第1話 私は「可愛い」とは無縁の女
私の生まれたヴァレンティア家は、王国でも有数の武門の家系だった。
屋敷の大広間には、代々の当主たちが使った剣や盾、戦功を称える勲章が飾られている。
父、グレイヴ・ヴァレンティアもまた、その歴史に名を刻んだ一人だった。
身長は二メートル近く。
分厚い肩。
鍛え抜かれた腕。
短く切りそろえた黒髪には白髪が混じり、立派な髭を蓄えたその姿は、初めて会った者なら騎士ではなく魔物と間違えてもおかしくない。
何しろ父は、元・総騎士団長。
かつて王国を襲った魔物の群れから城門を守るため、崩れかけた巨大な門を自らの身体で支え続け、兵士たちが避難を終えるまで一歩も退かなかったという逸話まである。
そんな父を、私は幼い頃からずっと尊敬していた。
「ナターシャ! 今日も元気か!」
「はい、お父様!」
「そうか! 元気なら腕立て伏せだ!」
「……五歳児に腕立て伏せをさせないでくださいな」
母のエレノアが、いつもの穏やかな笑顔で父を止める。
母は魔法使いの家系の出身で、かつては魔法剣士として戦場を駆けていた。
普段はとても優しい。
ただし、怒らせると怖い。
雷属性の魔法剣を振るう母を知る者たちは、皆そろってこう言う。
――エレノア様だけは怒らせるな。
私には二人の兄もいた。
長兄アルドは王国騎士団第一騎士団の副団長。
次兄ディーンは魔物討伐部隊の隊長。
二人とも父譲りの体格と剣の腕を持っていた。
我が家の家訓は――。
「筋肉一筋!」
父が拳を突き上げる。
「筋肉は裏切らないぞ!」
兄たちも続く。
幼い私は、その言葉を疑いもしなかった。
強くなれば、大切な人を守れる。
父も兄たちも、強いからこそ誰かを守っている。
だから私も、強くなりたかった。
「私も騎士になります!」
そう宣言した五歳の私に、父は目を輝かせた。
「よし! まずは腕立て伏せ百回だ!」
「お父様」
「……はい」
「ナターシャはまだ五歳です」
「……はい」
母の笑顔に、父は素直に引き下がった。
それでも私は、少しずつ剣を握るようになった。
最初は木剣だった。
何度も転んだ。
手には豆ができた。
擦り傷も増えた。
それでも、泣いている暇があるならもう一度剣を振った。
「ナターシャ、無理をするな」
兄のディーンが言った。
「でも……強くなりたいの」
「そうか」
ディーンは笑った。
「だったら覚えておけ。怖くなっても、大切なものを守るために一歩踏み出せる奴が、本当に強い奴だ」
その言葉は、今でも私の胸に残っている。
やがて私は騎士を目指すようになった。
けれど、女であることを理由に馬鹿にされることもあった。
「女に騎士なんて務まるのか?」
「ヴァレンティア家の娘だからって、騎士になれると思っているんじゃないか?」
悔しかった。
だから、努力した。
誰よりも早く訓練場へ行き。
誰よりも遅くまで剣を振った。
そして、誰にも負けない実力を身につけた。
騎士となり、戦場を経験し、やがて第三騎士団の団長に任命された。
私はいつしか――。
**「氷刃のナターシャ」**
そう呼ばれるようになっていた。
銀色の長い髪。
青い瞳。
冷静沈着な判断。
一撃で敵を制する細身の剣。
「美しいな」
「格好いい」
「さすが氷刃のナターシャだ」
そんな言葉なら、何度も聞いた。
けれど。
「可愛い」
その言葉だけは、ほとんど聞いたことがなかった。
別に、気にしているわけではない。
騎士なのだから。
強くて、格好よければ、それでいい。
そう思っていた。
――思おうとしていた。
ある日、幼い頃からの友人だったカレンと話していたときのことだ。
「ナターシャちゃんって、なんか男の子みたい!」
「……え?」
「だって、スカートもあんまり履かないし、いつも剣ばっかり持ってるし、泥だらけで走り回ってるし!」
悪気のない言葉だった。
だからこそ、何も言い返せなかった。
その夜。
私は鏡の前で、自分の姿を見つめていた。
長い銀髪。
青い瞳。
鍛えられた身体。
騎士服。
剣。
――可愛くない。
そう思った。
本当は。
可愛い服を着てみたかった。
髪飾りも欲しかった。
誰かに「可愛い」と言ってほしかった。
けれど、それを望む自分が恥ずかしかった。
騎士は強くあるべきだ。
私はそう自分に言い聞かせた。
そして、さらに強くなった。
誰よりも強く。
誰にも頼らず。
弱さを見せず。
いつしか私は、本当に「氷刃」と呼ばれるようになっていた。
けれど。
そんな私にも、相棒と呼べる存在がいた。
白銀の毛並みを持つ愛馬――シルヴァ。
彼と出会ったのは、まだ私が若い騎士だった頃だ。
誰が乗っても暴れ、誰が近づいても警戒する気性の荒い馬だった。
けれど、私が手を差し出した瞬間。
シルヴァは静かに頭を下げた。
「……あなたも、一人なの?」
私がそう尋ねると。
彼は鼻を鳴らした。
まるで「お前もな」と言われたような気がした。
それから、私たちは戦場を共にした。
私が剣を振れば、シルヴァは駆ける。
私が止まれば、彼も止まる。
言葉など必要なかった。
背中を預けられる存在。
それがシルヴァだった。
私は思っていた。
これからも私は、こうして一人で強くなっていくのだと。
誰かに守ってもらう必要などない。
誰かに甘える必要もない。
誰かに――。
「可愛い」と言ってもらう必要もない。
そう信じていた。
――あの人に出会うまでは。
このときの私は、まだ知らなかった。
私の人生を大きく変える、騒がしい一人の新人騎士が現れることを。
そして、その青年がいつか。
私の隣に立つ、かけがえのない人になることを。
**――次回に続く。**




