同じ釜の飯、一つ屋根の下
ん……「」
「よお、やっと起きたか、寝すぎだぞ」
「あれ、ボク……」
メイリンは自分の右脚を見下ろした。形はいびつだが包帯が巻いてある。つい先ほどまであれだけ激しく痛んでいたのに不思議と痛くない。
「あ、脚はあんまり動かすなよ、今は痛み止めが効いてるだけだから」
メイリンは自分の頭の上から聞こえる声に無意識にうなずいた。
「……え?」
頭の上、という単語でやっとメイリンの眠りかけていた脳が覚醒した。改めて自分の周囲を見渡してみる。自分が座っているのは今まで見たことのないコックピットの、シートの上、もっと言うとシートに座っているカントの膝の上だ。
「え、ボクずっとここで寝てた?」
カントは頷いた。
「……その……大丈夫だった?」
「何が?」
「それは……その……臭いとか」
「ああ、心配すんな、メイリンのとてもいい匂いがしたよ」
カントは冗談交じりに言った。するとメイリンは顔をリンゴやトマト顔負けに真っ赤にしてシートから降りようと手足をばたつかせた。
「おい、バカ、危ねえから暴れんな!」
エルシオンのコックピットにはかなり空間にゆとりがある。カントは乗ったことが無いがエイラに言わせるとアルゴンの倍はあるらしい。
だが人を1人寝かせておくだけのスペースはない。そもそも2人乗るように設計されていないのだ。シートのリクライニング機能はるがそれをすると操縦ができない。
といった理由でカントは仕方なくメイリンを自分の膝に乗せていたのだ。と、いったことをメイリンに説明するとメイリンはやっと大人しくなった。
「まあ、その怪我については俺も悪かったよ、ごめん」
「いいよ別に。ボクがヘマしただけだし。それにこれ巻いてくれたのカントでしょ?」
メイリンはいびつに巻かれた包帯を見下ろす。
「まあな、でも見ての通りの出来だしな、ミサキだったらもっと上手いんだろうけど……」
ミサキはスクールの応急手当ではトップの成績だった。小さい頃良く切り傷やすり傷を作ってはミサキに手当てしてもらっていた。
「ミサキ……さん、っていうのはお友達?それとも……」
彼女?と聞こうとしてメイリンは言葉が出なかった。なぜなのかはわからないがそう言おうとすると口がもつれて言葉が出なかったからだ。
「いや?家族……妹みたいな奴かな」
ほんの数日前までは楽しくスクールに通っていたのに思い出すとそんな日々がもう遠い昔のことのように感じる。
「じゃあ……そんな人をがいるのにどうしてカントはルミナスアートに乗って戦ってるの?」
「それは……」
カントは話した。なぜカントがLAに乗っているのか、地球へ降りたのか……メイリンはまるで遠い国のおとぎ話を聞いているかのようにカントの話に聞き入っていた。
「……そっか、カントはミサキさんを助けるために……まるでお姫様を迎えに行く王子様みたいだね」
「ま、その王子様はしがない借金まみれの雇われパイロットだけどな」
カントはそう言って苦笑した。そしてなんとしても宇宙へ帰らなければならない。そう強く心に刻みつけた。
「カントはそんな目的があったんだね……ボク達とは大違いだ」
「何が違うんだよ、お前達にだって戦う理由くらいあるだろ?」
「ボク達は戦わなければ生きていけないから戦ってるだけだよ、元々ボク達は宇宙からも地球からも見放された『いないもの』だからね」
「それって……」
行き場を失った人々にさらに追い討ちをかけたのはコロニーの外殻部分の80%を占めるセルゲイン合金の熱化学反応により生まれたΩⅡ放射線だ。
これが被害地域一帯にばらまかれた。これによりユーラシア大陸の半分以上とアフリカ大陸の約半分の地域は政府により立ち入り禁止区域となり、出入りを厳しく禁じた。
しかしあまりの被害地域の大きさに規制の整備が間に合わず、焦土ですらない故郷を一目見ようとやってきた人々も少なくなかった。
「じゃあお前たちはその時戻ってしまった人達の……」
「そ。私のお父さんとお母さんもその1人。でもね、その後の政府の対応がボク達を『いないもの』にしたんだ」
当時ΩⅡ放射線の研究がまだ進んでいなかったのも手伝い、ΩⅡ放射線を浴びた人間は地球で住むことを禁じられた。さらにコロニーでも閉鎖空間中で何か伝染病でも起きたら取り返しがつかない、ということで受け入れを拒否。
結果政府は禁止区域に入ったものは『いなかった』と発表した。結果、メイリンの両親達はこの死の大地に追いやられた、というわけだ。
「ごめんね、嫌な話をしたね」
メイリンは俯き加減に言った。
「別に。俺も気にならないかって言ったら嘘だし。メイリンから話してくれて助かったよ」
カントはわざと明るい調子を出していった。
「ともかく今はこれからのことを考えよう。なんとかしてトレーラーと合流しないと」
そう。目下の最優先事項はトレーラーと合流すること。できなければカントはソディアと連絡が取れないし、メイリンは仲間に会うことができない。
「とりあえずあん時のトレーラーの進行方向にまっすぐ進んでるんだがこの方向で合ってるんだか……」
「多分合ってる。基本障害物も何もない土地だからね、距離を稼ぐために回り道なんてしない。その上プラヴァスティの基地の近くだからね、なおさらそう」
そのメイリンの言葉を信じて進み続ける。砂嵐で視界が悪い上にレーダー類も使えない。エルシオンはエネルギーの供給無しで動き回ることができるがカントたちはそうもいかない。腹が減れば動けなくなり、水が無ければ死んでしまう。エルシオンに備蓄している食料と水は7日分、つまり2人で3日と少しというわけだ。
「ごめん。これカントのなのに……」
「何言ってんだ、お前も俺に水、くれただろ?いいから食えよ、体がもたないぞ?」
そう言ってカントはビスケットフレーバーにかぶりついた。これ1本で半日分のカロリーを賄うことができる。栄養面重視なので味はお世辞にもいいとは言えないがこの際贅沢は言っていられない。と、その時だった。
「何だ?」
エルシオンのメインカメラに水滴がついた。それは最初は1粒、1粒と落ちてくるだけだったがすぐに数えられなくなるほど大量に降り注ぎ、モニターが更に見えなくなるほどにまでなった。
「な、何だ?空から水が……」
「雨、知らないの?」
当たり前だがコロニーに雨は降らない。雨、という単語とそういうものが地球にはある、ということは知っていたがいざ目の当たりにするとカントには信じがたい光景だった。
「大体月に1、2度こんな大雨が降るんだよ」
普段はあまり表情を変えないメイリンだがこの時ばかりはカントにも見て取れるほど興奮していた。
「よくわからんが雨ってのはそんなに嬉しいものなのか?」
少なくとも現在のカントにとってはただでさえ悪い視界が更に悪くなる、外に出れば濡れる、とはた迷惑にしか感じないのだが。
「うん。他ではどうか知らないけどここで水の供給手段て言ったらこの雨くらいしかないからね、それに雨が降った後は砂の粒が水を含んで重くなって砂嵐が止むんだよ」
「そうか……」
砂嵐が止めばトレーラー探しも大分しやすくなる、とカントは思ったが幸運にもその必要は無くなった。
「カント、下」
メイリンの声につられて下を見るとエルシオンのすぐ足下に見覚えのある白いトレーラーが見えた。
「もう追いついてたのか……」
カントはハッチを開けてメイリンと共にトレーラーへ入った。
「二人とも無事じゃったか……」
トレーラーの人々は口々にメイリンの帰還を喜んだ。メイリンも久々に見る笑顔でそれに答えている。そんな中でカントは疎外感を感じずにはいられなかった。考えてみれば会って1日も経っていないカントとメイリンでは比べるべくもないのかもしれないが。
カントがトレーラーを出ようと扉に手をかけると後ろから声がした。
「おい、ちょっと待てよ」
確か長老にライナと呼ばれていた青年だ。相変わらずあからさまな敵意をカントに向けてくる。
「メイリンは向こうで何もされていないだろうな」
「多分な」
長い操縦の疲労と居づらい空気も相まってめんどくさそうに答える。カントとしては冗談半分だったのだがライナはカントの首元をつかんで扉に叩きつけた。
「お前がついていながらメイリンに何かあったら俺はお前をゆるさねぇぞ!」
喜びに浸っていた人々がライナの怒号で一瞬にして静まり返る。全員の視線がカントと、そしてライナに向けられていた。
「やめて。ボクは何もされてない。カントはボクを守ってここまで連れてきてくれたんだよ、あなたにカントを責める権利があるの?」
ライナは未だ納得のいかない顔をしていたがそれでもカントを離し、肩をいからせて自室へ戻っていった。
「すまんのぉ、メイリンを連れ戻してくれたことにはわしが代表して礼を言おう」
「別にいいよ、メイリンがいなけりゃ脱出なんて不可能だったし」
それだけ言うとカントはエルシオンに戻り、座席を倒した。思い返せばここ数日ろくに眠っていなかった。その瞬間、眠気がどっと押し寄せてきてカントは今までで1番ぐっすりと眠った。
翌日には今までの砂嵐と昨日の土砂降りがまるで嘘のように綺麗な青空が一面に広がっていた。つい興奮したカントはエルシオンの肩の上まで登って空を仰ぎ見る。
「これが……空か……」
地上から見る地球降下時に見たものとはまた違う感動があった。メイリンの言った通り砂嵐が止んだお陰で大地のはるか遠く、それこそ遥か地平線まで見ることができた。
「あ、でも地平線までの距離って以外と近いんだったな」
そもそもコロニーに住んでいて地球の地平線までの距離なんて勉強して何の役に立つんだ、と思っていたがまさか本当に地球に来て地平線を眺めることになるとは当時思いもしなかった。
一通り空を眺め終わると今度はコックピットに戻った。一応確かめておきたいことがあったのだ。
「センサーは使えるようになってるか?」
[否定。依然センサー類の使用は不可]
結局エルシオンの回答は悪い方でカントの予想通りだった。これだけ広く見渡せるのだからあるいは、とカントは思ったのだが。
「またあいつら攻めてくるよな……」
[肯定。そうなった場合当機の現武装では苦戦を強いられるかと]
「だよな……」
盾とブラスターを1度に失ったためエルシオンの残る武装はバルカン砲とビームブレード2本のみ。これでは幾分心もとない。
「まあ敵がビームを使えないだけまだマシか」
今から色々考えてもしょうがない、と半ば投げやり気味に結論を出したカントは砂嵐の無い大地を散歩してみることにした。地面に降りてみるとあちこちに水たまりができており、泥すら無い土地であることが幸いして水はそれなりに透き通っていた。
「うわっ!」
突然風が吹くと同時に白い布がカントの顔に直撃した。
「大丈夫?、洗濯はこんな時しかできないからね」
布の間から中年の女性が顔を出した。辺りを見回すと確かにそこら中に干してある布が風にはためいていた。
「アデルはどこに?」
「今はメイリンと一緒に水浴びをしてると思うけど」
と言ってエルシオンとは逆方向を指差した。特にすることも無いのでおそらくメイリンの次に打ち解けている(とカントは思いたい)アデルと遊ぼうとその方向へ歩き出した。
途中、長老やライナ達の言い争う声が聞こえたがどうせカントが聞いても面白くない話だろう、と考えて敢えて聞き耳をたてることはしなかった。
トレーラーの陰からメイリンとアデルの楽しそうな嬌声が聞こえてくる。カントが混ざろうと陰から顔を出そうとした瞬間、素っ裸のアデルが走ってきた。これもまだ幼いから許される行為なんだなとどうでもいいことをカントが思っていると、
「ちょっとアデル、待って」
アデルを追って今度は短く切った髪から水滴を滴らせたメイリンが飛び出てきた。
裸ではないと言ってもぴったりしたショートパンツにタンクトップと極めてラフな格好。その上水で濡れているため所々肌色に透けている箇所があった。そして何より重要なのがメイリンはアデルよりもずっと年上だということ。そしてここまでくればカントもさすがにメイリンの性別に気づく、ということ。
「……見た?」
事の重大さに気づいたカントは慌てて目を閉じたが濡れた肌色の光景はしっかりと脳裏に焼きついていた。
「……気にするな、まだ成長期だろ?可能性はある」
嘘を吐くのも不誠実だと思い、咄嗟に口から出まかせを言う。しかしこれが運悪く地雷を踏んでしまったようだ。無言のまま鳩尾に拳がめり込む。目を閉じていたカントは心の準備も何もないまま鳩尾の衝撃に身悶えした。
「やーい怒られてる!」
もうこれは怒られるというよりはただの暴力だとカントは思った。それも理不尽な。しかしそれを言うだけの気力すら奪い去るパワーがメイリンのパンチには込められていた。
「……知らない」