後日談 我が家の娘には、あの子くらいがちょうどいい
ナターシャとレオンが王都へ戻ってきた、その日の夜。
ヴァレンティア家の食卓には、いつも以上に豪華な料理が並んでいた。
大皿いっぱいの肉料理。
山盛りの野菜。
焼きたてのパン。
そして、なぜか普段の倍近い量のスープ。
長い食卓を囲んでいるのは、ヴァレンティア家の家族だけ。
肝心のナターシャとレオンの姿はない。
二人は今頃、王都の宿舎で休んでいることだろう。
つまり――。
ここから先は、家族だけの時間である。
「……さて」
最初に口を開いたのは、元総騎士団長にしてヴァレンティア家当主、グレイヴだった。
腕を組み、難しい顔をしている。
「ナターシャが、幸せそうで何よりだな」
「ええ」
穏やかに微笑むのは妻のエレノア。
「本当に、良かったです」
「うむ」
長男アルドも静かに頷く。
次男ディーンはというと――。
「いやぁ……まさか、あのナターシャがなぁ」
感慨深そうに酒を飲んでいた。
「昔は剣を振ってばかりだった妹が、まさか男の人と手を繋いで歩くようになるとは」
「しかも、あのレオンだぞ」
グレイヴが言う。
「最初に我が家へ来たときなど、私を見て固まっていたではないか」
「そりゃ父上が怖すぎるんですよ」
「何を言う! 普通だろう!」
「どこがですか」
アルドが淡々と突っ込む。
「父上、身長が二メートル近くありますよ」
「鍛えているだけだ!」
「筋肉が多すぎるんです」
「筋肉は裏切らん!」
「そこは昔から変わりませんね」
エレノアがくすりと笑う。
そんな家族のやり取りを眺めながら、ディーンはふと思い出したように言った。
「そういえばさ」
「なんだ?」
「エドガルドの件」
その名前が出た瞬間。
食卓の空気が、ほんの少しだけ変わった。
「……ああ」
グレイヴの顔が、わずかに険しくなる。
「彼には悪いが――」
「悪いと思ってませんよね、父上」
「当然だ」
即答だった。
「そもそも、私は最初から思っていた」
「何を?」
アルドが尋ねる。
グレイヴは腕を組んだまま、堂々と言い切った。
「――エドガルドには、ナターシャは勿体なさすぎる」
「……私も同意見です」
アルドが頷いた。
「私も」
ディーンも手を挙げる。
「私もですよ」
エレノアまで微笑みながら同意した。
「お前たち……」
グレイヴが感動したように家族を見回す。
「やはり我が家は心が一つだな!」
「そこだけは否定しません」
アルドが淡々と返した。
◇◇◇
そもそも。
エドガルドとの見合い話が持ち上がったとき。
ヴァレンティア家の誰一人として、心の底から「これは素晴らしい縁談だ」とは思っていなかった。
もちろん、家柄は申し分なかった。
身分も釣り合っている。
礼儀作法も問題ない。
外から見れば、良縁だった。
だからこそ――。
「お父様」
当時、ナターシャが少し困った顔で尋ねた。
「どうして、私がお見合いを?」
「いや、まあ……」
グレイヴは言葉を濁した。
本当のところを言えば、娘に幸せな家庭を築いてほしかったのだ。
しかし。
娘の人生を、親の勝手な都合で決めるつもりはなかった。
「ナターシャが望むなら、だ」
そう答えた。
「嫌なら断っていい」
「……はい」
ナターシャは小さく頷いた。
だから家族は見守った。
本人が望むなら応援しよう。
そう思っていた。
――だが。
実際に顔を合わせたエドガルドの第一印象は。
あまり良くなかった。
「騎士団長……ですか」
エドガルドは、ナターシャを見ながらそう言った。
「ええ」
「女性なのに、随分と勇ましいですね」
その言葉に、アルドは眉をひそめた。
ディーンも無言になった。
グレイヴなど、握っていたティーカップを握り潰しそうになっていた。
エレノアだけが、にこにこと微笑んでいた。
――笑っている。
だが。
家族は知っている。
母が本当に怒っているときほど、笑顔になることを。
「騎士団を辞めるつもりはありません」
ナターシャがきっぱり答える。
「そうですか」
エドガルドは少し困ったように笑った。
「結婚後は、家庭を優先していただきたいのですが」
「私は騎士です」
「ですが、女性でしょう?」
その瞬間。
ディーンは心の中で叫んでいた。
――帰れ。
アルドは。
――妹に近づくな。
グレイヴは。
――筋肉で語り合うか?
そしてエレノアは。
――この人ではないですね。
と、静かに結論を出していた。
それでも。
ナターシャ本人が決めることだ。
だから誰も口を出さなかった。
ただ――。
あの言葉だけは、今でも家族全員が覚えている。
『あなたは、少し可愛げがありませんね』
ナターシャは笑っていた。
何でもないような顔をして。
けれど。
家に帰ってきた彼女が、誰もいないところで小さく俯いていたことを。
家族は知っていた。
◇◇◇
「……本当に」
エレノアが静かに口を開く。
「ナターシャは、ずっと頑張ってきましたね」
「うむ」
グレイヴが頷く。
「小さい頃から、誰よりも努力していた」
「転んでも泣かなかったな」
ディーンが笑う。
「泣いても、すぐに剣を握ってました」
アルドも思い出す。
「昔から、自分より他人を優先する子でした」
エレノアの声が少しだけ柔らかくなる。
「だからこそ……私は心配だったのです」
「何がだ?」
「自分一人で全部背負ってしまうことです」
誰も反論しなかった。
ナターシャは強かった。
誰よりも強くなろうとしていた。
弱音を吐かない。
人に頼らない。
自分が傷ついても、他人を守る。
それが彼女の生き方だった。
そんな娘を見て。
家族はずっと思っていた。
――いつか、この子の隣に立ってくれる人が現れてほしい。
支えるのではない。
守るだけでもない。
ナターシャと同じ目線で歩いてくれる人。
強い彼女だけではなく。
弱いところも。
泣いているところも。
笑っているところも。
全部ひっくるめて愛してくれる人。
「……それが、レオンだったんですね」
エレノアが微笑む。
「ええ」
グレイヴも頷く。
「最初は、あんなに騒がしい奴だとは思わなかったがな!」
「父上」
「なんだ?」
「褒めていますか?」
「もちろんだ!」
「分かりにくいですね」
「だが、あいつはいい」
グレイヴの表情が、父親らしいものに変わる。
「ナターシャが落ち込んでいるとき、逃げなかった」
「……そうですね」
「ナターシャが泣いているときも、何も言わずに隣にいた」
ディーンが笑う。
「それだけじゃないですよ」
「何だ?」
「団長は可愛いです、って何度も言ってましたよ」
「そうだったな」
アルドが思い出す。
「最初はナターシャも困っていましたが……」
「最近では、言われるたびに耳が赤くなる」
エレノアが楽しそうに笑った。
「母上……」
アルドが少し困った顔をする。
「それは、見なかったことにしてあげたほうが……」
「もちろんですよ」
にっこり。
「でも、可愛いですよね」
「……まあ」
「……認めざるを得ませんね」
「兄としても嬉しい」
ディーンが笑う。
「昔、可愛いって言われたくてこっそり髪飾りを見てたナターシャが、今じゃレオンに毎日可愛いって言われてるんだからな」
「……知っていたのか?」
グレイヴが驚く。
「当然ですよ」
「私は知らなかった……」
「父上は筋肉しか見てませんから」
「何だと!?」
◇◇◇
しばらくして。
ディーンがふと、真面目な顔になった。
「でもさ」
「ん?」
「エドガルドとの縁談が駄目になったとき、正直ちょっと安心したんだよな」
「私もです」
アルドが頷く。
「俺も」
グレイヴも即答する。
「あなたは、あからさまでしたけどね」
エレノアが笑う。
「『筋肉は裏切らないぞ!』って何度も言ってましたから」
「他に何と言えばいい!」
「普通に『お前は悪くない』でいいと思います」
「……なるほど」
グレイヴは真剣に考えた。
「では次からそうする」
「もう次はありませんよ」
「そうだったな」
家族全員が笑った。
そして。
エレノアが静かに窓の外を見る。
夜空には、星が瞬いていた。
「レオンくんなら……ナターシャを任せられますね」
「うむ」
グレイヴが力強く頷く。
「いや、任せるというより――」
ディーンが笑う。
「二人なら、きっと互いに支え合えるんじゃないか?」
「そうですね」
アルドも頷いた。
「レオンはナターシャを守ろうとする。しかし、ナターシャもまたレオンを守るでしょう」
「二人とも騎士ですからね」
エレノアが微笑む。
「どちらか一方だけが守るのではなく、一緒に歩いていける。それが二人には一番合っているのでしょう」
「……いいな」
グレイヴが目を細める。
「我が娘が、ようやく自分らしく笑えるようになった」
その言葉に。
家族は皆、静かに頷いた。
◇◇◇
「ところで父上」
突然、アルドが口を開く。
「なんだ?」
「レオンくんが婿入りしたら、どうします?」
「何を?」
「鍛錬です」
「当然、一緒にする!」
「やっぱり……」
ディーンが頭を抱える。
「新婚早々、レオンくんを筋肉地獄に連れていくつもりですか?」
「家族になるのだぞ!」
「だからって!」
「筋肉は裏切らん!」
「それしかないんですか!」
「あります!」
エレノアが笑顔で手を挙げた。
「レオンくんには、まずお茶を淹れてあげましょう」
「母上、優しい……!」
「その後、私と一緒に魔法の基礎訓練をしましょうか」
「結局鍛えるんですね!?」
ディーンの叫びが屋敷中に響いた。
◇◇◇
そんな家族の会話を。
ナターシャとレオンは、もちろん知らない。
翌朝。
ヴァレンティア家を訪れた二人を見て、家族はいつも通りに迎えた。
「おはようございます」
ナターシャが頭を下げる。
「おはようございます!」
その隣でレオンが元気よく挨拶する。
「おお、レオン!」
グレイヴが笑顔で迎える。
「よく来たな!」
「はい!」
「今日も元気そうだな!」
「元気だけが取り柄なので!」
「いい返事だ!」
「ありがとうございます!」
「褒めている!」
「はい!」
「……本当に、あの子は面白いですね」
エレノアが微笑む。
ナターシャが不思議そうに家族を見る。
「……何かありましたか?」
「何でもない」
アルドが答える。
「そうそう」
ディーンも笑う。
「二人とも、幸せそうだなって思っただけ」
「……っ」
ナターシャの頬が赤くなる。
「そ、そういうことを……」
「団長、顔赤いですよ?」
レオンが無邪気に覗き込む。
「レオン!」
「はい!」
「少し黙っていなさい!」
「はい!」
「……でも、可愛いです」
「……っ!」
ナターシャの耳まで赤くなった。
家族全員が顔を見合わせる。
そして――。
誰からともなく、笑顔になった。
もう心配はいらない。
あの頃。
「可愛げがない」と言われて傷ついていた娘は、もういない。
強いだけではない。
誰かを好きになり。
誰かに好きになってもらい。
誰かに頼り。
誰かと笑い合う。
そんな幸せを、ナターシャは手に入れた。
「……本当に」
エレノアが小さく呟く。
「幸せそうで、何よりです」
「うむ!」
グレイヴが胸を張る。
「我が娘には、レオンくらいがちょうどいい!」
「父上、レオンくんに聞こえますよ」
「構わん!」
「聞こえてます!」
レオンが元気よく返事をした。
「俺、ナターシャさんを絶対に幸せにします!」
「……レオン」
ナターシャが驚いたように彼を見る。
そして。
ほんの少しだけ照れながら。
彼の手を握った。
「……私も、あなたと幸せになりたいわ」
「はい!」
満面の笑み。
その笑顔を見て。
ヴァレンティア家の家族は、誰もが思った。
――ああ。
この二人なら、大丈夫だ。
エドガルドとの見合いは、確かに失敗だった。
けれど。
その先で。
ナターシャは、最高の理解者と出会った。
ならば。
あの失敗にも、きっと意味はあったのだろう。
「二人とも」
エレノアが優しく微笑む。
「末永く、お幸せに」
「はい!」
「……はい」
二人の声が重なった。
窓の外では、春の風が吹いていた。
そして今日も。
ヴァレンティア家には、明るい笑い声が響いている。
――筋肉は裏切らない。
――そして。
家族の愛も、決して裏切らない。
**――後日談・完。**




