エピローグ
数年後――。
ルミエル郊外の小さな村に、俺たちの家はあった。
白い壁の二階建て。庭にはリリアが丹精込めて育てた花々が咲き乱れ、裏手には小さな畑が広がっている。
俺は朝から畑で野菜を収穫し、リリアは台所で子供たちと一緒に昼飯の準備をしていた。
「パパ! 見て見て! トマト、でっかくなったよ!」
五歳になった長男の陽が、赤いトマトを両手で持って駆け寄ってくる。
その後ろから、三歳の長女・花がよちよちとついてくる。
「パパ~、はなも~!」
俺は膝を曲げて二人を抱き上げ、笑った。
「よしよし、二人とも上手く育てたね。今日はママの特製トマトソースパスタだぞ。」
家の中から、リリアの優しい声が聞こえてくる。
「太郎さん、おかえり! もうすぐご飯できるよ~。」
彼女はエプロン姿で微笑んでいる。お腹はまた少し大きくなっていた。三人目がもうすぐ生まれる。
夕方、庭のテーブルで家族揃って食事をしていると、
隣の家から聞き覚えのある声が飛んできた。
「よお、佐藤! 飯時か?」
振り返ると、四十代半ばくらいの冴えないおっさんが、ビールケースを片手に立っていた。
黒髪に少し白髪が混じり、普通のシャツとズボン姿。角はもちろんなく、ただの人間だ。
でも、目元や笑い方の雰囲気は、間違いなくあの男だった。
閻魔……いや、今はただの「山田 源三」さん。
俺は笑って手を上げた。
「ちょうどいいタイミングだ。ビール持ってきたのか? 入れろよ。」
源三さんは照れくさそうに頭を掻きながら庭に入ってきた。
「冷やしといたぞ。今日は特別に、異世界産のやつじゃなくて、ちゃんとこの世界のやつだ。」
リリアが嬉しそうに笑う。
「源三さん、いつもありがとうございます。
子供たちも、源三おじちゃんのこと大好きですよ。」
陽が目を輝かせて駆け寄る。
「おじちゃん! 今日も地獄の話聞かせて!」
源三さんは苦笑しながらビールを開け、俺と向かい合って座った。
「地獄の話はもういいだろ……俺はただの冴えないおっさんだぞ。
今は畑仕事と、村の酒場で愚痴をこぼすのが日課だ。」
俺はビールを受け取り、グラスに注いだ。
「まあまあ。たまには昔話もいいだろ?
『江戸時代の米問屋で死ぬほど働かされて、地獄で100回死んだ男が、
今は隣でビール飲んでる』って、なかなか面白え話じゃねえか。」
源三さんはビールを一口飲んで、遠い目をした。
「……本当に、ありがとうよ、佐藤。
お前が引き継ぎを拒否して、俺を解放してくれなかったら、
今でもあの玉座に座ったまま、業を裁き続けていた。
この普通の生活……酒を飲んで、子供の笑顔を見て、
ただ明日が来るのを待つ日々が、こんなに幸せだとは思わなかった。」
俺はグラスを軽くぶつけた。
「礼を言うのはこっちだ。
お前が地獄で耐え続けてくれたおかげで、俺も強くなれた。
リリアと出会えて、こんな家族ができた。
……まあ、最初は地獄ループで散々苦しめられたけどな。」
源三さんが大笑いする。
「ははは! お前も相当キツかっただろ?
俺の時代よりマシだったか?」
「マシじゃねえよ。同じくらいエグかった。
でも、お前が待っててくれたおかげで、ちゃんと終わらせられた。」
陽と花が源三さんの膝に登り、
「おじちゃん、地獄って寒いの?」「熱いの?」と無邪気に質問を浴びせる。
源三さんは困った顔をしながらも、優しく頭を撫でていた。
リリアが温かいパスタを運んでくる。
「源三さんも一緒に食べていってください。
今日は子供たちのお気に入りのトマトソースですよ。」
源三さんは少し照れながら頷いた。
「ああ、いただくよ。
……本当に、いい家族だな。お前ら。」
夕陽が庭をオレンジ色に染める中、
俺たちはビールを飲み、笑い合い、子供たちの声を聞きながら食事をした。
地獄はもう、誰も苦しまない場所になった。
閻魔の座は空になり、システムは自動で罪を浄化し続ける。
俺はただの佐藤太郎。
リリアの夫であり、陽と花の父親であり、
隣のおっさんとビールを飲む、ごく普通の男だ。
時々、夜空を見上げると、
遠い昔の業火や極寒の記憶がよぎる。
でも、それはもう「昔の話」だ。
今、ここにある温もりだけが、本当の現実。
「パパ、明日も畑手伝う!」
「ママ、おなかすいた~!」
子供たちの笑い声が響く。
源三さんがビールをもう一杯注ぎながら、
「佐藤、明日は酒場で愚痴大会するか?」
と笑う。
俺はグラスを掲げて、静かに答えた。
「ああ、行こうぜ。
……地獄の管理者はブラック企業だった、ってな。」
みんなで笑い合う。
夕陽が沈み、星が輝き始める空の下で、
俺たちの穏やかな日常は、今日も静かに続いていく。
――完――




