第99話 取引と打算
テレビ局の控室というものは思ったよりも居心地のいいものだ。テレビ越しでしか見られない輝けるスターたちだけが使える部屋というのはスターたちのご機嫌を損ねないように隅から隅まで丁寧な心配りが敷かれている。だからこそいい。こういう場所でこそ、謀議というものははかどるのだ。
「出雲の調査結果だが、たしかに君の推察通りではあった。君の大好きな葉桐論文が唱える理論の傍証となりえる『祷際場』の一つだろう。だが私から言わせるとちょっと足りないし新しすぎる」
控えめな髪の毛を弄りながら天決先生が、僕の依頼した出雲の調査結果を報告してくれた。
「新しいですか?日本でも最古の聖域の一つですよ?」
「それが勘違いの一つだ。確かに日本は現存する国家の中では世界最古の一つと言えるだろう。だがね世界史から見るとこの国が人類史に出てきたのは新しい方なんだ。日本文化はもちろん世界に誇るべき価値があると私も思っている。だがね。新しすぎる。演出家としては断言するが、君の目論見は叶わない」
「だから諦めろ?そうおっしゃりたいのですか?」
僕の夢を叶えるためには天決先生の演出家としての力がどうしたって必要だ。
「そう言ったら諦めてくれるのか?私の弟子たちを脅迫から解放してくれると?」
この人は厳しいふりをしていても善良だ。弟子たちを守るために僕に従い続けている。面従腹背は知っている。だがそれでもこの人を協力させないといけない。
「伊角美魁さんを使っても駄目ですか?」
「…あの子はダメだ。まだ途上の役者だ。そんな役をふることはできない」
いつもははきはきと力強く喋る人なのに口調が澱んでる。
「あなたは正直な人だ。つまり伊角さんなら可能なわけですね。なら取引をしましょう」
「取引?私は君のやりたいことのコンサルは引き受ける。だから他の者を巻き込むな!」
「悪い話じゃないんですけどね」
僕は内線で局の社員を呼び出す。
「僕だ。すぐにミランさんをここに連れてきてくれ」
今日伊角さんは音楽番組に出演するためこのテレビ局にいる。僕の権力でここに呼びつけることにした。
「権力を使うのはそんなに楽しいのかな?私には理解できないな」
「権力こそ生そのものです。他者を踏みつけにする瞬間こそ自分という存在を強く自覚できるのですよ」
天決先生は芸術家とかいう世俗からは遠い存在だ。だからこそ僕のことを理解できない。僕からすれば芸術なんてものに耽溺することが理解できないが。先生と睨みあっているうちに伊角さんが社員に連れられてこの部屋までやってきた。
「へぇ。ボクを呼びつけたのはお前か葉桐。先生がそばにいるってことは席を外す自由はないってことだね。まったく…」
まるであの常盤奏久のような態度にイラっとさせられるがそこはぐっとこらえた。
「顔を合わせて早々悪態をつかれるなんてね。やっぱり常盤奏久はよくないなぁ…」
「ボクはもう彼色に染まってるんだよ。くくく。だから君の思い通りにはならないよ」
伊角さんの赤い瞳は自信に満ちている。ちょっと前までは僕のことを恐れるような目で見ていたのに。不愉快だ。だからその顔を曇らせてやりたい。
「単刀直入に言う。取引だ。僕の行うとあるイベントで天決先生の演出する演舞を披露してもらいたい」
「いやだ。君と取引なんてしない」
「場所は出雲。この国の名だたる大企業がスポンサーについているイベントだ。君の芸能人生にとって大きなプラスになるよ」
「ボクは君から与えられるもので生きるつもりはないよ」
「ちっ。本当によくない女になったな…!」
「お褒めいただけて光栄だね。あはは!」
実に役者らしい外連味のあるお辞儀を僕にしてくる。慇懃無礼を極めるとここまで腹立たしいのは新しい発見だ。僕は残念ながらまだまだらしい。目の前の一人の女の人生さえ同行できない程度の男。それは恥だ。だけど夢を叶えるためには今は耐えるしかない。
「伊角さん。天決先生。今回のイベントにお二人が協力してくれるなら、伊角さんにハリウッド映画の主演の座を与えるし、天決先生には監督と制作指揮も任せると言ったらどうかな?」
二人が目を見開いて驚いていた。この二人ならこの話がどれほどすごいことかわからないわけがない。
「何を馬鹿なことを!ハリウッドで映画を撮るために制作費がいくらかかるのかわかってないんじゃないのか!出ても撮っても大して旨みのない低予算映画ならともかく、私がメガホンを取ったり、この子に本気で主演させてもついてこれる役者や撮影スタッフを集めるのにいくらかかると思ってる?!」
「わかってますよ。それくらい。ハリウッドの大作映画は100億円くらいですよね?かまいません。用意しますよ。あなたたちが僕の夢に協力してくれるならね」
絶句という言葉がある。今の目の前の二人のような状態のことだ。この二人は僕が嘘をついていないことをちゃんとその洞察力で読み取っている。そして馬鹿ではないから僕の提案がどれほど巨大なチャンスなのかもわかっているはずだ。僕にとっても100億は懐が痛くなる大金だ。だがここで出し惜しみはしない。
「この場で返事をしろというのも酷でしょう。どうぞお二人で話し合って決めてほしい。まあ聡明なお二人なら何を選ぶべきかはわかっていると思いますけどね」
僕は畳から降りて伊角さんの横を通り過ぎて部屋を出た。伊角さんの顔色はよくなかった。間違いなく動揺していた。きっと彼女は僕のもとに再び戻ってくるだろう。なにせ役者の夢を叶える大きなチャンスを僕が恵んでやるのだから。これで常盤奏久の下から一人だが人材をはがすことができた。僕は少しうきうきした気持ちで廊下を歩いていった。
葉桐がしたいことが全く分からない。俺は以前盗んできた政府の内部資料から葉桐のやろうとしていることを頑張って再現しようと試みていた。だがどれもこれもザ・ベンチャー。意識高い夢のある事業です!くらいのことしか載ってないのだ。医療系ベンチャーと宇宙開発事業系の方でかなりの産業育成金やら投資やら研究費やらを国から受けているが、事業としては実にまっとうだ。今はまだまだ市場は小さいが、将来は大きな産業になるだろう。そういうビジネス。
「だからますますわかんねぇ。なんで天決先生とミランとツカサが必要なんだよ。何が関係あんの?目立ちたいだけならまだわかるけど、絶対にそれだけのはずがない。絶対に何かおぞましい真実があるはずなのに」
前の世界のことを思い出す。まず一つ。五十嵐のこと。葉桐と五十嵐は付き合ったものの結果的に分かれてる。ここがわりと解せない。その後はいろんな男を取り換えひっかえしてたわけだけど。葉桐はそういうことを許すタイプではないはずだ。今でも実際に五十嵐を縛ってマインドコントロールしている。それなのに一度は男女としての関係を解消したことがよく理解できないのだ。なにかあったとしか思えない。あの五十嵐がドン引きするよう何かをしでかしたのは間違いない。そして第二にミランのことだ。今やミランは人気のアイドル兼役者である。芸能人としてのキャリアを着実にステップアップしている。だけど前の世界で俺は彼女がテレビに出ているのを見たことがない。葉桐が使いつぶしたというのは仮説として妥当ではないだろうか?この二つの事象って実は重なるんじゃないのか?ミランと五十嵐は葉桐グループにいたときから仲がよかったというか、葉桐が二人を仲良くさせていたような感じの節が見える。
「あーこれ考えてもわかんねーやつだな。もういいや。きょうはやめやめ」
俺は葉桐関連の資料をしまってパソコンをつける。最近の俺は金策として不動産の売買を始めた。近年の不動産知識なら俺の右に出るやつはそうそういないだろう。短期の売買と中期保有の売買を潤沢な資産で運用し、また資産を増やしてしまった。そろそろ四桁億円の大台の数値が近い。これで札束風呂の夢がまた一歩…というのは冗談にしておいて、自分専用の趣味不動産も下北に買った。パソコンを立ち上げてその物件の内装のデザイン画と設計図を立ち上げる。ニチャニチャと笑いながらルンルン気分でそれを見る。ツカサにも協力してもらって楽しく仕上げた建築内装だ。そろそろお披露目で実に楽しみだ。俺がそんな自己満足な夢に浸っているときにスマホが鳴った。画面には童帝陛下と表示されている。こんな時間にかかってくるとは。
「どうしたん?ゴムをつける前に緊張して破っちゃった?あと言っておくけど正常位って腕立て伏せする必要なからな」
『え?そうなの?!あれって腕立て伏せするんじゃないんだ?!って君はボクをなんだと思ってるの?!』
「ド変態童貞ビッチ」
『んっ…び、ビッチじゃないもん…はぁっ…うっ』
「やめろ息遣いが生々しい。ぞわっとするわ」
あと声がすごく甘いの。それだけで酔えそうな魅力がある。ここらへんは役者らしくてドキドキしちゃう。
「で、どうしたん?なんか困ってるんでしょ?」
『うーん。そうなんだよね…。今ちょっと困っててね』
「わかった。じゃあすぐに行くよ。どこいんの?」
『…うふふ…。そうだよね。やっぱり君はそういう男の子なんだよね。ふふふ』
ミランの嬉しそうな声が聞こえる。
「今、代官山にいるんだけど、騙されちゃってね。共演したアイドルさんや女優さんとの女子会かと思ったらさ、不意打ちの合コンだったんだよ!はは!相手は国民的に人気のオラオラ系男性アイドルグループとワイルド系の役者とメンヘラ系ミュージシャンとヤリチン系芸人!女の子たちがガチで男性陣に本気だから抜けるに抜けられないんだよぅ。だから自然にバックレたいんでなんとか助けてください」
「うわぁ芸能界エグい。じゃちょっと待ってな。すぐに行くから」
「うん。待ってる。…絶対に待ってるからね」
どこか憂い気な色を帯びた声だった。ミランは相当困っているらしい。早く駆け付けないといけないな。俺はすぐに車で代官山に向かったのだった。




