶岩がそのまま固まったような暗褐色の大地に見えた。いかにも、魔王を名乗る者が造りそうな色合いで、潤いや温かみが感じられない。
常磐線の状態に関わらず、東京~相馬間は仙台経由で3時間半の道程だ。その間の車中で資料を読み込むのも有りだが、現状を空から確認したかったのだ。それが自衛隊の輸送機を使った理由だ。
一夜島が国の管理下に有り、当面の敷地利用が自衛隊と海上保安庁になることも決定している。決して、彼の趣味嗜好を優先したのではないと思いたい。
降りて観察すると地表面に緑色が射しているのが分かる。地質学者によると、かんらん石などの輝石が混ざっているとの事で、土建屋によると、北半分は滑走路として既に申し分のない状態らしい。
「それも、そうか」
造成したばかりの土地に何を期待していたのだろうかと想う。先入観に囚われるのは、彼の好みではない。
後々のために地盤調査も行ったが、この周辺は元々が沿岸50km程は水深が25m以浅であり、海底は表層の堆積層を除けば泥岩~砂岩が続く厚く硬い地盤だが、この島の地盤調査でも同じ結果が得られたようだ。
つまり、単純に考えれば、この島は一夜にして隆起したと言う事になる。
バシン、と自身の頬を張る。
任命から準備に費やす時間もなかった。彼は見た目と違って、下準備は入念に行う方だ。但し、総裁選の結果を見ると、根回しは得意では無いようだ。
島を一夜のうちに造成するような術を持つ者たちを、これから相手取って行く事になったことに、岩破は改めて身を引き締める思いがした。いや、そう感じた彼の背中や二の腕を見れば、そのような飾られた言葉は相応しくない。闘志が湧いてきたと表現すべきであろう。
「大臣、いつでも出動可能です」
輸送機C2から降ろされたのは、数台の16式機動戦闘車だ。
岩破が防衛大臣の時に導入に動いていた車両は、現在は各所に配備されつつある。
『戦車ほど強くないかもしれないが、時速100kmで走行できる装輪装甲車が要るだろう』
軍備の規模は小さいままで、かつ、広い日本を守るためには、機動力が必要なのは論理として明解だ。
国土が狭いと自傷する日本人は多いが、例えば50の主権国家がある欧州でも日本の国土面積を超えるのは、3か国だけだ。
勿論、他国領に戦闘車両で訪問するような不躾はしない。自身の身辺警護は警視庁の警護第2係が担当している。
だが、こういう時でないと、配備の手続きが難航するのも経験している。
魔王国に対する挨拶のつもり――赴任した岩破はこういう者だ――はあるが、意味合いとしては未だに不穏当な姿勢を続ける白華国に対する“見せる防衛”の一環でもある。ここは日本国が管理している――主権は魔王国だが――と分からしめる意図が強い。
「幻島と同じ轍は踏まない」
二度と攻撃させてはならんと言う意志を発信した訳だ。
「岩破さん、時間に遅れるよー」
ぴょんぴょんと跳ね上がり、無駄話をするなとばかりに手を振る制服姿の彼女は、倉橋 獅拿と紹介を受けた。自衛官と岩破が醸し出す場の雰囲気にそぐわない声を上げた彼女は、現場に置いてきた友人が気にかかってしようがない様子だ。
制服と言っても学生服だが、線も細く、言動も若く、身を任せるには心許ないが、関 官房長官が警護にと寄こしてくれた特別な人員だ。もう一人の彼女の友人と共に既に現地入りしていて、ここまで出迎えに来てくれたのだ。
入間に向かうために市ヶ谷を発つ岩破を、関がわざわざ見送りに来て、付けてくれた人材だ。無下にも出来ない。
「私と厳波くんが常に補助する心積もりでいることをお忘れなく」
関は気配りだけの人と軽視されることも多いが、それには視野と知見が必要で、なかなかに出来ることではない。
「生つっしーだ、顔怖っ」
初対面の一声がそれだった彼女だが、千歳御所の掌典の家系との事だ。学校を卒業した後は、殿上の長の護衛に付くのだろう。尚、御所に勤める者は、殿上の長以外は身分の多寡はないとする姿勢が一般的だ。外の官職に意味などないのだ。
御所を動かせるのも、並の政治家に出来ることではない。
「(警護係に)銃器は携帯させるが、使わせられない」
後々、我々自身が困ったことになると、魔王国の者に忠告を受けたそうだ。
言わずもがなな事を言ってよこした意図は何か。だが、わざわざ関が警告し、特別な護衛を付けてくれたことに留意する必要がある。
一夜島と乱礁龍尾岬の間の海峡には、魔王国の手により仮設の橋を架けられている。中間の与島を挟んだ2連吊橋は対面通行は可能だが、拡張は必要だろう。橋は仮設のままの仕様で引き続いて使われていくが、現時点では予想できないことだ。
急かされるように“一つ目”関に向かい、円環の水盤を越えた先は、建物内だった。山脈の幅はどこに行った?混乱する。
「つっしー、外したらダメなんだからね」
そうは言っても気になってしようがない。途中に気にすべき所がいくつもあったが、視察に集中できない。
関から先の環境に対する予防として身に着けされた首輪だが、首廻りに指1本分程度の余裕しかない。ちなみに、つっしーは岩破 陸のあだ名として公式に広めている。現役女子高生にも使ってもらえて、ちょっと頬が緩んだ瞬間に「顔怖っ」と引かれた。
「結婚指輪以外の装飾品は慣れてないんだよ」
首輪は9本しか用意できなかったらしく、4人いた警護係の一人がここで外れた。
本日の目的は福島第一原発の跡地の視察である。現在は地盤調査が行われている最中で、その業務を行う技術者二人に放射線取扱主任者が一人ついており、そこに獅拿の友人でもある特別な護衛が残っている。
「地気ヤバす…えっと、やば過ぎるし?」
おじさんに通じる言葉使いに努めようとしていたようだ。
要は大地の精気と言うか、地脈に流れているはずのモノが濃いから、これを着けてないと体調を崩しやすいらしい。千歳御所内と似たような環境にあるそうだ。高山病とか潜水病に似た症状を生じるらしく、慣れることはなく滞在すれば悪化するだけと彼女が真剣な表情で言う。
警護係も同じように首輪を身に着けているが、緑色の勾玉を中央に数珠を麻紐に貫いた代物は背広姿には浮いて見える。石破の作業着姿にも似合っているとは言い難い。
「千歳御所に勤める人たちとは服装が違うからね」
和装には似合いそうだがと、警護係と交わす目配せに諦めが漂う。
「う~ん、確かに、つっしーに合うのは金のチェーンネックレスだよね」
「……」「ぷっ」
それは、似合う似合わない以前に、議員が着けてはダメな物だと思う。それと、感情を表に出すなんて、警護係失格だぞと非難の視線を飛ばす。
警護係の隊長は農林水産大臣だった際にも職務に付いてもらっていた古参で顔見知りだ。本日は秘書も連れてこれなかったので、少しでも信頼のおける者をと願った結果だ。
筆者注)麗緒奈の学生服は、“役割語”のようなもの。現実的には在り得ないだろう。




