22話 ただいま
「うん。壮観だね!」
元旦の朝。
冷蔵庫の上段に缶ビールを綺麗に整列させ、私は初日の出よりもその光景にしばらく見惚れていた。
少し前、年末年始用にケース買いしていたビールが、まさかこんなところで活躍するとは。
お陰でビールを買いに行く手間が省けた。
「はっ……つい眺めてしまった」
開けっぱなしの冷蔵庫から漏れる音にハッとし、慌ててドアを閉める。
お酒の用意は完璧。
後は、何か料理でも作っておきたいけれど。
私は小走りでソファーに飛び乗り、手に取ったスマホをチェックする。
まだ陽介からの連絡はない。
午後に帰ると言っていたから、まで寝ているのかも。
「おつまみ……いや、何かご飯系の方がいいかな」
レシピを検索してみると、本格的なものはどれも行程が多く、私の腕前では歯が立ちそうにない。
かといって簡単のものは見映えも良くないし、手抜きみたいだし。
「あーー、何作って良いかわからないーー!」
完全に料理の迷宮に迷い混んだ私は、情けない声を上げてソファーに倒れ込んだ。
気付けば1時間近くスマホに釘付けだったのに、収穫はゼロ。
普段から陽介の料理に甘えて、何もしなかった自分が悔しい。
ごろんと寝返りを打ち目を閉じると、陽介の顔が思い浮かんだ。
それは、私が作ったナポリタンを美味しそうに頬張る姿。
「芸がないけど、アレしかないか」
下手に作って失敗するより、美味しかったものの方がいい。
メニューが決まり、私はソファーから飛び起きる。
(そうだ! コンビニで何かおつまみも買っとこう!)
私は部屋着の上から長いダウンコートを羽織り、買い出しに向かうことにした。
それから11時を回った頃、カウンターの上に置いていたスマホが鳴る。
フライパンから手を離しスマホを見ると、陽介からのメッセージだった。
『今駅に着きました。もうすぐ帰ります』
「え!? もう? まだお昼前なのに!」
スマホを片手に再び野菜を炒めながら、彼からのメッセージに思わず大きな声が出る。
念のため少し早めに作り始めたけれど、これじゃあギリギリ間に合うかどうか。
「駅から歩いて15分くらいだけど……ギリ大丈夫かな」
慌てて手を動かしつつ、私の心は帰りを待ちきれない子供のように高揚していた。
◇
〈ピンポーン〉
不意にインターホンが鳴り、私は持っていた器を急いで机に置く。
(帰ってきた!)
「は、はーい!」
バタバタと慌ててドアを開けると、目の前には見慣れたスーツ姿。
ゆっくりと顔を上げると、困ったように微笑む彼がいた。
「……ただいま」
笑って出迎えるつもりだった。
それなのに、彼の姿を目の前にすると、込み上げるものが抑えられない。
感情的になって、彼を傷つけたばかりだって言うのに。
「えっ、奈美子さん!?」
揺らめく視界に映る陽介は、私を見てオロオロと両手を上げて狼狽えているみたい。
そりゃそうだよね。玄関開けた途端にボロ泣きしてるんだもん。
駄目だとわかっているのに、もう自分でも涙は止められない。
「ずっ……うぅ……お、おが」
「え?」
「おがえり、なざい」
「うわぁ」
私は涙と鼻水でぐじゃぐじゃな顔で、陽介の胸に抱きつく。
大きな荷物を持っていた陽介はバランスを崩し、私と一緒にその場にへたり込んでしまった。
「いてて……だ、大丈夫ですか?」
「うぅ、ごめん。ごめんね」
「もう、奈美子さん。謝らないでいいから、顔上げて?」
陽介は柔らかな声で、私の髪を撫でた。
ヒンヤリとして、でも温かい。大きくて、優しい手。
くっついた体から響く鼓動は、どっちの音かわからない程に重なり、早く脈打っていた。
少しして落ち着いた私は、ゆっくりと顔を上げ彼を見つめる。
下がった眉に、赤く潤んだ目。
照れ臭そうに歯を見せて笑う表情に、私も釣られて笑みが溢れた。
「あ、やっと笑った」
「……ごめんなさい。急に、こんな」
気まずくて熱く火照った顔を逸らすと、陽介は急に私の頬を両手で摘まむ。
「ふぇ? いひゃい!」
頬を引っ張られて情けない声を漏らすと、陽介はクスクスと笑って手を離した。
「ほら、もうこれで終わり。謝るのは無しだよ?」
「……はい」
まっすぐな笑顔で見つめる彼は以前より大人っぽく、私はその瞳に見惚れていた。
抱き合ったままポンポンとリズム良く背中を叩かれ、あまりの心地よさに離れがたくなる。
「……そういえば、いい匂いがする」
「あ! ナポリタン!」
ご飯の事を思い出して、私は慌てて体を離す。
「ナポリタン? もしかして、奈美子さんの手作り?」
「う、うん。前と一緒だけど……他に思い付かなくて」
「やったー! 俺もうお腹ペコペコで。食べていい?」
彼は元気良く立ち上がり、私はその勢いに負けてただコクりと頷いた。
その後、陽介は下手な鼻唄を歌いながら足早に洗面所に向かう。
大きな紙袋をリビングに置いて、着替えを済ませた彼はいつもの上下スウェットに身を包んでいた。
ようやくいつもの風景が戻った気がして、私は染々と嬉しさを噛み締める。
「やっぱり、その格好が落ち着く」
「へへ、そうかな? 確かに、帰ってきたって感じがする」
陽介は服の裾を伸ばしながら恥ずかしそうに笑っていた。
「うん、似合う。あ、早く食べよ?」
「はい! いただきまーす!」
元気な声を上げて、陽介はテーブルの前に座り手を合わせる。
モリモリと食べてくれる姿を見ると、やっぱり嬉しい。
「ふふ、ビールもあるわよお兄さん」
「んぐっ……い、いただきます!」
「はい、どうぞ」
ビックリして胸をトントンと叩く陽介に、私はキンキンのビールを頬に当てた。
「冷たっ! へへ、ありがとう」
陽介は驚きながらも、ビールを空けて美味しそうに一気に飲む。
「……はぁ〜、美味しい」
堪らず息を吐く姿を、私は隣で眺めていた。
「良かった、嬉しそうで」
何気なく溢れた言葉に、陽介は私の方をじっと見つめる。
そして、今度は彼の方が私に抱きついてきた。
「わっ」
驚いて、思わず両手が宙に浮く。
「奈美子さん……大好き」
耳元に感じる熱と囁きで、全身がカッと熱くなる。
「そ、そんなに嬉しかったの? ビール」
わざと的はずれなことを言ってみると、彼は顔を離してムッと唇を尖らせた。
「な、何?」
「奈美子さんの意地悪」
拗ねたように言うと、陽介は私に口づけをした。
強く、息も出来ないほどに熱い。
固く瞑った目をそっと開けると、彼の必死な瞳に心臓が跳ねる。
(……ケチャップの味がする)
私はそのまま陽介の背中を抱き締め、その温かな彼の唇を、夢中で受け入れていた。
◇
それから数日。
同じ休みを利用して、私たちはある場所に来ていた。
「健、あんまり来れなくてごめんね。はい、好きなジュース持ってきたよ」
墓石の掃除の後、花の取り替えと線香を焚く。
そして、弟が好きだったジュースを供えて上げた。
「……綺麗に手入れしてるね。お花も、まだ大丈夫そうだけど」
「うん。元旦にお母さんたちが来たんだけど、新しいのに替えてって頼まれたから」
「そっか」
私の隣にしゃがみ手を合わせた後、陽介は静かな声で話した。
寂しそうな目で墓を眺める陽介を見て、私はそっと微笑む。
「……そういえば、顔見たこと無かったよね」
「あ、写真」
「昔一緒に撮ったの。どこだったかな……確か、もうなくなっちゃった遊園地」
私は鞄から小さな写真立てを取り出し、墓石に立て掛けた。
見ると悲しいから、普段は手帳に挟んであるのだけど、お墓参りの時だけは持ってくることにしている。
笑顔の健の顔を見て、陽介はふわりと笑顔になった。
「いい顔してる。あはは、アイス溶けちゃってるし」
「そう! 写真撮った後に気付いて、その後ギャン泣き。お父さんにまた買ってもらって、どうにか機嫌直ったけど」
「ふふ、気付いてなかったんだ。かわいい」
それからぽつぽつと、思い出した昔話を陽介と話した。
この頃はまだ、時々体調を崩す程度だったけれど、弟の病気はみるみる進行していった。
それこそ、残酷な程に速く。
今日は北風が強く、一段と冷え込む。
唐突に吹いた風に、線香が倒れそうに揺れた。
「わぁ! すごい風……そろそろ帰ろっか」
「うん。片付け手伝う」
「ありがと」
供えたものを片付け帰る間際、陽介はお墓を見つめてもう一度手を合わせてくれた。
「また来るね、健くん」
彼の何気ない一言に、私はただその場に立ち尽くす。
「な、奈美子さん、泣いてるの?」
「え!? いや、ほら風? 目にゴミが入っただけ! 行こ?」
「あ……うん」
咄嗟に笑って誤魔化すと、陽介は不思議そうな顔で頷いていた。
駄目だな、最近すぐに涙が出る。
これじゃあ、健にも笑われてしまいそうだ。
「そう言えば、陽介のご両親のお墓は実家の方に?」
「うん。ばあちゃんの事で帰った時、ついでにお参りしてきた」
「そっか。じゃあ、今度私も一緒にお参りする」
「ほんと!? ひひ、嬉しい」
彼と過ごす穏やかな日常は、どの瞬間も宝物のように愛おしい。
願うことなら死が別つまで、ずっと隣で笑っていたい。
(うーん……もしかして、私ってちょっと重いのかも?)
恋愛に興味のなかった自分が、こんな風に考えるなんて今でも信じられない。
すっかり恋愛脳になってしまった自分を、私はひとり冷静に分析していた。
「ねぇ奈美子さん、今日何食べる?」
「お雑煮!」
「またぁ? もうずっと食べてるよ?」
「だって、陽介のお雑煮めちゃくちゃ美味しいんだもん。お正月休みのうちに、食べ納めとかなきゃ」
「そ、そんなに!? まぁ、嬉しいけど」
ふと見上げると、陽介の頬と鼻の頭は赤くなっていた。
私は彼の腕にぎゅっとしがみつく。
一瞬驚いた陽介は、はにかんだように笑顔になる。
分厚い冬の雲間から差す、微かな陽の光。
それは希望のように、キラキラと輝いて見えた。




