第73話 他大のキャンパスでデートするやつはスパイ
俺に運藤系の部活の経験はない。ぶっちゃけ自分自身の性格から言っても、そういうキラキラした青春の熱い汗と涙とは程遠い人間だと思っている。だけど今回の野球の練習の日々は楽しかった。綾城のコーチングを受け、楪の指導を受けて、ミランからタオルで顔を拭いてもらって、そして部員たちと共にグランウドを駆ける日々。そんな日々を送っているとどんどん自分が真人間になっていくような気がした。今や俺は一人の球児である!目指せ!甲子園!!…まあ、俺はもう大学生だけどね。だから目指せ東京五大学野球優勝!!ファイオー!ファイオー!ファイオー!
そしてとうとうスタメンが発表される日がやってきた。4番はエース。それくらいは当然俺も知っている。強打者で逆転でホームランなイメージ。
「葉桐君には四番を任せようと思う」
「お任せください!」
京極部長が葉桐を4番に配置した。当然俺は抗議した。楪も抗議した。だが部長はすまなさそうな顔でそれを撥ね退けた。だけど一応俺もスタメンには入れた。8番ライトです!なんだろう。この絶妙に微妙なな感じ!いっそ9番だったらいいのになんで8番なんだろう?すごく半端な感じ。俺が8番になったとき葉桐が一瞬にやりと笑ったので、きっとあいつのせいだろう。権力使って部活に介入してきたくせにピッチャーで四番とか、わがまま過ぎると思います。
「頼むから出しゃばらないでくれよ。君が状況をひっかきまわすと、苦労するのは僕なんだからね」
「はぁ?むしろ迷惑かけられてんのはおれなんですけど?」
俺と葉桐はとことん合わない。だから練習の時もお互いに接触は必要最小限のものになった。それどころかある日のことだ。
「敵チームの大学に敵情視察に行ってきてくれ」
「何命令してきてんの?お前が行けば?」
「監督である紅葉さんの計算には選手のデータが必要だと聞いているよ。ならそのデータは君が取ってくるのが筋では?」
「冗談じゃない。俺は貴重な練習時間を失うつもりはないんだ。適当なやつを送り込め。つーか選手のデータならお前の情報網で十分とってこれるだろう?」
「そうだね。そう言われればそうだね。じゃあ今からスパイを送り込むよ」
そう言って、葉桐はポケットからスマホを取り出して、電話をかける。
「もしもし理織世?うん。僕僕。今日これから速応大学に行ってきてくれない?うん。じゃあよろしく」
そしてすぐに電話を切る。
「おまえ!ざけんな!なんで五十嵐にやらせてんだよ!」
「…君はどっちを取る?ここに残って練習するか?それとも五十嵐理織世という女を速応大学に放り込んで、何が起きるのかを見物してみるか?好きな方を選びなよ」
葉桐はニヤリと冷たく笑う。ついこの間、サークル旅行であんなことがあったばかりなのに、五十嵐を他大学に放り込むなんて冗談じゃない。つまりこれは葉桐の妨害工作だ。俺の練習時間を少しでも削る気なのだ。腹立つわー。こういう姑息な工作やらせたら、マジでこいつは天下一だと思う。勿論褒めてやる気はない。俺は舌打ちをする。
「ちっ!わかったわかった!行ってくればいいんだろう!このくそ野郎!」
「じゃあ頑張ってくれ。そうそう。彼女が何かよくないものを惹き寄せても、君の責任で処理してくれよ」
余計なお世話だ。言われなくても、俺はかならず責任を果たすのだから。
すぐに着替えて、速応大学に向かう五十嵐を大学の駅前で捕まえて合流した。
「へー常盤くんも速応大学に行くの?」
「ああ。行かなきゃいけなくなったよ」
「ふーん。そうなんだー。へー」
五十嵐は能天気な顔をしている。というかこの様子、まさかと思ったが一応聞いてみた。
「お前は葉桐に速応大学に行けって、言われたわけだけどさ。目的わかってる?」
「え?さあ?とりあえず行けって言われたからね」
適当すぎる。俺は頭を抱えたくて仕方がなかった。やっぱり葉桐と五十嵐の関係はおかしいし歪んでいる。
「常盤君はなんで速応大学に行くの?」
「敵情視察だよ」
「わぁ!おもしろそう!あれだよね!スポーツ漫画のライバルみたいにチームを見に行くんだ!面白そう!私はとくに速応大学に用事はないし、ついていってもいい?」
「……かまわないよ…っ…」
気持ち悪い。気味が悪い。怖気が体に走る。なんの目的もないのに、五十嵐は葉桐の命令を素直に実行しようとしていた。何の目的もないのに速応大学に行くことを命じられて、五十嵐はそこになんの疑問も持っていない。不気味すぎる。二人の歪んだ絆は恐ろしく深い。その深さが前の世界での浮気につながったのか?俺の愛情よりもなお葉桐との関係は深いのか。その事実に打ちのめされそうになる。
「じゃあはりきって行こうね!!」
「あっ…」
楽しそうに笑顔を浮かべる五十嵐は俺の左手を握って、俺を引っ張っていく。その手には暖かで柔らかい。だから俺は彼女が恐ろしいのに、その手を放すことができなかったんだ。
そして手を握ったまま、俺たちは大久保にある速応大学にやってきた。国内でもトップクラスの私大の一つである速応大学のキャンパスは学生の活気に満ちていた。
「なんか他の大学ってドキドキするね!ほら!なんか入っちゃいけない感じ!いけないことしてるみたい!きゃー!」
五十嵐はワクワクと瞳をキラキラ輝かせていた。大学のキャンパスは基本的には開放的だ。他校の学生が入ってもだれも気にしやしない。皇都大学なんか近くに住むマダムたちがワンちゃん連れて散歩しているくらいには開放的だ。
「まあ高校の感覚引きずってるとそうだよな。普通は他校には入れないもんだしね」
「そうそう!ほかの学校ってなんか抵抗あるんだよねー。でも部活とかで、よその学校入るときって、自分の学校とは違う校舎で違う校庭でしょ?なんかその違う空気感が好きだったなー」
「…そう。じゃあまずは違うものを楽しむ?とりあえず学食に行ってみない?」
「うん!行きたい行きたい!」
そして俺たちは学食に向かった。
速応大学のキャンパスを俺たちはゆったりと手をつないだまま歩く。他大のキャンパスはとても新鮮だった。
「なんか建物の感じが違うねー。こっちのほうがなんかモダン?そんな感じ?」
「こっちのほうが都心に近いしね。そのせいかな?」
うちの大学と違って、建物同士の距離が近い。駒場に慣れていると、なんか狭く感じる。
「ハイカラでバンカラな速応大学!みたいな?」
「ハイカラは知らんけど、バンカラな気風があるってのは聞いたことがあるね。長い学ラン着て応援とかするのかな?」
「あはは!それはバンカラ感あるねー!」
そうこう言っているうちに、学食についた。俺は日替わりを選び、五十嵐は楽しそうに悩んでから『速応バンカラ丼』なるものを選んだ。秘伝のたれを使ったここでしか食べられないカツ丼だそうだ。
「なにこれおいしー!」
五十嵐はニコニコ笑顔で食べている。俺はそれを眺めていた。この子の楽しそうな笑みを見るとさっきまで感じていた怖さがどこかに消えていくのを感じる。あの感覚が錯覚ならばいい。そう思う。
「なんでそんなにじっーっとみてるの?もしかしてこの名物食べたいの?」
どこか恥ずかし気に、五十嵐は箸で卵とじされた豚カツをつかみ、俺のほうに差し出してくる。
「お、おう…え?食べていいの?」
「…うん。どうぞ…」
やばいすごく恥ずかしい。ここは学食だ。他の人たちもたくさんいる。とんでもない美人である五十嵐があーんなんてやってたら人目を引くに決まってる。俺は意を決して、差し出された豚カツを一口で食べた。
「…おいしい?」
「…うん。おいしい」
正直に言えば味がわからなくなるくらいにドキドキとしていた。
「そっか。よかった」
五十嵐は優し気に微笑んだ。だけどその頬は少し赤く染まっている。そして俺たちはお互いに俯きあってしまう。なんだろう。この初々しさは。前の世界ではこんなことなかった。新鮮すぎて、心臓が痛いくらいに跳ねてる。そして俺たちは特に言葉を交わすことなく黙々と食べ終わり、返却口に食器のトレーを戻した後、自然と再び手をつないだのだった。




