挿話 神父夫妻とその娘・前編
※本編から5年前、レアニール13歳(地球年齢で16歳くらい)の時、15話でロバート(グレイヴ)が言っていたリチェロ騒乱の話。前・中・後編の3話構成となります。
当時のレアニール、考えるよりも先に手(どちらかという足)が出るタイプ。物腰は基本的に丁寧なのだけれど今より沸点が遥かに低くて色々と残念(^_^;
大陸中北部に分類されるフィオラーノ連邦最北の街リチェロの夏は短い。メキア帝国との国境に流れるリョウ川の河口、その南岸に1/4にカットされたケーキのように広がる街だ。夏で暑さが増してきたと言っても首都ロザリアなどに比べれば幾分かは涼しい。
その夏の6月2日、街の東にある小高い丘を後背にするエリアに建つウェルフトー新教リチェロ東教会。この冬の嵐で破損した屋根や壁や扉など、ようやく補修が終わったばかりのあばら家然とした、木造の古く小さな教会だった。
その学校の教室の広さにも満たない礼拝堂を神父見習いの赤毛の少女が掃除をしていた。肩に掛かるか掛からないかくらいの長さの赤毛がふんわりと揺れる。彼女が纏った神父見習いの法衣は所々擦り切れ、繰り返しの洗濯で色褪せたそれは本来の水色から限りなく白に近付いている。
「よいしょっと」
少女は素足に履いていた黒革のストラップシューズを脱ぎ揃えると身軽な身のこなしで祭壇へと登る。少女の名はレアニール・ニューロス、この小さな教会を取り仕切る神父夫妻の養女で今年13歳になった。先日夏季休暇に入ったばかりのリチェロ高等学校に通っている。
「よーし、あとは神像で終わりだね」
祭壇の掃除を終えたレアニール、次いでその上に鎮座するウェルフトー神像から丁寧に埃を払うと藁を束ねたもので乾拭きする。銀色に輝くこの神像だけはボロ家な小さな教会の中で、唯一立派な物だった。レアニールの背丈ほどあるその神像はこの教会に対して立派過ぎるとも言えるのだが・・・
レアニールの実家、リチェロ東教会は俗に言うところの貧乏教会だった。神父である養父と神父補である養母は清貧を尊ぶ神官の鑑と近所からは言われている。だからといって子供たちに金銭的な面で不自由をさせているわけではない。高等学校だって希望していたリチェロ高等学校へ行かせてもらえたし、入学の時に新しい制服も買ってもらった。もちろん贅沢をさせてもらっているわけではない。だけれど不満があるわけでもない。
冬の嵐で激しく破損した教会の補修の為に近所の人たちがお金を集め寄進しようとしたのを養父と養母は「あなた方も被害者です」と言って断った。結局、養父と自分で古材を集めて修理したがそれは当然なことだとレアニールは思っている。それに自分で修理した床や扉、そして屋根には愛着も沸いていた。
「ウェルフトー様、失礼しますね・・・ふーん♪ふふーん♪」
銀色の神像は磨けば磨くだけ輝きを増す気がする。知らずの内に彼女は機嫌良く鼻歌混じりになっていた。
バンッ(ボキッ)!
「た、大変だー!」
レアニールのご機嫌タイムは突然、そして即終了した。勢いよく教会に飛び込んできたのは近所で辻馬車の御者をしているハインツだった。彼が勢いよく飛び込んできたおかげで折角レアニールが修理した玄関の扉、その蝶番が折れた。
「・・・」
先ほどまでの上機嫌が吹き飛びレアニールは無表情になる。そして祭壇から無言かつ無音で飛び降りると裸足のままハインツへと駆け込み彼の直前でジャンプした。
「テ、テンプル一家と、ぐふぉっ!?」
ハインツが何か言おうとしていたがレアニールは聞いていなかった。彼の胸元へ向けて彼女は助走距離5メートルの飛び蹴りを喰らわせていた。
「何度言ったら分かるの!?扉は静かに開けてよっ!」
蹴り飛ばされたハインツ、その衝撃で蝶番が壊れていた扉はそこから完全に外れバタンと倒れた。
「何すんだよ!?いきなり蹴ることねぇだろ!」
「うっさい!私が苦労して直した扉に謝れ!・・・って、ああっ!?」
その時両開きの扉、残ったもう片方も倒れた。プルプルと震えながら真赤になっていくレアニール。顔を上げた彼女はキッとハインツを睨む。
「ま、待て!話せば分かる」
尻餅を付いたまま両手をバタバタと振り後ずさるハインツ、ジリジリと迫るレアニール。
その時レアニールの養父であるニコラ・ニューロス神父が、扉が無くなった玄関から帰ってきた。
「ただいま。これは・・一体何の騒ぎだね?」
そう尋ねつつも倒れた扉、尻餅を付いているハインツ、そして真赤になって怒り心頭のレアニールを見て・・・何が有ったかは大体察した。
「あ、神父様。嬢ちゃんに言ってくださいよ、すぐに蹴るのは止めろって」
ハインツが縋るような目で言ってくる。ニコラは微苦笑を浮かべ頷くとレアニールへとその表情のまま視線を向けた。
「レア、お前は自分に付けられたその名の由来を一つ増やす事を望むのか?飛び蹴り神官レアニールにちなんだ名前、というものを」
レアニールという名前はそれほど珍しい名前ではなかった。ウェルフトー神話に登場する女神レアにちなんだ名前であり、フィオラーノ連邦の前身であるロザリア法国最後の女法王の名前でもあった。高等学校に通うレアニールの学年には他に2人ほど同じ名前の子がいる。レアニールの名前はそのどちらか、または他の由来であったか定かではない。生後間もない頃にニューロス神父夫妻に引き取られた彼女、その時既に名が付けられていたがその由来は不明であったのだ。
「お父様、さすがにそれは誰も有り難がらないと思います・・・」
「うむ、ならば控えなさい」
「はい・・・」
親子の会話を聞いていたハインツは止めなさいとは言わないんだと天を仰ぐ。おお偉大なるウェルフトー神よ、それでいいのですか?・・・と。
「ところでハインツ、何か用が有ったのではないかな?」
「おおっと、そうだった。テンプル一家とゴランド一家がヤバい事になってるんだ!」
それを聞いてレアニールは一度収めた怒りが再度湧き上がる。
「もう知ってたわよ・・・お父様とお母様が様子を見に行ってたところ・・・私の扉・・・っ!」
「え?いや、あれ?・・・失礼しましたー!」
「こら逃げんな!待てっ!」
逃げ出したハインツを追おうと玄関を飛び出したレアニールの襟首を、その陰から伸びてきた腕が捕まえた。
「ぐえっ!?」
首が締まり繕いだらけの法衣がミシっといったような気がした・・・と思ったらレアニールは玄関前の地面に引き倒されていた。
容赦なくレアニールを引き倒したのは養母、エレナ・ニューロスだった。慈悲深き神像のような眼差しでレアニールを見下ろすエレナ。
「レア、裸足で外に出ては駄目でしょ」
「は、はい・・・ごめんなさい」
レアニールは大人しくエレナへ謝る。常に慈悲深き神像のような微笑みをたたえるエレナだったが、彼女の恐ろしいところはその顔を崩さないまま怒るところだった。もちろんレアニールやニコラ、今は少年団の林間学校へ行っている妹と弟には機嫌が悪い時の違いは区別できた。
今は間違いなく怒っている・・・と。
立ち上がったレアニールはそそくさと祭壇へと行き靴を履いて戻って来た。
「お父様、お母様、それでどうでしたか?」
倒れた扉を起こし完全に壊れた蝶番を見て駄目だこりゃと首を振っていたニコラはレアニールとエレナに壁際のベンチに座るよう促した。ニコラとエレナは教会から歩いて5分ほどの場所にあるテンプル一家ことテンプル水運、その近くにあるゴランド一家ことゴランド運送へ様子を見に行っていたのだった。
「一触即発、といった具合だったな」
「あなた、それは要約し過ぎというものですよ。リョウ川河岸の船着き場、両社が共用で使っている所ね。そこに掛かる橋の改修工事で船着き場が縮小されるから使用権利を巡って争いが起きたのよ。今まで4つ桟橋が有ったのが3つに減らされる、両社が2つずつ使っていたのだから揉めているわね」
ニコラに次いでエレナが丁寧に説明する。その声音は女神像の見た目どおりのものだった。
「役所とか・・・誰か仲裁したりしないのですか?」
「しないわよ。あくまでも当事者同士で話し合えってスタンス。自分たちの事業が主たる原因の一つなのにね」
レアニールの問いに答えるエレナ。先ほどと変わらない口調に聞こえるがレアニールとニコラにはそこに少しの怒気が混ざっていることに気付いた。
「その船着き場、そこまで使用頻度が高いものなのですか?」
「高いわよ。特に最近は・・・ほら、うちも壊れた冬の嵐があったでしょう?あれでリョウ川沿いの街道が何か所も寸断されていて復旧には年単位での時間が掛かるから船での輸送量が増えているわけね」
レアニールはエレナの地雷を、それが何処だか全く分からなかったが踏まないよう気を付け・・・いや、踏まないよう祈りながら質問を続けていた。エレナの声音は先ほどと殆ど変わらない。
「ああ、なるほど」
だったら橋の工事は後回しにして街道の復旧を行えば良いのにとレアニールは思った。でもそれが出来ないのがお役所だもんね、やだやだ・・・と。その時の彼女はよもや自分がお役所仕事の片棒を将来担ぐとは思ってもいなかった。
「それで両社で交渉・・・と相成ったのだけれどね。両社の主張は平行線、現在テンプル水運さんの前で睨み合いの真っ最中。お父様が言ったとおり一触即発ね」
エレナの口調が元に戻った事にレアニールは地雷は役所だったと気が付いた。
「でもさすがに暴力沙汰にはなりませんよね?」
レアニールは気楽な調子で言う。どちらもいい大人なのだからそんな馬鹿な事をするわけがない、と。
その時だった。勢いよく教会の玄関に再びハインツが駆け込んで来た。
「神父さん、大変だ!」
ボキっ。
玄関の辺りの床板が折れた音がした。そこもレアニールが修理した場所だった。
「・・・」
無言で立ち上がりハインツを睨み付けるとレアニールはそこへ駆け出そうとして・・・
「ぐぇっ!?」
ビリッ。
再びエレナに襟首を捕まれ床に引き倒された。今度こそ法衣の首元が破れた。
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母、容赦ない。。。
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