Prologue 処女を捧ぐ夜・1
処女など別に、惜しくもなかった。
何れは何処ぞの馬の骨に輿入れさせられ、嫡子を儲ける──それが、生まれ持ったノーブレス・オブリージュ(当たり前)と、割り切って生きて来た。
エルドラドの家に生まれ、デジャーソリス教創祖の血を引くからには、承知する、しない、などではない。己がチェイスト・アレジアンス(純潔)に、それほどの価値があるとは思えない。だからと言って、それに不満がある訳ではない。
“まあ1、2回、同衾すれば、彼奴も愛想を尽かして、二度と夜這する気にもなるまいて”
コンスタンツェ・ユイット・セーズ・エルドラドは、僅かに自嘲気味の笑みを浮かべると、右手を軽く横に振る。その動きを感知したセンサーが、すっとシャワーの吐出を閉じた。
腰まで届くウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪の、後ろ頚辺りを一纏めに掴むと胸元側に回し寄せながら、毛先に向かってゆっくりと絞って水気を切る。コンスタンツェは小さく吐息してバスルームのガラス戸を押し開き、洗面台の脇に掛けてあったバスローブを羽織った。何時もなら、足下のドンゴロス(粗麻敷物)の表地が素足の裏を掻いてこそばゆい筈なのに、今夜は如何な痛痒にも感じない。
それでもコンスタンツェは身支度を整えるべく、ヘアドライ・マシンに腰を落とした。
屈強頑健な巨漢でも1人では抱えきれない程の大きさの、釣り鐘のような透明なポッド・キャノピーが降りて来る。リア(後髪)に保湿用ミストが吹き付けられると、コンスタンツェは肘掛けの小物入れからクッションブラシを取り出して、縺れた洗い髪を整える。
“──敢えて不満と言うなら、肌身に知る男性が、プロスペロ彼奴1人では、余りに侘びしい身の上だ、と言うことか”
隣の閨に居るプロスペロは、このマデルーク太陽系国家、第3惑星ピサロに君臨する現国王。そして何より、今は亡きコンスタンツェの実母であるハーミアの良人にして、コンスタンツェの実父だ。
三百余年を刻むマデルークの、群雄割拠していた豪族勃興史において、父娘、母息子、兄妹、姉弟の近親姦や近親婚は特段に珍しい事ではない。王族貴族になると側室や男妾を数人抱え込むのが普通なので、異性の親子では特に血縁意識が非常に薄い。それに肝腎のデジャーソリス教は、近親姦や近親婚を禁忌にしていない。
なのでコンスタンツェ自身も物心付いて以来、実父である国王を公式の場で見掛ける以外、親しく触れ合った事など一度もない。特に母ハーミアを亡くして以降、このマンスリアン城に篭り切りになってからは、久しく顔を合わせていない。
コンスタンツェはウィステリア・シルバー(藤銀色)の濡れ髪に、一頻りブラシを流すと、ヘアドライ・マシンのスイッチを入れた。マシンがグイングインとうなりを上げると、緩やかに温風を吹き出し始める。
ヘアドライ・マシンの透明キャノピーの中で、温風に煽られ緩やかに戦ぎ始めた、母譲りのこの美しいウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪は、唯一の自慢だ。母が残してくれた、一番の贈り物だった。髪をばっさり切れと命じられたら、破瓜を大安売りする方がましと言うものだ。
“──そう言えば髪質は違えど、ファラの髪も美しかったな”
ファラ・カトル・ヴァンサンク・ヴィラージュ──このマデルークと同じ牡羊座宙域にあるウェスデン太陽系国家王女であり、コンスタンツェの母方の再従姉妹に当たる。シグナス(白鳥座域)標準時間で先月に、コンスタンツェと同じ齢16を迎えたばかりだが、コンスタンツェの猫っ毛気味の髪と違い少し癖はあるが、ふんわり波打ち輝くような、背の中ほどまで伸ばしたカメリア・レッド(椿紅色)の髪の持ち主だった。
“──彼奴め、某が先に処女を散らしたと知れば、さぞや悔しがるであろうな・・・”
ヘアドライ・マシンが程よいドライ具合を感知して、温風を止めた。マシンが再び今度は、少し熱のある髪にヘアオイルを噴霧して、仕上げの冷風を吹き始める。熱が篭っていたウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪に、しっとりとした潤いが戻り始める。
“プロスペロが、どんな性嗜好も持っているのか知らぬが──”
今夜は破瓜に抱かれはするが、正直、男女の睦言を交わす気などさらさらない。自ら快楽を得に行こうとも思わない。己で言うのも何だが、殿方から寵愛を満身に受けられるような、可愛げがある性根ではない。ガートルードからは、愛想がなさ過ぎです、と苦言される事はしょっちゅうだ。
“1分1秒でも早く事を済ませ、再び今度はゆっくりと風呂に浸って、特製の糸瓜ブラシで、全身を一際念入りに擦り上げるとしよう”
それで無くとも、お世辞にも決してセックスアピール(性的蠱惑)の強い身体ではない。現王妃であり義母にも当たるヒポリアからは、レディ・チョッピングブロック(俎板姫)と何度となく厭味に揶揄され、女子として出るべきところが、少しばかり慎ましやかなのは自覚している。
髪も程よく乾いたと見たコンスタンツェは、ヘアドライ・マシンのスイッチを切ると立ち上がった。
“そうだな。憂さばらしに、ガート相手に一太刀交えるのも良いかも知れぬ──”
洗面化粧台の鏡に向かうと、開けていたバスローブの前身頃を合わせ、腰紐を軽く締める。
身長171センチ、バスト82、ウエスト57、ヒップ85。チェンテナリオの血を引いて、このピサロの地に生まれて16年。鏡の中の己がテラン(地球人)が、翡翠色の瞳で自分自身を冷たく見下して来ていた。
“まあ、これでめでたくも妊れば、それはそれでデジャーソリス創祖の血脈を、細々とでも絶やさずに済む、と言うものか──”
再び鏡の中の己が自身に、小さな嘲笑を手向けると、コンスタンツェは背筋を伸ばし、裸足のまま閨へと繋がる扉を開いた。
コンスタンツェの閨がある棟は、マンスリアン城本館の端に増築された、2階建ての離れのような別館になっている。マンスリアン城は首都ツウィリッヒから3000キロ離れたノールヘイム地方にある、コンスタンツェの母ハーミアが育ったチェンテナリオ家の本城だ。
コンスタンツェは生家であるエルドラドの本城での生活を厭世し、引き篭もり同然にマンスリアンへ入城した折りに、母であるハーミアが生前、専用居室として使っていた別館を、コンスタンツェ好みに改築したものだ。
コンスタンツェが普段使いに寝起きしている居所でもあり、本館2階から渡り廊下で繋がっている。その2階が閨と付属のクローゼット・ルームにバス・サニタリー設備、それと私室に使っている小振りな図書室兼執務室がある。閨の掃き出しテラス窓の向こうはバルコニーになっていて、階段を下ると庭へ直接出られる。1階には本館とは別に玄関と瀟洒なポーチ(車寄せ)があり、警護の者のための詰所と、簡素なギャレー(厨房)が設けられている。
コンスタンツェが閨への扉が開けた途端、目の前には夢のような世界が広がっていた。部屋全体が雲の上にいるように、足元は雲海に包まれ、周囲を見渡せば満天の星空が輝いていた。
と言っても、勿論本物ではない。
室内に仕掛けられた、プロジェクト・マッピングによる投影映像だ。
この夢見心地の趣向は、コンスタンツェ付侍従長であり、このマンスリアン城の城代をも任じるガートルード・スカイラ・マジェスタの計らいだった。主人たるコンスタンツェの心中を慮り、決して望んだ訳ではない破瓜の宵に、せめてもの慰めにと彼女が用意してくれたものだ。
天蓋から淡い桃色の刺繍も見事な淡い桃色のレースと、黒、銀、赤のカーテンが重なり合うように下がる、荘重で大きなベッドが、部屋中に広がる雲上の波間に幻想的に浮かび上がっていた。閨自体は広さは300平方メートルほど、高さ3メートルから鬼燈をモチーフにした可愛らしいシャンデリア照明が下がる、八角形を半分にしたような六角形をしている。バルコニー側の全面ガラス窓は、今宵は濃紺に金の刺繍も美しい重厚な緞帳が下りていて、マンスリアンの美しい本物の夜空は見えない。
そのベッドの向こう側、窓際に置かれたゆったりとしたソファから、徐ら1つの人影が立ち上がった。
言わずと知れた今宵の相手、プロスペロ国王陛下だ。
母であるハーミアと契りを結んだ時は30代前半だった筈なので、今は50歳になるかなったか辺りだ。
上背はコンスタンツェと然して違わないので、威圧するような風体ではない。
ここ近年の国家マデルークの治世では格段に政治手腕の確かな国王で、旧弊の税制改革を成し遂げ、奴隷制を事実上廃絶させて国民からの人気は高い。荘園制を導入し、中央集権体制から封建制へ移行させたので、諸侯貴族からも人気が高い。
年齢の割には精悍な顔立ちで、クリーピー・パーヴ(助平爺)やオールド・ファート(目障り爺)のような印象はない。くすんだ緑に近い山鳩色の髪は癖が強く、口元と顎下に髭を蓄えている。
「──待ち侘びたぞ、コンスタンツェ」
プロスペロ王は、大きな襟に胸元からゆったりした襞が波打つ、濃紺の脛丈ワンピース寝間着を羽織っていた。
コンスタンツェは横目に一瞥をくれただけで目も合わせないまま、ベッドサイドの化粧鏡台の華奢な椅子に腰を落とす。
「1年ぶりじゃな、コンスタンツェ」プロスペロはにこやかに相好を崩しながら、コンスタンツェの後ろ姿を追った。「また一層妍しくなって、益々ハーミアに似て来た」
コンスタンツェは振り向きもせず鏡に向かい、粗目の黄楊櫛を取り上げ、ゆっくりとウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪を梳り始めた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




